準備期間
あれから数十日か経った。あと何日かで1か月になる。
勉強の進捗はまぁ。大体喋れるぐらいにはなった。文字も簡単なものなら読める程度になった。フリッサとその家族曰く専門的なこと以外なら問題ないレベルと評価してくれているが、自分はまだまだだと思っている。
正直びっくりしている。こんなにも早くある程度のものなら身に付けてしまうなんて。たぶんフリッサの家族が全面的に協力してくれたからだろう。フリッサは毎日自分のところに来てくれて勉強の手伝いをしてくれる。フリッサのお父さんのコルトさんや、お母さんのフリーアさんも勉強に最適な本を教えてくれたり、言語の習得のために一緒にお喋りをする時間を設けてくれたりしてくれる。フリッサの両親はフリッサと違い結構強烈な釣り目をしていて、上の歯からのびている牙が長く、見た目は怖いがいい人だというのはわかる。たぶん…ね?
でもやはり不安なので、城の図書館でフリッサの家族にばれないようにこっそり吸血鬼の勉強をしている。弱点やら特性やら調べておいて損はないだろう。
そして最大の問題は…
机の上に置いた魔法書に目を向ける。それを手に取り大きなため息をはく。
魔法書はかなり薄い。薄い本並だ。
魔法書なんだから呪文とか魔法陣とか書かれていると思うだろ?これそんなものほとんど書かれていない。どの魔法書も感覚的なことしか書かれていないのだ。
例えば今持っているこの本。北の王国の4代目の王が書いた貴重な書物の写しらしいが…
克之は本を持って左右に大きく振る。「ぺらっぺらっ」と音が鳴る。
すさまじく薄い。30ページくらいしかない。しかも書いてある内容がこうだ。
「風の剣 この技は強力な風圧で敵を切り裂く強力な魔法だ。この魔法はこう構え(どのように構えるか図が載っている)強く念じる。(何を念じるのか記述なし)ハァ!!と声を発し相手をどのように切り裂くかイメージする。すると相手は粉みじんに切り刻まれるのだ!! 注意:構える必要はありません。声を発する必要もありません。」
…なーにこれ?必要なことが何一つ書かれてないんですけど…しかもどの書物もこんな感じのことしか書いてない。このことをフリッサの両親に聞いたら、「魔法は感覚的なもので、必要なものは自分で見つけ出すしかない」とのこと。じゃあこの書物読む意味ねーじゃないか!一応魔法を出す時のイメージとして必要とは教えられたけど、納得いかん。
克之は机の上に薄い本を置き、同じ机の上に置かれている結晶のようなものを手に取る。野球のボールくらいのサイズで、キラキラと輝いている。
このゲームにクリスタルとして出てきそうな結晶は魔石と呼ばれている。これに魔法を発動させるのに必要なエネルギーが入っていて、魔法を使うたびにエネルギーが消費されていく。
じゃあ魔力とはなんなのかというと、エネルギーをコントロールする力のことを指す。魔力が高いほど高いエネルギーを使って強力な魔法を使うことができる。ただ、注意してほしいのが自分の魔力以上のエネルギーを使うと体が流れてくるエネルギーに耐えられず爆発四散するとのこと。
体が爆発四散するのは勘弁願いたいので、今は自分の限界を確かめるテストをしている。魔法の力で風を起こしそれを徐々に強くしていって自分の限界を確かめるテストだ。調子に乗ってエネルギーをたくさん使用する魔法を使うと爆発四散するから、ちょっとづつ使用するエネルギーを上げながらテストしているが、どうやったら使用するエネルギーの量をちょっとづつ上げることができるのかまったくわからない。そこで役立つのがこの魔法入門書だ。この本には学会から提供している手のひらサイズの紙を1センチづつ風の力で持ち上げるイメージ図が載っている。このイメージ通りの高さに紙を飛ばして体に違和感がなければ1センチ高さを上げてまた紙を飛ばす。違和感を感じるまでそれを続けて自分の魔力の限界を確かめることができるのだ。
自分は紙では風が強すぎてどっかに吹き飛んでしまうので、鉄でできた10センチの正方体を飛ばす試験をしている。地面に定規が突き刺さっているので、それを飛ばす目安にして試験をしている。本に記述しているイメージ図にも定規が地面に突き刺さっているのでわかりやすい。
まぁ魔法の勉強はそんな感じだ。今日も定規が用意されている中庭で限界を確かめないとな。
城の中庭。真ん中に噴水があり、花や木が噴水を囲むように生えている。デーモンやガーゴイルの不気味な石像も目立つが、そんなものこの城のいたるところにあるので気にならない。そんな中庭の端っこに定規が石畳の上に突き刺さっているところがある。そばには鉄の箱も置いてある。克之は鉄の箱を定規の近くにセットすると本を片手にテストを再開する。
手のひらを広げて地面にかざす。そして
「フン!」
と唸ると、鉄の箱の下で風が発生し勢いよく上へ飛んで、100センチのとこで重力に耐えられず落下する。
ズシン!
鉄の箱が落下し、大きな音をたてる。
体に違和感はないし、次の高さは…おっと今度は鉄から銅の箱にしなければならないのか。しかも大きく酸化した銅は使ってはいけないと。あるのかどうかコルトさんに聞いてみないとなぁ。
「頑張ってる?」
後ろから声が聞こえる。振り返るとエプロンみたいな作業着を着たフリッサがいた。
「まぁ。ぼちぼち…ってところかな。ところでその恰好はなんだ?」
「これ?今ガーゴイルの石像を作成しているの」
「ガーゴイルの?」
「うん。そうだ!休憩のついでに私が作成したガーゴイルを見ていかない?」
そう言うと、グイっと克之の服を引っ張りほぼ強引に連れていく。
鋭く尖った牙に邪悪な目。今すぐにも動き出しそうなガーゴイルの石像がそこにはあった。ガーゴイルの周りには石を削った時の削りカスが散らばっており、工作用の道具が地面に落ちている。
今はちょうどお昼で中庭に注がれる太陽の光が眩しい。フリッサは太陽の光に当たってもピンピンしていて、このガーゴイルのどのようなところが素晴らしいのか少し興奮ぎみに語っている。
「今からこの子に命を吹き込みます」
「命を?」
「この子が動いたらもっと可愛いと思うの!ちょっと待っててね」
そういうと地面に丸い円を描いて魔石をその円の中に置いた。
魔石は弱弱しいが赤く輝いていた。確か赤く輝くほどエネルギーがたくさん蓄えられているだっけか。
そして先端に人間の髑髏が付いた杖を手に持ち、目を閉じて集中し始めた。魔石の赤い色がだんだん薄れていく。
ガチガチ。パラパラ。
石像の関節部分から小さな石がパラパラ落ちる。
バサッ!バサッ!
突然台座から石像の足が離れると、石像が翼を羽ばたかせて宙に浮いているではないか。
そして先端に斧が付いたような尻尾をブンッ!と振り回す。振り回した尻尾が克之の目の前をかする。
「ひぇ!」
思いっきり尻餅をつく。
「スズランちゃん。とってもかわいいでしょ?」
スズランちゃん?もしかしてこのガーゴイルの名前なのか?そしてちゃん付けするということはメスなのか?
エイリアンのように縦にとがった目、赤い瞳、醜い顔。もしかしたらこの世界のスズランは豚のように醜いのかもしれん。
「いやスゲー醜い」
「!…ひどい!女の子なのに!!」
「え?あー…ごめん。自分が悪かった」
克之はガーゴイルに頭を下げる。
「ギャー!ギャガギャ!!」
女性の悲鳴に近い気味の悪い鳴き声を発する。正直ずっと聞いてたら吐きそうになる。
「もう。あなたは口が悪いところがあるから気を付けてよね?」
そう言いながらフリッサはガーゴイルに手を触れてガーゴイルの姿を一瞬で消してしまう。
「なんかガーゴイル消えちゃったけど…」
「? ああ、これは魔界に転送しているの」
「魔界?」
「そう魔物達の楽園。いざという時に魔界からさっきのガーゴイルを召喚できるのよ。もう400体ぐらい魔界に転送したんだから」
400…つまりいざという時は何もない空間から400体のガーゴイルの軍勢を召喚できるということか。
「フリッサ」
後ろから呼ぶ声が聞こえる。たぶんフリッサのお母さん。フリーアさんだ。
「…はい。お母さん…」
フリッサの声が変わる。初めて自分がフリッサにあった時の態度に戻ってしまった。あの時のおどおどした感じだ。
城の入り口の扉が開いており、その奥から声が聞こえる。奥は明かりがなければ何も見えないほど暗くて、たぶんその暗闇の中にフリーアさんがいると思うが、肉眼で確認するのはかなり難しいだろう。
フリッサは特別な吸血鬼だから太陽に当たっても平気だが、フリーアさんは純粋な吸血鬼だ。太陽の光に当たると火傷してしまう。だからこっちにこれないのだろう。ん?何か忘れているような…。
「…」
…まずい。自分は吸血鬼設定なのにこんなに天気がいい日に外にでてしまっているぞ…
フリッサもそのことに気が付いたようで、不安な顔でこちらを見る。
フリーアさんの姿は見えないが、すごくこっちを見ているような気がする。
「…」
「克之さん」
「なっ。なんでしょうか…」
「まだ吸血鬼に変化している途中なのですから、太陽の光に浴びても平気ですがいずれ火傷するようになるはずです。注意してくださいね」
「…すみません。忠告ありがとうございます」
「いえいえ、どういたしまして」
フリッサと克之は目を合わせ、ふっと胸をなで下ろす。
「それと克之さん。夫が呼んでいるので書斎まで来ていただけますか?」
「はい。わかりました」
魔法の勉強をまだ続けたかったが、お世話になっている身だし行くしかないよな。
城には何本か塔が立っているが、その中でも一番高い塔の頂上にコルトさんの書斎がある。そしてそこに行くには長い階段を上らなければならない。
「ゼェゼェ。なんて長い階段なんだ」
螺旋式の階段だから真ん中に下まで見える大きな穴ができている。頂上から穴を覗くと底が針の先のように細く見える。
「やぁ克之君」
克之が下を疲れた顔で覗き込んでいると、コルトが話しかけてくる。
「あぁコルトさん。フリーアさんから呼ばれていると聞きまして…」
「ちょっと相談したいことがあってね。まぁ部屋に入りたまえ」
「では、失礼します」
部屋の中はシンプルで、いくつかの本棚と学校の校長室にあるような立派な机と椅子が置いてあった。
「まぁまぁ。座りたまえ」
「では遠慮なく」
机を境に両社が向き合うように椅子に座った。
「で、相談したいことは?」
「ふむ。最近隠れて吸血鬼の勉強をしているね?特に弱点について」
ハッハッハッ!ばれてーら。
「あー…はいそうです」
「ならば娘が普通の吸血鬼ではないことはわかるはずだ」
「太陽の光を浴びても火傷しないところとかでしょうか?」
「それもそうだが、もっとおかしなところに気が付いているのではないか?」
「…吸血鬼からは子供が生まれないところでしょうか」
「やはり気づいていたか」
吸血鬼は一度死なないとなれないらしく、その際にあらゆる体の機能は一度死んでしまう。吸血鬼になった際に驚くべき再生能力で肉体が回復し体の機能も復活するが、復活しないものも多い。その一つに生殖機能がある。このことを知った時、フリッサはどこから連れ去った娘なのだろうと思った。だが、吸血鬼になる前の記憶がフリッサになかったり、ほかの吸血鬼にはない特別な能力の数々は普通に噛まれて吸血鬼になったわけではないと思うに十分であった。
「たぶんですが、普通に噛まれて吸血鬼になったのではないのでしょう?何か特別な方法で吸血鬼になったはずだ」
「そこまで気づかれていたか…」
コルトは何かを打ち明けるべきか悩んでいるような顔をした。そして…
「…少し早い気がするが、君に伝えなければならないようだ」
「…」
「でもその前に君の正体に気づいていることについて伝えておこうか。君が人間であることを」
「えっ」
「君を発見した時から人間だと確信していたよ。そして君のことを吸血鬼だと勘違いしている演技をしたことにも理由がある」
「理由…」
「フリッサを連れ出して吸血鬼と人間が一緒に暮らせる社会を築いて欲しい。」
「…無理です」
「無理は承知の上だ」
コルトは椅子から立ち上がり頭を深々と下げる。
自分は外の世界を知らない。でもここの図書館で知識を身に付けることはできる。1000年以上にも渡る吸血鬼と人間の争い。かつて吸血鬼がこの大陸を支配した時、人間を家畜として奴隷として扱った歴史。いまだに諸国ではこの歴史を必ず学び、すさまじく憎まれているということを。そして吸血鬼の人の血を欲するという特性上、一緒に暮らすなんて夢のまた夢ということを。
「逆に聞きます。どうすればそんな社会を築けると思いなのか。それに自分では何の助けにもならないと思うのですが」
「フリッサがいる」
「?」
「我々のような吸血鬼には人間の血が必要だが、フリッサは血を必要としない。血がなくても生きていける存在だ。我々と人間の間にある歴史は吸血鬼である私ではどうすることもできないが、人の血を欲するという問題点は解決してみせたのだ」
「しかし歴史の対立についてはどうすればいいんだ?」
「…わからないが、人間であるそなたならなんとかできると思っている」
コルトの口からそれ以上言葉はでなかった。
「…正直どうすればいいのかわからないし、何か方法があったとしても自分には自信がない」
「…」
コルトは下を向いたまま黙ってしまった。どうすることもできないので克之も黙ってしまった。沈黙の時が少し流れる。
しばらくして…
「…ある日迷いの森の近くで山賊に襲われた行商隊を発見した」
「行商隊の人たちは一人残さず殺されていた。普通は若い娘や少年は奴隷として価値があるし、連れていく最中で抵抗することも少ないから殺されずに済むことが多いのだが、今回は少女だろが少年だろが構わず殺されていた」
「その中で四体の若い娘の死体があった。鈍器で殴られた後や獣に食い散らかされた後が残っていたが、私はフリッサの作成に使えると思ってその死体を城に持ち込んだのだ」
「私は死体を解体し、使えそうな部位をかき集めて吸血鬼の肉を液体になるまですりつぶした液体の中に入れて体が再生するのを持った」
「…私には妹がいた。妹もまた私と同じように人間と共存できる社会を夢見ていた。私が死体を持ち帰った時、フリッサの体を再生する培養液になると喜んでいたよ…」
「…」
克之は黙って聞いているしかなかった。
「バラバラだった肉体がつながって一つの体になった時、私は吸血鬼に課せられた呪いを解くために自分に宿る命と力のほとんどを費やして、娘を呪いから解放したのだ」
「そのおかげで私はかなり弱体化してしまった。吸血鬼の始まりの存在である私がな。そこら辺の吸血鬼よりも少し強いかどうかくらいの力しか残されていないのだ」
コルトは姿勢を正し真剣な眼差しでこちらを見直した。
「どうかこの私の頼みを聞いてくれないだろうか?」
「…その前になんで自分を選んだのか理由を聞きたい」
「それは君が吸血鬼に関して何も知らないからだ」
「普通の人間は吸血鬼を見つけたら逃げ出すか戦うかの2択しか選ばない。だけど君は私について来た。人間と吸血鬼の橋渡しをするには、人間に対して友好的で無害な吸血鬼と吸血鬼にたいして友好的な人間が必要だと感じていた私は、吸血鬼の神が遣わした人間に間違いないと確信したよ」
「身勝手なことをしてしまったことはわかっているし、すまないと思っている。だが、これしかないのだ。私の意思を継いでくれないだろうか!!」
コルトはついに感情の爆発を体で、表情で伝え始めた。体は若干前のめりになり、力強い視線が克之を貫く。
気持ちはわかるがそんなもの継ぎたくない。だが、ここまで言っているのに断ってしまったら自分をここに置く理由がなくなる。理由がなくなってしまったら…自分はどうなってしまう?
殺される。その可能性は十分に高い!!
…しかたない。ここは時間を稼ごう。
「考える時間をくれないでしょうか?どうやって人間と吸血鬼が共存するか…すさまじく曖昧なものでも考える時間が欲しい」
秘技、先延ばしである。両親から何年も就活する説教を回避してきた最終奥義を…くらうがいい!!
「そんな時間はない」
「!?」
最終奥義が効かない!だと…!?
「ここのすぐ近くの街に凄まじい数の軍隊が進行し、駐留している。狙いはおそらく…いやここの城に攻め込む気だ」
「!!」
「私の力が弱まったことについに気がついたらしい。もう時間がないのだ」
「ここで決断して頂きたい」
…断ったら殺される。受け入れたらフリッサと一緒に逃避行。この場で殺されるか後で殺されるかの違いしかないんじゃないか?まだなんとかなりそうな選択はどちらか…。
克之はは大きく下に向かってため息を吐く、そして振り向く。
「わかりました。引き受けます」
「おおでは!」
「ただし!! どうなっても知らないからな!あんたの娘さんが死んでも文句はなしだぞ!」
「…ありがとう。ありがとう…」
コルトはその場で泣き崩れてしまった。克之はコルトのそばに寄り手を差し出す。
「すまない。本当にすまない」
そんなに喜ばれても困る。自分は口ではそう答えたが、それを守るかどうかはわからないのだから。