吸血鬼の娘
「お…俺のどこが吸血鬼なんだ?」
「おや?吸血鬼の前兆を知らないのですか?」
「…知らない」
「ふむ…」
コルトはしばらく悩んだ後、妻に相談する。
「フリーアよ。これをどう見る?」
「…記憶喪失ね」
へぇ?
「吸血鬼に噛まれたショックで記憶を失ってしまったのよ」
「なるほど…」
いやいや決断早すぎるでしょ。旦那の方もなんか納得しているし。
「…では説明しましょう。吸血鬼になる前兆として、まず肌が青白くなるのです」
何か月も部屋に閉じこもって、お出かけするときは必ず夜中だったら青白くなったんです。噛まれたのではなく、ニートしていたからです。
「家に引きこもってて太陽を浴びてないだけかもしれないじゃないか?」
「いやいや、肌を青白くする人なんていませんよ。吸血鬼と疑われて最悪処刑されますからね」
「!?」
なんとニートに厳しいところなんだ。ここは。
「そして、もう一つの前兆が魔力です。吸血鬼は才能ある魔術師が何十年も修行して得た魔力を生まれながらにして持っているのです。克之さん。あなた普通の人間とは思えない魔力を持っておりますよ」
「俺がそんなに魔力を?」
「はい。一部の人間以外ではありえない膨大な魔力を感じます」
俺がそんな膨大な魔力を持っていだと?だが、魔力ってなんだ?
「自分が吸血鬼であると信じて頂けでしょうか?」
コルトはニッコリと笑みを浮かべる。相手に合わせて笑顔を見せたり、相槌を打つのは初歩的なコミュニケーションの一種で、初対面の相手になるべく早く信用してもらうには効果的であるだろう。しかし、こいつの笑みは仲良くなるためなのか、俺を食うためなのかわからない。
「…一つ質問をしていいか?」
「なんでしょう?」
「…普通の人間が吸血鬼になるにはどうすればいいんだ?」
「童貞か処女の状態で吸血鬼に噛まれるとなれますよ」
「…」
童貞の点は条件に当てはまるが、吸血鬼に噛まれたことなど一度もない。だからこのドラキュラ男は今勘違いをしているはずだ。たぶん俺は人間で吸血鬼ではない。…本当にそうなのだろうか?トラックに引かれてからこんなよくわからない世界に引きずりこまれて、皿の上に人肉が盛り合されたイカレタ空間に今いる。もう何が起こっても不思議ではないだろう。ここまでの間に実は噛まれていて、知らぬ間に吸血鬼になっている可能性はあるのではないだろうか?
それに膨大な魔力とはなんだ。俺は手からゲームみたいに火でもだせるようになったというのか?
…これからどうすればいいのだろうか。わからない。わからないことだらけだ。
克之が頭を抱えて悩んでいると、コルトはそれを察してそっと話しかける。
「克之殿。あなたはとても疲れているようだ。本日は客室でお休みになってはいかがでしょうか?フカフカのベットをご用意してございますよ?」
人肉を食っているかもしれない奴の家に泊まるなんてどうかしているが、ここで帰らせて頂くなんて言えるわけがない。怪しまれて吸血鬼ではないとバレたらこいつの食料にされてしまう。まぁ俺が本当に吸血鬼の可能性もあるから食料にされないかもしれないが。
とにかくここは怪しまれないように泊まっておこう。
「す…すみません。今日は色々ありすぎて頭が混乱しているんだ」
「ええ。お構いなく。歓迎会はあなたが本物の吸血鬼になった時にしましょう。フリッサ!案内を頼みますよ」
「はい。お父様」
フリッサは克之に近づき、軽く会釈をする。
「ご…ご案内します。つ…ついてきてください」
フリッサは火のついたロウソクを持ち、暗い廊下を案内する。そして一つの扉の前で止まる。
「こ…ここが客室です」
フリッサが扉を開けてくれる。石のレンガでできた壁と床。木材でできた家具の数々。ベランダから見える大きな月がひっそりと部屋を照らす。
部屋の隅にベッドならぬ棺桶がおかれている!しかも中はフカフカである。
「では、ご…ごゆっくり…」
バタン!意外と厚い木でできていた扉で、閉じると大きな音をたてた。
静まり返る室内。俺は椅子に腰かけ、ベランダから見える大きな月をボケーと眺めた。
色々なことがあり過ぎたのだ。ここで頭を一回空っぽにして整理する必要がある。
「……」
とりあえずこれからどうやって生きていくのか考えていかなくてはいけないだろうな。なにせ今まで何も考えずに生きてきて、ニートになっても社会復帰とか考えてこなかった。これからのことを考えるのは親からお小遣いをもらった時やATMから金を引き出した時だけだ。そんな自分の感情に忠実な野郎が将来のことを考え、それを実践する?今まで出来なかったことがいきなりできる訳がないだろうが!!
「クソッ!!」
克之は椅子の肘あてを握りこぶしで強く叩くと、立ち上がり、部屋の中をウロウロと歩き始めた。壁に飾ってある骸骨の絵とか、枯れた花がさしてある花瓶とかを時々みながら。
…色々グチグチ言っても仕方がない。これからどうやって生きるか考えるか。
まずこのドラキュラ城から逃げ出すことだな。ここに居続けたら皿の上の人肉スープを食えとあのドラキュラ男が言い出しそうだしな。それだけは避けたい。ありがたいことに言葉はあの魔法だかなんだかで喋れるようになったから、適当な街に逃げてなにか職にありつければベストだろうな。
はぁ~。仕事か。やだな~。
克之は大きくため息をつく。
働いたこともない男が仕事なんてできるのであろうか?でも何もしないでいると人肉スープを勧められるだろうな…。
まぁ働くことを考えるよりもまず、ここから脱出することを考えなければならない。ここから逃げ出すにはどうすればいいか…。
「うーん」
道中の深い森、この城からの脱出ルート。一番近い街の位置情報。この三つは最低必要だろうな。
つまり、ここから逃げ出すにはこの城と周辺地域の地図が必要だろう。街にたどり着くまでに迷ったら、ここのドラキュラみたいな奴らに襲われて死んでしまうかもしれないし、…このベランダから街が見えるなら助かるのだが。
克之はベランダから身を乗り出す。克之がいる客室というのは随分高い階にあるらしく、遠くの地平線まで見渡すことができる。だが、ここから見えるのは真下に広がる樹海と遠くに広がる平原だけ。後で反対側も確認すべきだろうな。
コンコン。
扉のドアが叩く音がする。
ギィィィ。
ドアを叩いたのはフリッサだった。フリッサは頭を下げると後ろにある台車を押して部屋に入った。台車の上には松脂を塗ったような光沢を放つ深い緑色をしたキャベツと、赤い液体が入った瓶が一本置いてあった。
「すみません。お…お食事をお持ちしました」
フリッサは包丁を持つと怪しいキャベツを半分に叩き切る。キャベツの中身はスイカの果肉のようで血みたいに赤黒い。ここの食いもんは赤いものしかないのだろうか?
「お食べください」
フリッサがスプーンを手渡す。俺はそれを手に取りキャベツの果肉をくり取ってみる。赤黒い果汁が流れて鉄の匂いがプンプンする。これは食いたくないな。
掬い取った果肉を元に戻し、先にグラスに注がれた赤い液体の匂いを嗅ぐ…うん。たぶん赤ワインだろう。グィと一気に頂く。赤ワインだ。だが、ただの赤ワインではなかった。食道が物凄く熱い。なんちゅーアルコール度数なんだ。
「ゲホッ。ゲホッ」
しばらく流れる沈黙。この謎キャベツは食べたくないし、ワインも度数が強烈過ぎて飲みたくない。フリッサがこの部屋から出たら、申し訳ないけどベランダから捨てよう。と思って数分経っている。だが捨てることができない状況が続いていて捨てられないのだ。
なぜならフリッサが部屋から出ないのだ。ずっと俺を見つめている。このまませっかく用意した食事に手を付けずにいるのは少し気まずい。
「なぁ。これはなんだ?」
苦手だけど、会話でなんとかしてみよう。
「それはこ…こちらで改良したスイカでございます」
ドラキュラ向けにカスタマイズされたスイカということか。
「あ、あの…」
「ん?」
「克之さんのことって話してもらえませんか?」
「俺の?」
「はい。出身地のこととか、ぼ…冒険談とか!」
今までおとなしくて、聞き取るに少し苦労するぐらい小さな声だったフリッサが、突然声が大きくなり、目が少し大きく開いて、でもどこか恥ずかしいのかモジモジしている。テンション高めというか興奮しだしたと言うべきか。
「でも俺、大したことしてきてないし…」
「大したことなくても、外の世界の出来事ならなんでもいいですよ!」
外の世界の出来事ならなんでもいい か…。
「…もしかして城の外に出たことがない?」
「はい。お父様とお母さまが外が危険だって言って外にだしてもらったことがないんです…。だからその克之さんのお話しが聞きたくて…!」
フリッサは俺に向かって一歩前進。目がさっきより大きく開く。キラキラ輝くその目を俺に向ける。
「わ…わかったよ。話すからちょっと下がって…」
「あっ!ごめんなさい。私一歩下がりますね」
フリッサは一歩後退。だが、目は磨かれたようにキラキラと輝くのであった。
「出身国は…えっとその…日本というところで…」
「二ホン?」
フリッサは頭の中でその言葉を探してみたようだが見つからず、頭を傾げる。
表情、仕草からして知らない様子である。やはりここは俺がいた世界ではないのかもしれない。
「そんな国聞いたことない。どこの秘境に存在する村なのかしら?」
「いや、村じゃなくて国なんだけど」
「でも聞いたことない。本当に国なの?」
「じゃあ。アメリカって国も知らない?」
「聞いたこともない」
アメリカを知らないか。やっぱりここは…異世界というやつなのだろう。
「ねぇねぇ。あなたはその二ホン?という国で何をしていたの?」
フリッサはズイズイと責めるように質問するようなる。
何をしていたって、それはニート…いや、ここはちょっと昔の話にしよう。
「その、学生を…」
「! 学生なの!! 魔法学校で勉強していたの? それとも大学!?」
かなりガッツクな。最初に見たときとは大違いだ。
大学。大学の話か…
克之は色々思い出そうとしたが、特に思い出せなかった。毎日ゲームをやって、そのうち講義に出なくなって、引きこもって、誰にも相談せずに退学届けをだした。それだけしかなかった。自分のしたいことだけしてつらいことなんてなかったのに、まるで毎日つらいことがあったようなそんな感覚で過ごしていて、それが辛すぎて大学生活のほとんどの記憶を消してしまった。そう思ってしまうくらい大学のことが頭に残っていなかった。
「…」
ニートのことを話すが嫌だから大学時代のことを話そうとしたのに、ニートの時と何も変わってないじゃないか。クソッこんなんだから俺は…。
手が突然冷たくなる。何かが手を握っている?
手を握っていたのはフリッサだった。冷たい。死んだ人間の手であった。
「私落ち込んだ時はね。お母さまの手を握るんです。私もお母さまも吸血鬼…アンデッドだから手は冷たいけど…落ち着かない?」
「…」
「暖かくなくてもこうやって手を動かしてみるとね」
フリッサは自分の手で克之の手の甲を包み込むようにゆっくりさする。肌と肌をすり合わせ、ザラザラとした感触が伝わる。そのザラザラはフリッサが手を動かしているから感じる感触だった。俺は手を動かしていない。動かしているのはフリッサ。俺を励まそうと動かしている。
「こうやって指と指の間に挟むとね…」
指と指の間に指を挟む。そしてちょっと強く握る。するとどうだろうか。少し暖かく感じるのだ。まさか摩擦熱とでも言うのだろうか?
「ほんのり暖かいでしょ?」
「ああ」
「落ち着いた?」
「…なんで、落ち込んでいるとわかったんだ?」
「急に下向いてなんか暗い顔してたから。落ち込み方が私と同じだったの。あなた」
「そうなのか」
「そう、そうなの。だから他の話を話して?今話そうとした話はしなくていいから。ねっ?」
「なぁ。ここに来た人には必ずそうやって話しかけているのか?」
「ここに客人として来たのはあなたが初めてよ。でも血を取る用の人間と話したことがあるわ」
「血…血を取るようの人間…?」
「うん。私どうしても外の世界の話が聞きたくて、地下牢に閉じ込めてある人間とお話ししようとしたことがあるの。ほとんどの人間は私を見ると発狂したように叫んだり、小さく丸まって震えていたけど、一人だけ応じてくれた人間がいたの」
フリッサは地下牢でその人間との話をし始める。話の内容を簡単に説明すると、そいつは凶悪な犯罪者で、今まで犯してきたエグイ犯罪を話してくれたそうだ。強盗や殺人、誘拐などの話は、城に引きこもってばかりいるフリッサにとってはかなり刺激的且つ、ハラハラする内容で一瞬で虜になってしまったという内容なのだが、その男がフリッサのお父さんに人肉スープとして調理されてしまったのに、そのことに関して何も感じていないというところに恐怖を感じる。
「…強盗や殺人、誘拐の話ばかりでいい事ではないとわかっているけど、とてもハラハラして…楽しかった…」
フリッサは楽しいそうに話してくれるが、吸血鬼の考え方とか感じ方の違いに付いていけそうにない。
「それでね。最近ではその人の状況に陥った時に、私ならもっとうまく対応する妄想をしているの。私の召喚魔法でこうガーゴイルを召喚して…」
フリッサは召喚のポーズ?をとる。この子「学校でテロリストが出現したらどうやって退治するか」妄想するタイプだな。
「ガーゴイルの斧がこうやってドーーーーンって…あっ!!」
フリッサは何かを手に持ち、それを高々と持ち上げ、ジャンプして、ガツーン! 叩き下ろす。
頭を上げて、克之の顔を見た瞬間、急に赤面してモジモジしだす。
「あっ…その…おかしいよね。こんなこと…」
「…そんなことはないぞ」
「えっ?」
「二ホンの小学校では、誰もが学校にテロリス…いや凶悪犯罪者が来た時にどうやって退治するか妄想してニヤニヤしていたからな」
「それ…本当?」
「本当、本当。しかも俺は時たまそれと似たような妄想している時があるし」
「こんな大人の方でもそういう妄想をするんですね!」
フリッサはとても嬉しそうである。俺はちょっと何かが胸にグサッって刺さったような気がするのだが。
彼女は吸血鬼だ。いままで見てきたように彼女は人の血を吸うし、彼女も食べるのかわからないが、少なくても彼女のお父さんは人の肉を好んで食べている。そんな彼女と俺は仲良くなってもいいかもと思い始めている。はっきり言って俺もだんだんイカレ始めているのかもしれない。でもこうして話している時が楽しくてしょうがなかった。暗い考えが吹っ飛んでよく口が動いた。
「あっ!ごめんね。もう私部屋に戻らなくちゃ。お食事はここに置いておくからね。それと言いたい事が一つあるの…」
フリッサは一歩一歩と克之に近づく。そして克之のつま先とフリッサのつま先がぶつかるほど近くで足が止まる。
克之は座っているので、立っているフリッサに見下ろされる感じになり、月が雲に隠れて部屋の中がだんだん暗くなる。完全に真っ暗という訳ではないが、雲の薄い部分から光が微かに漏れていて、それでなんとか相手の顔を確認できるくらいの明かりはあった。
暗い空間では吸血鬼の赤い目はとにかく目立つ。周りの色が陰でくすむ中、赤い目だけがゆらゆらと光っていた。
「あなた人間でしょう?」
「!!」
克之は一瞬にして我に帰った。彼女の口から顔をのぞかせる白い牙がすべてを物語っていた。人間の血を好む吸血鬼がなぜ人間と仲良くなれるのだと、何で勘違いしてしまったのだと。
「吸血鬼は魔法生物で、体はもう死んでいるの。だから血が体を巡っていない。でもあなたの体は血が流れているようね。だってあなた、お酒を飲んで体が赤くなっているでしょう?」
「あっ!!」
あの赤ワインやけに度数が高いと思ったらそういうことだったのか!!
「ふふっ」
フリッサは克之に優しく抱き着き、手を克之の背中で繋ぐ。フリッサの胸が徐々に克之の胸を強く押し付ける。柔らかく、弾力があってその…気持ちいいです…。
克之は天使の柔らかさを堪能しながらも、抵抗しようと体を激しく動かそうとする。しかし。
クソッ。どういうことだ体が自由に動かない!!
体が動かないのだ。口も動かせないので言葉も喋れない。
「教えてあげる。それが魔法よ…」
いつの間にかフリッサの顔が克之の横にある。克之の肩にフリッサの冷たい凍るような息が当たる。