第六話 困惑
あぁ、なんて事だ!なんて事だ!!!
灰陰 仄はすでに殺人の快楽に呑まれていると判断し、利用価値のある叶 信だけでもどうにかしようかと思ったが………。
すでに手遅れだった様だ。
大方、灰陰 仄の持つ狂気に触れて呑まれてしまったのだろう。
先ほどから2人はニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべて笑っている。
これは近づきたくないな。
何と言って声を掛ければいいのかも分からない。と言うか、掛けたくない。
隣の若林先生もずっと呆然として固まったままだし。
俺の主な仕事は情報収集なのだ。
今回は主犯の2人の片割れが、才能ある叶君であった為面識のある俺が動く事になった。
しかし、これはもう何を言ったところで無駄そうだ。
叶君の情報収集・分析・撹乱などの能力は目を見張るものがあるのだがもう俺には手に余る案件になってしまった様だ。
目の前の2人が些か気持ち悪く……いやいや、生徒を悪く言うのはダメだ。
さっき、灰陰 仄を見捨てる発言をしたのはこの際置いておいてほしい。仕事なんだから仕方がないだろう!
でも、そのせいでこんな事になってしまったのなら俺が悪いのか?
なんだかもうよくわからないな。
しかし、彼らはいつまでああして見つめ合ってニヤニヤ笑っているのだろう。
………………………もう、帰っていい?
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私はただ呆然と彼らを見ているしかなかった。
先程までは私も正義に駆られて、多村先生が場所を突き止めた途端走り出してしまったりもした。
しかし彼らを、灰陰君を見た途端私の中に1つの疑念が生まれた。
それは、本当に彼は被害者なのかという事。
彼のその行いはあまり褒められたものではなかった。
まだ息のある鶏を縛り付けてナイフで弄んでいたのだ。
無論ナイフは血塗れで、普通であるならば表情を歪めてしまいそうなものだが彼は嗤っていたのだ。
そう、とても楽しそうに純粋に。
それを見た私は内心パニックに陥り、表情に出さない様にするのに大変だった。
それなのに灰陰君は見た事のない様なニヤニヤ顔で私を見ながら笑っていたけれど。
こんな、こんな筈ではなかったのだ。
私はいつもの正義感で彼を助けるために動いたはずだった。
けれど、実際は違ったのだ。
『普通』であれば私の行動は良かったのでしょう。
でも、今回は『普通』ではなかったのだ。
ただ、それだけ。
多村先生が来た後の彼らの会話を聞くとよくわかる。
灰陰君……いいえ、叶君までも私にとっては理解できない部類の存在だと。
それに、多村先生も。
あんな悍しい視線、私の中の『普通』ではありえない。
あの視線で射竦められた時、体も動かず声も出す事が出来なくてただ怯える事しか出来なかった。
灰陰君が自身の殺人を認めた時、その彼の快楽に歪んだ顔が頭から離れない。
今でも彼は叶君と嗤っている。
理解できない、してはいけないのだこれは。
理解してしまえば私が私でなくなる様な、そんな気さえしてしまう。
きっとそれは正解なのだ。
私が首を突っ込むべきものではなかった。
思えば廊下で灰陰君に無視された時に気づくべきだったのだ。
いや、あれは無視されたのではない。
過ぎ去り際に彼が小さく呟いた声が微かに思い出せる。
『 やめたほうがいいと思うよ、きっと貴女は後悔する事になる 』
あの時は意味がわからなくて、些細な事だと片付けてしまった。
けれど今なら、今なら分かってしまう。
あぁ、嫌になる。
自分の弱さが、非力さが。
何もかも全てが………!!
私は目の前の光景を先程と同じ様に唯々呆然と見ている事しか出来なかった。