第六十二話 火口の巨大麒麟
唐突だが、事は春明がこの世界に来るよりも、二年以上前に遡る。
場所はリーム教国領内のとある山岳地帯の一角。そこには地獄のような光景が広がっていた。地獄のような場所という意味ではなく、日本の地獄の絵に似た光景があると言うこと。
そこはとある高山の山頂近くの大地。そこは黒い岩石が一帯を覆う、黒い岩石地帯。そこは高山地帯だというのに、下界よりも遥かに気温が高い。
その理由は見れば明白。その大地には、大きな溶岩の池があったのだ。グツグツと煮えたぎる、真っ赤な液体で覆われ、大量のガスを吹き出す池。地表に出たというのに、未だに液体のままのこれは、どれほどの高温なのだろうか?
その触れれば骨まで溶けそうな、溶岩の溜まり場に、一匹の生物が生息していた。何を馬鹿なと言いたくなるかも知れないが、実際にその溶岩に浸かって平然としている、とてつもない生物がいたのである。
それは一頭の麒麟であった。春明は麒麟を象った像を持っていたが、こちらは本物の麒麟である。
その麒麟が、この溶岩池に身体の半分を浸からせているのである。足と腹の部分は溶岩池の中に入っており見えない。背中と首と頭の部分だけが見えており、まるで溶岩池を風呂にしているようだ。
その麒麟は、身体の下半分が溶岩に隠れているため、足の部分はどうなっているのか? 立ち上がっているのか、座り込んでいるのかは不明だ。
そしてその麒麟はちゃんと生きていた。あの溶岩に浸って平気なだけでも驚愕なのに、それを更に驚愕させるのが、その大きさである。
その体長は、百メートル近くはある。そこらのドラゴンなど、可愛く見えるほどの大怪獣である。
そんな異常生物が、首を持ち上げて、辺りを見回す。その顔は人間とは違うため、表情から感情は読み取れにくいが、何となく呆れているように見える。
何が呆れているのかというと、恐らくこの溶岩池の岸部近くから、この麒麟を取り囲んでいる者達にであろう。
実はこの場には、麒麟以外にも生物はいた。もちろん溶岩池の外にであるが。
それは人間であった。全員が火山ガスを防ぐために、防毒マスクと防毒スーツを纏っているために、その姿は全く見えない。彼らは大きな乗り物をこの場に持ち込んで、麒麟を取り囲んでいた。
『全く……本当にあんたらもしつこいわね。……しかも何? その玩具は?』
彼らを見渡して、何と巨大麒麟が喋った。直接口を動かして喋ったのではなく、魔法か何かによる特殊な発声である。その声質や口調は、若い女性のようであった。
彼女は多くの砲口に取り囲まれていた。彼女の溶岩池の周りには、三十台近い、重い金属製のキャタピラ型の乗り物があった。
それは戦車である。春明達の世界では、太平洋戦争に使われていたようなデザインの戦車だ。
そんな戦車の団体が、一斉に彼女に砲口を向けて取り囲んでいる。この光景は、春明達の世界の古い怪獣映画の、自衛隊との対決シーンのようだ。
『神聖なる我が国に災厄をもたらす邪竜よ! 今日こそがお前の最後の時だ! この破壊の魔車の力の前に滅びるがいい!』
この戦車部隊の隊長と思われる物が、スピーカー越しに、巨大麒麟目掛けて、声高らかにそう叫んでいた。その声はまだ若い青年のようだ。その言葉に、巨大麒麟はますます呆れた様子である。
『ちょっと~~~あんた達の国じゃ、機械は御法度じゃなかったっけ?』
『愚かな! これは機械ではなく魔導車だ! 今は知られていない、どこの国でも今は使われていない、遥か古代の技術で作られた、究極の魔導兵器だ!』
『古代のって……そりゃあ、そんな旧型の戦車、今じゃどこにも取り扱わないでしょうね』
『……え?』
麒麟が発した言葉に、隊長が驚愕と共に固まった。その驚愕は他の兵士達の間にも伝わり、何やら訝しげに、皆が隊長を見る。
『こんなの買うのに、いくらつぎ込んだわけ?』
『うっ、うるさい! 皆砲撃だ! とにかく撃て!』
隊長の指示で、既に砲撃体勢を整えていた戦車部隊の砲口が、一斉に火を噴いた。無数の爆音のような砲声が響き、高速で発射された榴弾が、麒麟目掛けて飛ぶ。
それに麒麟は、避けようとも防ごうともしない、無防備な体勢で受け入れる。あれほど大きな的、外すのも難しい。
榴弾を全て麒麟の身体に命中し、衝突と共に、内部の火薬が弾け、麒麟の全身に無数の爆発が発生した。噴出した火と煙で、一時麒麟の姿の大部分が見えなくなる。
百発以上の砲弾の嵐をぶつけたあと、戦車大隊は一時攻撃を止めた。
「……やったか?」
そう呟く隊長。そういう台詞を吐くときは、大概はやれていない。案の定煙が晴れたあとには、全く無傷の麒麟の姿があった。
「そっ、そんな馬鹿な!?」
「馬鹿なって……溶岩に何百年も浸かって平気な者に、あの程度の攻撃効くとは、最初から思えませんでしたが?」
驚愕する隊長に、その傍にいた女性隊員が、そう突っ込む。
『ていうかさ……あんたたちもう、いい加減にしてくんない? 何度も言ってるけど、私はここにいるだけで、別に何もしてないし。何かある度に、私が災厄をもたらした~~とか言い掛かりは、正直止めて欲しいんだけど』
彼らからの一方的な攻撃にも、麒麟は特に起こる怒る様子はなく、その兵達に語る。
『やかましい! 貴様がどうであろうが、貴様の存在自体を我が国は許していない! 説教かますような心得があるなら、とっととこの世から消えろ! 世界の平和のためにな!』
ヒステリーな声を上げる隊長に、麒麟は無言だった。急な沈黙に、逆に部隊に緊張が走る。今まで余裕を見せて何もしてこなかったこの巨大な怪物が、今ので激怒して自分たちに攻撃を仕掛けるのではないか?
そんな恐怖が隊員達の間で広がり、既に後ずさって逃げる準備を始めている者もいる。
『そうかい……そんなに私が目障りなら、おとなしくこの世界から失せてやるよ! こんなゴミ共ばかりの世界と、これ以上付き合いきれないしな』
今まで無言だったのが、急に喋りだしたかと思うと、いきなり麒麟の周囲の溶岩が波打ち始めた。それと同時に、麒麟の体高が高くなる。この麒麟が、溶岩池の中で立ち上がったのだ。
何百年も前から、この溶岩の池の中で、全く同じ姿勢で動かなかった巨大麒麟。それが今日初めて、首以外の部分を動かした。
今まで一度も確認されなかった麒麟の半身、腹と足の付け根が、大量の溶岩が流しなら露わになる。
「うわぁああああっ!」
「動いた! 動いたぞ!」
「殺される! ひゃぁああああっ!」
これに戦車部隊は大パニックだった。麒麟からの反撃を恐れた者達が、戦車を捨てて、次々と逃げていく。
「殿下! 早くお逃げを!」
「ひっ、ひぃ……」
殿下と呼ばれた隊長を、女性隊員が退却を促すが、隊長は突然の事態に恐怖し、足が動かない様子。
そうこうしている内に、麒麟は溶岩池の中を歩き出した。ただし正面の隊長のいる所ではない。それとは別の横の方に方向転換し歩き出す。
あれほどの巨体だと、人間の視点からすると動きがスローになりそうなものだが、麒麟の動作速度は並の鹿などと同じぐらいの標準だ。これはよく考えると、とんでもないことだ。あの大きさで動作が標準なら、歩幅分の動作速度はとんでもない。
やがて麒麟は、右横の池の岸に上がり込む。その直後に、その辺りに巨大な空間の穴が開かれた。
魔道士が召喚魔法を使うときなどに出てくる、赤い空間の穴。しかし目の前のそれはとてつもなく大きい。この麒麟の巨体がすっぽり通り抜けそうだ。
いや、そうだではなく麒麟はこの転移の門で転移して、この場から去ろうとしているのだ。
『最後に言っておくけど、私がこの場から離れたことで、この先世界で何が起きても、責任はあんた達がとりなさいよ。今まで何度も説明したのに、ここまでしてきたんだ。後悔はないわよね?』
呆然と麒麟の姿を見ていた隊長達に、麒麟は最後にそう告げた。そのまま彼女は、空間の門に入っていく。
あの巨大すぎる身体が、転移の門の赤い空間に潜り込んでいって、頭から消えていく。そしてあっとうまにその転移の門を通り越えて、その姿が消えてしまった。
直後に転移の門も、目を閉じるように、瞬時に消滅する。あれほどの存在感を放っていた巨大生物が、あっというまに消えてしまったのだ。
「どうなってるんだ?」
その場に残った数少ない隊員の一人が、ぽつりとそう呟いたが、それ以降は沈黙が続く。あれほど恐れ、殺そうにも殺せなかった者が、今この場であっさりと消えてしまった。
しばらく呆然としていた一行だったが……
「はははっ! やったぞ! あの化け物を追い払った! 我々の勝利だ!」
だが急に盛大な笑い声を上げて、隊長が勝利の声を高らかに上げた。それにのって、他の隊員達も、力の抜けた感じで歓喜の声を上げ始める。
「あっ、あの殿下……」
ただ一人、隊長の傍にずっといた女性隊員が、不安げな口調で問いかける。
「何だジュエル! お前も喜べ! 何百年も駆逐できなかった敵を、我々がついに撃退したんだ! 今日この日は、リームが世界に誇って記念する日になるぞ!」
「いえ……本当にこれで良かったのか? 今まで言ってきた、あの邪竜の言葉が真実なら……」
「はははっ、まだそんなこと言ってるのかお前は!? 我々の力に恐れをなして、最後まであんな戯れ言を言っていたが、所詮負け犬の遠吠えだ! 何を気にする必要がある!」
隊長の言葉に、女性は開いた口が塞がらない状態だ。ガスマスクをつけているので、顔は見えないのだが。
あれをどう見れば、敵が自分たちに恐れを成したと見れるのか? あまりに不安要素が多すぎる勝利に女性隊員=ジュエルには、勝利の喜びなど全く湧いてこなかった。
その日リーム教国の各国で、リーム教皇第二皇子のパトリック・リームが、何百年も前から、世界に災厄をもたらし続けた邪竜を滅ぼしたとして、国中で盛大な祝いの祭りが行われた。
それは数日間、国中を踊らせ、それによる経費で、後から下層民達の税を更に重くすることになる。
そしてその祝いの祭りが終わりを向けようとした数日後……あの麒麟がいた山岳地帯が、大噴火を起こした。
山の一部が消し飛ぶほどの大噴火。幸いあの周辺には、麒麟を恐れてほとんど人がいなかったため、人身の被害はなかった。
丸一日噴火し続けた山からは、空を覆い尽くせそうな程の黒煙が、吹き上げ続けた。そしてこの日から、世界中に謎の魔物=無限魔が出現するようになった。




