第六話 シンボルモンスターと、よくあるミス
しばし時間をおいて……彼は目の前にいる細切れになった敵を見下ろしながら、フッと息を吐いた。
そして周りの様子を確認する。見た感じ、あの植物怪獣出現以降の異変は見受けられない。
(この先どうすんだっけ? 確かゲームでは、このまま森の中を進むんだよな……)
ゲームのストーリーでは、記憶喪失の主人公が、最初に遭遇したモンスターを倒した後、森のエリアを進み、最初の村に辿り着く。
今の状況がどうなってるのか不明だが、ゲームのシナリオ通りに進むのであれば、まずその村を探さなければならない。
(でも、どっちに進めばいいんだ?)
ゲームでは通り抜け出る道は決まっており、その道順に進めばそれで良かった。それは山林のダンジョンでもそうだった。
でも現実の山林には、当然決まったルートなどない。周りを見ると、獣道なのか不明な、踏み固められたような、地面が少し凹んだ、道のようなものが見えた。
(こっちに進めばいいのか?)
とりあえず当てもないので、その道かどうかも判らないそれを辿ってみることにした。さっき激しい戦闘があったばかりだが、思ったほど疲労感はない。
身体は深く傷ついているが、全く歩けないというほどではない。
やがて彼は、ゆっくりとした足取りで、森の中を進む。手にはあの刀を持ったままだ。聞いた話によれば、血に濡れた刀身を、鞘に収めるのは、後処理が面倒になるので駄目らしい。
だが生憎こちらには、血がついた刀身を拭けるものがない。それに森の中で、いつ敵が現れるのか判らないのだ。
なら武器を持ったままにした方がいいと。彼は刀を鞘に収めずに持ち歩いていた。
(この辺りには、モンスターとか出るのか?)
彼はゲームをしていた頃を思い出す。確か最初のスタート地点から、森の中を進むときも、各所にシンボルモンスターが配置され、プレイヤーの進行を妨げていた。
もしこの世界が、ゲームのルールに準じているならば……
(あっ、何か出た!)
森の中を歩き始めて数分しか経たない内に、早速何かを見つけた。幻覚でなければ彼の目に、何かが彷徨っているのが見えた。
それは何とも面妖な、昼間の森の中を浮いている人魂である。森の中は薄暗いので、その光が遠くからでも見える。試しに近づいてみると、その人魂の全容が判った。
それは宙を浮く、卵のような未確認飛行物体である。大きさはサッカーボールぐらいであろうか? 少し縦に延びた赤い水晶玉のような物体が、宙を浮きながら、不規則に森の中を彷徨っているのだ。
(これは……敵なのか?)
モンスターに見えなくもないが、何か変な感じの物体を、観察しようとしていると、向こうからこちらに近寄ってきた。
何事かと思って刀を構える。やがてその謎の卵が、こちらの十数メートルといったところまで近寄ったとき、その卵が突然弾けた。
(何だ!? 自爆か!?)
だがそれにしては破裂の威力が小さい。割れた欠片は、あっという間に粒子となって、空中に四散する。
そして破裂と共に、光の塊のような物体が数個現れる。それは最初アメーバのように、定まった形をしていなかった。
だがそれが地面に降りると、見る見る変形し、生き物の形をとる。そしてその光が突然消える。光があった場所には、さっきの光と同じ形の、未確認生命体が三匹、その場にいた。
ちなみにこの卵からの変異の時間は、ほんの一秒足らず。ほんの一瞬での変異であった。
(こいつらは確か……)
現れたのは、長い後ろ足で地面に立つ、恐竜のような生き物である。水色の鱗で覆われて、体型は細く、すばしっこそうな印象を受ける。
頭はイグアナのようで、後頭部に小さな蝙蝠の翼のような襟巻きがついている。
体格はさっきの植物怪獣と比べると、それほど大きくはなく、大人の男性より少し小さいぐらいだろう。
少年はこの怪物の姿に、見覚えがあった。多くのフリーゲームで使われている、素材絵のモンスターグラフィックの形によく似ているのだ。
確かこの姿のモンスターは、「鶏勇者」の序盤でも登場していたような気がする。
「成る程……この世界でも戦闘はシンボルエンカウントか……」
ゲームではシンボルモンスターは、彷徨う火の玉で表現されていたが、この世界ではあの空飛ぶ光る卵らしい。
普段はあの卵の姿で配置され、人が近づくとモンスターの姿になって戦闘になるらしい。
「う……しまった……」
敵が今にもこちらに飛びかからんと、自分に牙を向けて唸る。彼も迎え撃とうと、戦闘態勢に入った辺りで、彼は致命的な間違いに気がついた。
彼の身体は今、先程の植物怪獣との戦闘での傷が癒えておらず、ズタボロの状態であったということだ。
試しにウィンドウ画面の自己状態を見てみると……
《春明 Lv20 HP31/160 SP60/60 TP0/100》
HPが二割程度にまで減っていた。こんな状態で連戦は極めて危険である。そもそも何故彼はこんな状態で、森の中を進もうとしたのか?
特に深い理由はない。彼はとにかく現状を理解しようと、情報を欲しがって少し焦っていた。シンボルモンスターの事もついさっき思いついたことだし、身体の傷も、動かせないほどということでもなかった。
ゲームではHP1の瀕死状態でも、問題なくフィールドを歩けていたので、油断していたのだ。これは後先をよく考えない、彼の軽挙な行動が招いた失態と言える。
(どっ、どうしよう!? そうだスキル!?)
彼は慌ててウィドウ画面を開く。そこには以前に植物怪獣との戦闘でも見たコマンド画面が表示された。彼はその中から《スキル》の項目を選択する。
《集中 0 気功治癒 10》
表示された現時点使用できるスキルは二つだけ。技名の隣にある数字は、使用に必要な消費SPである。
彼が《気功治癒》の覧に指を向けると、そこにその技の詳細を教える文章が、上の開いた画面に表示される。
《気功治癒:気功を身体に練り上げ、自分や味方のHPを回復させる》
これは序盤で覚える、唯一の回復技だ。序盤ではかなり重宝される。レベルを上げても、全体回復を覚えないのが難点だが……
だが今の時点では、とても重要な能力だ。彼は迷わずそのスキルを選択する。
(おおっ!?)
彼の身体から何かの力が沸き上がってくる。何だか心地良いような、不思議な感覚が沸き起こる。そして彼の身体が、薄い光のようなもので包まれ始めた。これは回復の効果と思われたが……
ガブッ!
「はぐっ!?」
回復が起こるより前に、敵が攻撃を仕掛けるのが早かった。トカゲ達が一斉に飛びかかり、彼の喉・腹・足などの各部に噛みついたのだ。
その影響でか、せっかく発動させた気功治癒の作用が、途中で止まってしまった。
(しっ、しまったあ~~)
よく考えてみれば当たり前である。こちらの回復を、敵が律儀に待ってくれるはずがない。
コマンド式だったゲームの頃は、例え先に向こうに攻撃されても、HPが0にならない限りは、順番が回れば、問題なくスキルを使えたが……
(通常攻撃でスキルがキャンセルなんて……ゲームの頃と仕様が変わってんぞ!?)
トカゲたち一斉に噛みつかれたまま、押し倒されてそのまま地面に背中から倒れる。その時の力の入れ具合が元で、噛みついたトカゲたちの牙が、彼の身体に更に深く食いこむ。
特に喉に噛みついた部分が重傷で、大量の血が吹き出ている。
彼は声を上げられないまま、トカゲたちに組み伏せられてしまった。しかもその時の反動で、うっかり刀を落としてしまった。
トカゲたちの噛みつきは止まず、一匹の口が、彼の喉の肉を噛み千切った……
「はぁ……」
彼は疲れた表情で、森の中で立っていた。あの怪物にやられた後、彼は再びデータロードをして、セーブ地点からやり直したのだ。
(参ったな……本当に後先考えずに動いたから、自業自得か?)
下手に痛みに慣れてしまったのが、逆に仇になったようだ。傷を負った状態で、すぐに場所を移動するなど、あまりの愚行だ。
(とにかく自分のステータスとか、スキルとかを、ちゃんと確認しておくか……)
そう思ってウィンドウ画面を開こうとしたとき、彼は近くにある者の気配に気がついた。
(あ……しまった!)
彼はもう一つの、大きなミスをしていたことに気づく。彼は最初の戦闘に勝利した後、セーブを一切していなかったのだ。
その状態で死んでしまったのだから、当然その間の戦績も、全て無かったことになる。
森の中から、感じ取った気配の主が現れる。それはあのトカゲのような、新手のモンスターではない。実に見慣れたあの不気味な触手と花をつけた異形の生物。あの植物怪獣だった。
ロードからやり直したことで、彼が植物怪獣と戦い、勝利した事実もまた、無かったことにされたようだ。
「よおっ………また会ったな……」
ゲームというものには、常に忘れてはいけない常識がある。
それは、小まめなセーブを忘れてはいけないと……