そういう意味では誰だってそうだと思うよ。
お題:とんでもない人間 必須要素:栓抜き 制限時間:15分
とんでもない人間とはまた、乱暴なお題だと思う。
とんでもない人間の定義って何?
それを考えなくてはいけないと、私はそう思う。
私のみじかにも、ありがたいことかどうかは知らないけども、人間は沢山いて、私のような人間だって幸か不幸かその人らに支えられながらどうにかこうにか生きている。
その殆どは私から言わせればとんでもない人間だ。
私自身だってそうだ。
私がこのようなモノを書いて人に読ませる、この作業だって元々は私の姉が私のことを
「お前はクズだからきっと面白いものが書ける」
と言ったからだ。
姉からしてみれば私だって十分にとんでもない人間なんだろうと思える。
人を殺すからとんでもない人間な訳では無いし、
銃を乱射するからとんでもない人間なのではない。
子供にろくにモノを食べさせないからと言って、
その人間をとんでもない人間と言い切ることはできないし、
もしかしたら会社ですごいやり手のビジネスマンだからとんでもない人間と他人から言われている可能性だってあるのだ。
とんでもない人間だってその人の一部でしか無い。
ニュースや新聞はよくその人の一部分だけ、そこだけを切り取って、一面や二面に載せる。
私からしてみたら、あれらはもはやエンターテイメントであると思える。
それを見る人間、それを聞く人間を楽しませているのだ。
それだって見方を変えればとんでもない人間であると思える。
子供の頃、友達の家で私は左肩に栓抜きを刺されたことがある。
私としては、不思議なことに特に痛みも無かったので、
ふーんみたいな感じだったにもかかわらず、
その友達がそれをしたこと自体を恐怖と捉えて泣き出した。
私からしたらあの友達があの瞬間、
とんでもない人間に見えた。
お前が指したのになんでお前が泣くのか?
私が見た何度目かの
トンデモない人間。
私はその瞬間、彼女が人間ですらないのかもしれないと思った。
そういう話だってあるのだから。
タイトルから始まって、改めてタイトルに帰結する話。四コマによくある。アレが好きです。