ミドラーさんの正体
1話目よりグロい表現があります。
ミドラーさんによる最初の被害者が出てから半月が経った。
まだまだミドラーさん熱は冷めることなく、ミドラーさんは人々の話題の中心だった。ニュースでは「今日のミドラーさん報告」という特別枠ができ、毎日、ミドラーさんの目撃者数と、被害者が出たときは被害者数も伝えていた。
人々のミドラーさんに対する反応は主に3つに分かれていた。
まず、退屈な日常に突如舞い込んだ異物を面白がり、興奮する者。
好奇心旺盛な若者に多く、彼らはユーチューブやツイッターを駆使して、ミドラーさんの情報を海外に発信した。
だがすぐに混乱を招くとして、徹底的に削除された。政府や警察関係は毎日、「ミドラーさんを見かけても絶対に近寄らず、すぐ警察に連絡すること」と人々に強く訴えかけ、面白半分に近寄る者は厳しく罰する、とまで発表した。その発表により、ミドラーさんに触れて衰弱状態に陥ったり、病院送りになる者はほとんどいなくなった。
とはいえミドラーさんは格好の遊びのネタで、「ラ、ラー」と叫んで追いかけっこをする「ミドラーさんごっこ」が子どもたちの間で密かに流行り、飲み会でミドラーさんを真似る会社員も登場した。
また、超常現象や、未確認物体マニアは、ネット上で長々とミドラーさんに対する持論を展開し、書店にはそのような者たちが書いた、なにやら怪しげな雑誌が色々と並べられた。
次に、ミドラーさんを恐れるが故、野放しにしていることに憤りを感じている者。
小さな子どもを持つ家庭、お年寄りに多く、警察はなぜもっと迅速にミドラーさんを捕まえないのか、政府は何をやっている、怖くて、このままじゃ夜とても眠れない、といった抗議の電話が数多くお偉いさんたちのところに寄せられた。
まあ至極まっとうな意見である。いくら触れても死なないと言ったって、全身緑色の男が、今もこの国のどこかをうろちょろしているなど、とても耐えられない。
だか政府や警察は、最善を尽くしている、と答えるだけだった。
最後に、ミドラーさんなど気にせず、今までの生活を送る者。
仕事や家事労働、病人の世話、生きがいの趣味、またはそれ以外の事情で非常に忙しく、ミドラーさんだかマドラーだか知らないが、そんなのに構っていられない、という者たちだ。彼らはときにこう主張する。
「ミドラーさんって言ったって、1日1回目撃情報があるかどうかじゃないか。出会う確率は何分の1だ? ふらふら歩いてるだけのミドラーさんより危険であぶねえ奴はそこら中にいるよ」
彼らの言う通り、ミドラーさん目撃情報は、最初こそ1日に何件か続いてあった日もあったが、ここ最近は、1日1件程度に落ち着いていた。
そしてひと月が経った。
ミドラーさん熱は、次第に衰えていった。この頃になると、ミドラーさん目撃者は3日に1人いるかいないくらいに減り、「今日のミドラーさん報告」も簡潔なものとなった。
まだ一部の人間の間では、ミドラーさんの正体を巡って、熱い論争がくり広げられたりもしていたが、大半の者がいつもどおりの生活に戻っていた。
ミドラーさんについて目立った進展が無く、人々が飽きて興味を失い始めたのだ。
ひと月半が経った。
ミドラーさん目撃情報はとんとなくなり、「今日のミドラーさん報告」もとっくに終了していた。「ミドラーっていったい何だったんだろう」そんな会話が時折交わされ、人々のミドラーさんに対する関心はどんどん薄れていった。
実際のところ、ミドラーさんをじかにこの目で目撃した者などほとんどいない。皆ニュースや雑誌、ネット等の情報でしかミドラーさんを知らない。それが大半だ。ニュースや雑誌が取り上げなくなれば、人々はミドラーさんを忘れていく。
さらにふた月が過ぎたころ、国民的アイドルグループのゲイ疑惑が持ち上がり、その上本人がカミングアウトしたため、世論はドミノ倒しのように一気にそちらに傾いた。理解するファンと非難するファンとの間で怪我人多数の乱闘騒ぎがあり、若者以外の層もテレビやパソコンに釘付けとなった。
もう誰も、ミドラーさんのことなど口にはしなかった。
ミドラーさんは、必死に何かを伝えていた。
ミドラーさんは全部で9人いた。9人とも、助けを求めていた。9人とも、もとは普通の人間だった。
ある日、ある山の地中深くで大規模な爆発があった。地中には国家機密の人体実験を行う研究所があった。研究所にいた職員全員を粉々に吹き飛ばす、ものすごい爆発だった。
地面に穴が開き、そこから人体実験の被験者9人が無傷で脱出した。9人のうち、8人が男性、または男児で、女性は1人だけだった。
彼ら9人は、来る日も来る日も、さまざまな薬を実験的に投与され、およそ道徳的とはほど遠い扱いを受けていた。それでもまだ、ちゃんと人間の形をしていた。なぜ爆発が起こったのかは彼らには分からなかったが、とにかく彼らはその場から逃げた。
それぞれ逃げて、散り散りになった。皆現金を持っていなかったが、一刻もはやくこの悪夢のような場所から離れたくて必死だった。
まだあどけなさの残る青年は、逃げる途中自転車を拝借して、遠く離れた故郷、15歳のとき自分を売った両親の元を目指した。
けれども2日かけてたどり着いたそこに両親の姿はなく、青年は周りの人々に自分が今までどこにいて、何をされていたかを必死に説明した。しかし周りの人々は「頭がすこし弱いのかな」と青年の悲鳴のような訴えを、少しも真剣に聞こうとはしなかった。
服役中にこの研究所へ連れてこられた中年男は、逃げながら金を盗み、さらに遠くを目指した。国家がトップシークレットとしているこの残虐な行為を、行く先々で周りの人々に噛みつくように叫んだが、だれもまともに取り合わなかった。いい年した男が狂ってやがる、と行き交う人々は冷めた目を彼に向けた。
路上で寝てる間に研究所へ連れてこられた元浮浪者は、タクシーに乗り込み、自分は実験台にされたと運転手に涙ながらに語った。しかし運転手が警察に電話しようとしたので、慌てて車を降りた。国家の手先に連絡されちゃたまらない。
以前国会議員だった若い男は、国にとってまったく厄介な存在だったので、この研究所に送られた。この男の頭は度重なる実験でとっくにおかしくなっており、男は日々、わけの分からない言葉をぶつぶつ言っては急に笑う、を繰り返すのだった。
だが、若い男はこんなになっても、自分を研究所に送った政治家たちへの怒りを決して忘れてはいなかった。男は決心したように走り出すと、自分の限界をはるかに超えた速さまで速度をあげ、笑いながら国会へと向かった。
その若い男の様子を見ていた、初老と言ってよい年恰好の男性三人は「わーい、鬼ごっこだ」「捕まえるぞー」「逃げるぞー」と口々に言い合い、それぞれてんでばらばらに駆けだして言った。三人は三つ子だったのだが、まったく三人とも違う風貌をしていた。
この9人の中で、ただ1人の女である少女は、幼稚園児ぐらいの男児と手をつないだまま、しばらく呆然としていた。赤ん坊のころから研究所にいた男児は、彼女の唯一の友達だ。喋れず、右も左も分からない状態だが、少女にとってはかけがえのない存在だった。
立ち尽くしていた少女はハッとして顔をあげると、「一緒に逃げるよ」と手をつないだ男児に呼びかけた。そして二人はそのまま走りだした。
この少女は、親の借金返済のためろくに学校へも行けず、女にとっては地獄のようなところで働かせられ、気がついたらここへ送られていた。そのときたしかに妊娠していたはずなのだが、目覚めると腹は奇妙にしぼんでいて、そこに生命の気配はなかった。
2人は主にヒッチハイクで遠くへ逃げた。浜あゆと言われていたころとは、まったく程遠い容姿に少女は変貌していたが、それでも男に対する手管はまだ体が覚えていた。
どこへ逃げるか、少女にはあてがなかった。
そして研究所の爆発から約48時間後、それは起こった。
被験者らの体に異変が現れたのである。
9人は、9人とも同じようなある実験を受けており、爆発前に投与された薬も皆同じだった。その薬の効果が徐々に現れたのである。48時間後、彼らの体は緑色に変色し、単純なことしか考えられなくなった。左右に揺れるようにゆっくり歩行し、「ラ・ラー」としか声を発することができない、「ミドラーさん」になってしまった。
ミドラーさんとなった彼らは、単純な思考しか持たないゆえ、ひとつの激しい思いに全て支配されていた。それは、体に刻み込まれた心の叫びだった。
非道極まるこの国の実態を、見てくれ。これがこの国の正体なんだ。
俺たちは、こんなにされた!俺たちを、見てくれ!俺たちを、見てくれ!気付いてくれ!
ミドラーさんが世間を賑わせたのは、たったのふた月。
政府も安心した。
研究所がすべて吹き飛ばされたために、状況を把握するのが遅れた。政府が被験者の脱走に気がついたのは、間抜けにも、ミドラーさんによる最初の被害者が出た後だった。
研究所に近づくことを誰もが躊躇したことも原因だった。それに調べずとも、爆発の大きさから生存者はいまいと推測されていたのだ。
被験者達が脱走した上、薬の作用で変態し、散り散りになっていることを知って、政府はただちに彼らを捕らえようとした。人体実験の存在を一般人に知られるわけにはいかない。しかし既に人にあらざるものへと変貌したと言ってよい彼らに、どんな危険があるか全くわからないので、政府も警察も自衛隊も迂闊に彼らに手出し出来なかった。触れると衰弱状態になり、とりあえず死ぬようなことはないらしいが、油断はできない。
だが、そうやって政府が手をこまねいているうちに、なんと、ミドラーさんは勝手にどんどん減っていった。いや、正確に言うと、薬の拒絶反応で死んでいったのだ。
ある一人の警官が、見張っていたミドラーさんの死を一部始終見ていて、全てを確認した。警官は込み上げてくる胃液を必死に飲み込みながら、震える声で言った。
「ミドラーさんは小刻みに震えるような拒絶反応を起こした後その場に倒れ、倒れたままどんどん溶けていき、最後にはただの緑色の液体になった。もとが人間だとは、到底思えない」
ミドラーさんが減ると、一般の人々は目に見えてミドラーさんへの興味を無くした。国は、政府は、人々が、ミドラーさんのことを勝手に騒いだと思ったら勝手に忘れてくれたので、本当にほっとした。皆ミドラーさんの正体が、人体実験されたあわれな人達のなれの果てだとは、露ほどにも思っていない。そのように考えた一部の人も、半ば面白がって考え付いただけであり、深く考えたわけではなかった。
人々は勝手に騒ぎ、勝手に飽きて、そして忘れていく。
みんな自分のことでいそがしいし、余計なことを考えるのはめんどくさい。みんなが盛り上がったら一緒に盛り上がって、べつの話題があがったら、そっちに飛びつく。ミドラーさんは説明がつかないほど奇妙だったけれど、まあなにか種明かしがきっとあるのだろう、と思う。
ミドラーさんの血を吐く訴えを、聞く者はいない。
少女は湿った洞穴の中で、寒さに身を丸めていた。 目の前には緑色の液体が作る水たまり。さっきまで小さい緑色の男の子がそこにはいた。
少女は手を引いていた男児が突然緑色に変態したのに驚きはしたが、見捨てなかった。ひとりは寂しいし、なにより緑色で「ラ、ラー」しか話さなくなっても、この子のことが愛しかった。そっと、少女は自分の下腹部に手をあてる。男児がミドラーさんになった後も、少女はなぜか人の姿のままだった。
男児だったものはもう完全に溶けて、あとかたもなくなっていた。少女は緑色の液体に触れてみたが、それは冷やりと冷たかった。
少女はなにも映していないような、濁ったうつろな目をしていたが、その目の奥に、どす黒い血の塊のような怒りを宿していた。誰への怒りなのか判然としないが、この怒りは、少女の体中を染みのようにどんどん広がり、少女を浸食していった。
少女は震えた。さっきまでの、寒さによる震えではない。少女の頭の中で、怒りががんがん鳴り響く。この体中に沸き立つ憤怒を、少女はもう抑えることができない。
わたしを売った両親。
人形のようだった日々。
奪われた子ども。
死んだ男の子。
無関心な人々。
刹那、少女のすぐ脇に生えていた雑草が跡形もなく蒸発した。つづいて洞穴全体が前後左右に荒々しく揺れ、そして滝のような大きな音を立てて崩れた。
少女は瓦礫の中から怪我ひとつなく立ち上がると、前を塞ぐ邪魔な岩石を次々と溶かしながら前に進んだ。
「お嬢ちゃん、そこで何してる」
瓦礫の山をぬけたところで、そうしわがれた声がした。少女は声の方を振り向く。農作業の格好をした、年寄りの男性が立っていた。
「こんな時間にどうしたんだい?この辺はあぶねえぞ、熊がで、 る」
男性はもうそこにはいなかった。少女と目があった瞬間、この世界のどこにもいなくなった。男性の立っていたあたりに、かすかに湯気のようなものが立っている。
少女は前に向き直り、空を見上げた。厚い雨雲が支配する空だった。
少女はその空を睨みつけ、鳴り響くような甲高い声で、
「ラ、ラー」と叫んだ。
そして、こだまする自分の声が消えたあと、少女はゆっくりと歩き出した。
もうすぐ、嵐がやってきそうな空だった。
お読みいただいた方、どうもありがとうございました。




