声をかける勇気
彼女と出合ったのは、水曜日の午前中だった。
音楽の授業の前、つまりは小休止の移動教室のおり、偶然見かけたのだ。
彼女が、隣のクラスの三組に所属している事、廊下側の一番前の席に座っている事を同時に知った。
そして、今にも消え去りそうな、弱々しい笑顔の持ち主だと言う事を知った。
僕は友達に話しかける時、偶然にも彼女を視線に捉えただけだ。
出会ったと言う言葉を使うには、一方的かもしれない。
それでも、とにかく、僕は彼女の存在を知ってしまった。
一目惚れをした。
その時から、僕にとって三組は特別な存在になった。
体育の二クラスの合同授業でも、社会見学の偶数奇数クラスで分ける合同授業でも、隣のクラスなのに、僕たち二組と三組は一緒になることは無い。
そんな、近いのに遠い、三組が僕にとっては特別になった。
いや違う。
彼女の存在が、僕の人生経験の中で、異彩を放っていた。
輝かしかった。
初めての出会いから、僕は彼女の存在を調べた。
友達にも聞けない。
聞いてしまったら、全てが終わる気がした。
きっと、彼女は、僕以外から見ても特別だと思ったから。
さりげなく、遠回りに、彼女の情報を調べた。
同時に僕は勉強した。
彼女とコミニケーションをとるためには、特別な技能が必要だと思われるからだ。
普通の高校生が必要としていない能力が必要だった。
勉強をするうちに、何度も不安になった。
僕は今の生活を手放す事になるかもしれない……。
それでも、僕は彼女が好きだった。
この気持ちは抑えきれなかった。
そして。
出会いから二週間後の今日。
僕は彼女に声をかけようと思う。
もしかしてら、僕は……。
両親とも、友達とも、全ての親しい人とお別れする事になるかもしれない。
それでも、声をかけたかった。
彼女の存在は、僕を魅了していた。
昼休みの事だ。
彼女の席。
廊下側、一番前の席に座っている彼女の前に、僕は立っている。
いざとなると言葉が出てこない。
僕はこんなにも確かな彼女への好意を持っているというのに、恐怖が僕を支配する。
負けるな! 男だろ!
周りの疑問の視線も、奇異の視線も無視して、僕は彼女に話しかけた。
「ニーハオ。明日でお別れだね。あ、初めましてだよね。えっと、何言っているのかわからないと思うけど、僕も訳わかんなくなってきた。だから……。単刀直入に言います。僕はあなたの事が好きです!」
彼女の返答は。
「ゴメンなさい」と短かった。
そして、彼女は少し考えてもう一言付け足した。
「私、長い、速い、日本語わからない」と。
僕の勉強は、むなしく成果なかった。
ニーハオしか言えて無いじゃん!
他は日本語だったじゃん!
残念ながらと言うべきかわからない複雑な気持ちなんだけど、僕が中国に旅立つのはもう少し先かもしれない。もしかしたら、そんな日は来ないかもしれない。
それでも今日、僕は彼女とメール友達になれた。
彼女が中国に帰った後も、僕と彼女の関係は終わらない。
いや、元々、関係なんて『一目惚れして遠くから眺めている』程度しかなかったのだけど。
それでも、今日は僕にとって嬉しい記念日になった。
それは、多分、この先もずっと変わらない。