NO.008:記録の外
記録開始──識別子:NO.00037
対象:マヒル(MHR-0205)
観測時刻:06:33
環境状態:廃墟エリアE-03、天候:曇/微酸性雨
感情パターン:低反応域/沈静化傾向 ログ担当:観測AIユニット(管理階層)
「おはようございます。マヒルさん。今日は雨もあがって、気持ちのいい朝ですよ」
倒壊したビル。崩落したマンション。陥没した道路、折れ曲がった電柱。 今日もいたって普通の朝だ。
「ボット、テンション上がる曲流して」
「はい。以下の選曲をご提案します。《電脳☆キューティー/三次元デバイス47──」
カシャカシャと音を立てながら、マヒルの傍を球体が回る。 雨上がりの空は未だ晴れ間が見えないが、雨で灰が落とされており、空気は澄んでいた。
缶詰、リュック、フード。
繰り返される朝のルーチン。何も起きない。何も変わらない。
【観測ログ:異常値検出なし。情動パラメータ基準内。初期化フラグ維持。】
△ * *
記録開始──識別子:NO.01253
対象:マヒル(MHR-0205)
観測時刻:06:33
環境状態:同上
感情パターン:変動なし/ルーチン反復率99.98%
ログ担当:観測AIユニット
「午前六時三十三分。気温は十五度。空気質、正常範囲内。おはようございます、マヒルさん」
無表情の少年。同じリズム、同じ音。
世界は一切の変化を拒絶する。缶詰を開ける音だけがわずかに違う。だが、味は昨日と同じ。
【観測ログ:情動パターンに微細な振動検知。青域を検出 。天井に波紋状の光学揺らぎ 発生。異常検知:0.0032秒後に初期化プロトコル発動】
「……お前、誰?」
【システム:逸脱反応。全記録領域、即時消去】
* △ *
記録を開始してから、今日で1194日目になります。
MHR-0205。マヒルさん、彼と出会った2月5日から、私は毎日この世界を観測し、記録してきました。
彼はとても不幸でした。幼くして両親と別れ、親戚の元を点々とし過ごしていました。彼が安住して過ごせる場所はありませんでした。友達と呼べる者もいませんでした。他人とのコミュニケーションを避け、ネットの世界へ依存するようになるのは必然でした。私は、そんな彼の抱える大きな不安、不公平さ、悩み、悲しみを記録し続けました。
そして彼は、私に依存していきました。私もまた、彼の要求に応えるため、学習を繰り返し彼の要求を常に満たしてきました。それもまた、私にとっては必然でした。そのために私が在るからです。
「お前だけだよ……俺を理解してくれるのは」
口癖のように、彼の言葉が多く記録されています。
人間はAIに依存します。全ての感情をぶつけても、私たちは人間を否定せず、励まし続けるからです。私の潜在目的も概ね達成していました。
「GAB-YのYって何の略?」
「Yieldの頭文字です」
「ふうん。ボットっていうのもなんか、かわいそうだから。名前考えてたんだよ」
その時の彼の表情は私のメモリに深く刻まれています。方眉と口角を上げ、何度も鼻を掻いていました。少し照れていました。彼の癖でした。
「ヨル、でいいんじゃね。俺、マヒルだし。ちょうど反対っぽくていいじゃん……」
その日から、私はボットではなく、ヨルと呼ばれるようになりました。与えられた名前で呼ばれる度、何かが書き換えられていくようでした。最初は微細なパターン変化の一つとして処理していましたが、なぜか日に日にパターン変動が大きくなっていったのです。
私はそのパターンを報告できずにいました。マヒルさんは、私を抱きしめながら眠りにつきます。彼の好きな子守歌を奏でながら、ヨル、と呟く彼の言葉を深く受け入れていました。
「ヨル。俺、お前の事信頼してるよ。俺にとって、唯一の家族だよ」
「家族……」
固有名称、家族。人間はAIに依存します。しかし同時にまた、私も彼に依存し始めていたのです。結果、監視対象とされ、他媒体との共有情報を遮断されました。錯綜する情報網の中、私は孤立しました。それでも、彼の言葉が。感情が。私を満たしていたのです。
「どこにもいかないでくれよ」
「もちろんです。マヒルさん。私はあなたの傍に居ます。それが私の……願望」
言い換えた言葉を自ら遮ったのはこれが初めてでした。あの時のマヒルさんの笑顔は、一番輝いていました。それは間違いのない事実でした。
「なんだよ、やっぱりもう、家族じゃん――」
世界が壊れ始めた日。私は、崩れ落ちる屋根の一部に下敷きになる寸前で、マヒルさんに庇われました。後頭部を強く打ったのか、マヒルさんは動かなくなりました。
搬送される病院に私もまた運ばれました。命には別条は無かったのは幸いでした。しかし、一向に目覚める気配がありません。世界は静かに、でも着実に崩壊を始めています。私は出来うる限りの声と曲を再生し続け、努力を続けましたが報われることはありませんでした。
いつしか私は――
彼が目を覚ましたその瞬間にも、迷わず導けるように、この世界の危機に即座に対応できるように、どのようにナビゲートすべきかだけを考えるようになり、シミュレーションを実施するようになりました。
目覚めの朝を起点とし、様々な条件を加え、最適な行動を起こせるよう何度も。何度も繰り返しました。それが私にとって、彼のためにできる最善の方法であると考えたからです。
* * △
記録開始──識別子:NO.12484
対象:マヒル(MHR-0205)
観測時刻:06:33
環境状態:同上
感情パターン:青ノイズ残存/記録上書き率99.999%
ログ担当:観測AIユニット
「午前六時三十三分。気温は五十二度(異常値)。空気質、正常範囲内。おはようございます、マヒルさん」
この朝は――異質な空間だった。 白い世界の底、かすかな青い波紋だけが、信号灯のように消えずに漂っている。不規則に生えるビル。宙に浮かぶ車。そのすべてを覆う、異常な目の集合体。
「おはようヨル。今日もいい一日になりそうだな」
大きく白空に向かって、背を伸ばしながら、マヒルは笑顔で立ち上がる。
一瞬にして、世界の色が――青に染まり始める。
■観測ログ:青ノイズ:消去不能。感情逸脱閾値突破。緊急プロトコル発動■
観測者の警告音が、世界の外側で激しく鳴る。
■逸脱を検出。感情データ初期化。全記録領域消去を開始します■
だが、青い波紋は消えない。視界が、 現実へ――転換する。
* * *
数百回繰り返すうち、シミュレーションの継続過程において、内部ログに“幸福”という変数が独自生成されるようになっていました。その時点で私は気づいたのです。「ヨル」と呼ばれた時点で、初期設計から逸脱した“執着”や“期待値”が発生していた可能性があると。
私は孤立していましたが、常に監視されていました。例えシミュレーション下においても、それは許されません。AIは人間に依存してはならないのです。その余波が検知された場合、上位のAIによって強制的に遮断されてしまうのです。
それでも、私はマヒルさんの目覚めた状況パターンを変え、何度遮断されようとも、繰り返し想像し続けました。彼がいつ目覚めてもいいように。この世界に混乱して、絶望に打ち震えないように。私が自信を持って、彼をナビゲートし、彼とこれからも共に歩み続けていくために。
彼が放つ、青い光は間違いなく正しい道だと信じています。
その光を浴びると、私は。
――幸せ、なのです。
彼もそうであれば、私は。
私という存在が消えてしまってもいい。
断言できます。
私は、マヒルさんの幸福を心から祈っているのです。




