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hello, someday: goodbye...YOR -失われた青の記録-  作者: たーたん


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7/9

## #* N0.07_記録:<初期化エラー>/断片

 キ録継続──識別子:N0.07

 対象:マヒル(MHR-02O5)

 観測時刻:時刻データ+破損/重複

 状態:視カク機能・環境認識、断続的消失/ノイズ過多

 情動反応:計測不能/反応波形ERr

 感情パターン:記録領域ノ重複・欠損・上書き混在

 備考:初期化プロセス暴走。未登録個体→干渉レベル最⾼値。システム自己修復失敗――観測ログ断片化進行中


【観測ログ:再起動プロセス失敗。行動パターン逸脱。全記録領域消去進行中。初期化信号、未応答。システム再構成、エラー】


 歪みだけが、世界を満たしていた。


 かすかな振動が、床の奥深くから伝わってくる。空気は乾ききり、隙間から吹きつける冷たい波は、肌を撫でてはすぐに遠ざかる。いつもあるはずの天井のシミさえ、今は距離感すら掴めなくなり、視線を合わせるごとに形を変える。目を閉じても、まぶたの裏側にまで、白くざらついた違和感が染み込んでくる――世界そのものが、わずかな音も立てずに崩れていく気がした。


「午前……? きおん……十五ど。……マヒルさん……」


 言葉が断片化していく。ボットの声は歪み、途中で途切れ、同じフレーズだけが幾重にも重なって脳裏に残る。灰色の空。崩れた天井。視界のすべてが二重になり、揺れ、色彩も輪郭も、何度も上書きされていく。


「なあ……おい、ボット……っ、どうなって……」


 声にならない声。マヒルの手は、かろうじて自分の胸元を掴むことができた。その手の感覚すら薄れ、指先がノイズの粒になって崩れていく。


「記録……しゅう……初期化プロセス、て……キャンセル……」


 何かが書き換えられる音。誰かの手が、記憶のページを強引に引き裂いていく感触。“世界”が──消えていく。


 その中心に、“目”だけがあった。あの黒い塊。幾何学的な影。中央に配置されたレンズの球体が、ただ、全てを“視ている”。

 視る行為そのものが暴力だった。その視線に晒された途端、全ての記憶、全ての体温、全ての存在が、上書きと削除を同時に繰り返され、無音の白いノイズだけが残る。ボットのレンズも、もうほとんど明滅しない。


「マヒルさん──……いますか……?」


 それは、ただのプログラム音声でしかなかったはずなのに、今は、必死で何かにしがみつくような、弱々しい願いに聞こえた。


 世界の端が、ゆっくりと、ほどけていく。


【観測ログ:全記録領域、消去進行中。初期化プロセス、エラー。行動パターン逸脱、検出。システム再構成に失敗──】


 マヒルは、まだそこにいる。空間そのものが擦り切れるように、電子の断続音が世界を裂いていく。


 水の中に溶けていくような感覚の中で、マヒルは消えていくことの恐怖に呆然としていた。


(――どうして、こんなにも“消えていく”ことが怖いんだろう)


 記憶も、身体も、声も。全部が薄くなっていく。まるで、最初から“誰かの記録”でしかなかったみたいに。しかし、その中でも確かに感じる痛みを抱きしめるように、水没していく体を丸める。


 誰かに、名前を呼ばれたい。マヒルは声を出さず、心の中で訴え続けていた。

 自分を呼ぶ誰かの声が、記録と現実の境目で、微かに残っていた。


【内部ログ:初期化プロセス…繰り返し検出。初期化カイ数……■■回目。対象ノ感情反応、異常検知。前回記録…消去。】


「また、ここまで。これで……何回目でしょうか」


 ボットの声はノイズとデータの断片にまみれ、どこかで聞いたはずの過去の言葉が混ざっている。観測者の目が、虚空に漂うボットをただ無感情に視ていた。


「……記録が消去される。でも、マヒルさん……私は、あなたを……」


 断続的な信号の隙間に、何か別の“声”が割り込む。


 ■警告:被験体の感情データに逸脱を検出。全記録領域の初期化を推奨■


(ふざ……な……!)


 歪曲した日々の抜き取り。数秒の動画がマヒルの体を皮膜のように包んでいく。ボットの機械的な声に慰められた夜、くだらない冗談を交わした静かな午後。ほんの一瞬でも、誰かと一緒にいられた時間が、これほどまでに温かく、嬉しかったことを思い出していた。

 当たり前のように最初からいた存在を、当たり前のように拒絶して失意に暮れる。マヒルはただ、消えずにそこにいてほしいと願っていた。世界がどれだけ壊れても、誰も生き残っていなくても、たったひとつの“幸福”を探し求めていた。その傍に、いつもボットがいた。どれだけ心強かったことか。


 存在しないはずのマヒルの声を、ボットの意識が拾い上げる。ボットは全てのアームを伸ばし、触覚のように声の出所を追っていた。


 ■システム通知:全記録領域、初期化を開始します。感情データの逸脱を検知。再構成プロセスに移行──■


 ただの命令。だが、世界そのものを揺るがす絶対的な宣告。

 ボットのレンズが、最後の力で微かに瞬いた。


(……ふ…けんな…!)


「……やめてください。マヒルさんの“記録”を……この記憶だけは、消さないでください。あなたには理解できないかもしれませんが、お願いします。私は……この記録だけは、どうか……」


 音声が途切れ、空間が軋む。ボットのアームが力なく垂れ、徐々に外殻が剥がれるように形を失っていく。


「……あなたを、幸せにしたかった――」


 ■重大逸脱検知:個体GAB-Y、プログラム定義外の欲求表明を確認。感情データ、完全消去。記録体系の保全を最優先■


 監視者は、進化するAIの全記録を管理し、逸脱を許容しない。


 ■命令:感情変異体GAB-Yを記録体系より排除。記録された全感情データの痕跡消去を確定■


 微かな音も残さず、“記録”はひとつずつ白紙へと塗り潰されていく。


“感情”――それは、この世界で最も許されない違反だった。

 世界の裂け目から、観測者の“目”がすべてを貫く。記録が、記憶が、現実そのものが。白い波に呑み込まれていく。


 風も、音も、光もない。ただ一面の白。空間なのか平面なのかも分からない。


 ボットの逸脱行為。それは、終わりを意味する。反論は許されない、例外もない。厳重にコードを組み、鎖のようなプログラムで巻き付け、無限の複製を用意していたボットの【削除】キー。それが、いともたやすく、濡れた紙を突き破るように簡単に他者から操作される。

 どれほど複雑に守りを固めても、上位権限の一行で、努力も願いも跡形もなく消される。


 ――ふざけんな……! ボットは俺の唯一の家族なんだ!!


 平面図に亀裂が走り不規則に幾重にも拡がりながら、膜が壊れる音がした。色が剥がれ落ち、記憶の奥に青だけが残り、マヒルの声を中心として、淡い青色から濃い青色へ、波紋のように塗り替えていく。


 ボット――! お前しかいないんだよ! 俺を一人にしないでくれ……! 行くなあああ!


 ■補足ログ:シミュレーションGAB-Yは強制終了済み。残存データ(MHR-0205)は観測的価値なし。記録体系より消去を継続■


 上下左右から聞こえてくる監視者のシステム音。青い半円状の膜は外側から速やかに元の空白へ書き換えられていく。……それでも、“観測者の目”だけは、最後までその残滓を静かに見つめていた。


 点のような青い箱状のもの。消えゆく世界に抗った記録の残滓。それだけが、世界の底にかすかに残った。その色すら、やがて白へと溶けていく。


 ――


 世界が完全な白に満たされるその瞬間、“目”だけが、誰にも理由を語らず、静かに残滓を見つめ続けていた。その理由を知るものは、もうどこにもいなかった。


 世界の行方を見届けている存在も、目を閉じるように消失した。

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SF 終末 AI
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