第19話:暴走した精霊
アッシュ、シエル、クロエ、そしてエルフの女性リフィアの4人は、エルフたちの故郷の森へと向かっていた。
町を離れるにつれて、道は舗装されておらず、獣道へと変わっていく。
「なぜ、彼はこの世界に絶望してしまったのでしょうか…?」
クロエが不安そうにリフィアに尋ねた。
リフィアは悲しそうな顔で首を横に振る。
「先日彼の恋人が事故でなくなったんです。それは不慮の事故だったんです。川に水を汲みに行った時に誤って足を滑らせて川に落ちてしまったのですが、その時は大雨の直後で川はまだ流れが急でした。」
「それは…」
3人はその悲劇に言葉をなくす。
「彼は悲しみ、そして彼女を助ける事ができなかった他のエルフ達を恨みました。それからしばらく彼は自分の家に引きこもっていたのですが…」
そこまで話してリフィアは言葉を止める。
「リフィア?」
「…心配になったエルフの一人が彼の家の中に入った時、彼は決して手をつけてはいけない魔術の準備をしていました。」
「手をつけてはいけない?」
「はい、それが精霊を無理矢理操る魔術です。」
彼女が亡くなったのはあくまで事故であり、誰かが殺したわけではなかった。
むしろその場にいた全員がなんとかならないか考えたであろう。
だが、彼にとっては彼女を助けなかった者全てが恨みの対象になったのだ。
そして、どこかで捻じ曲がったのかこの世界全てを恨むようになったのだろう。
後ろのシエル達の会話を聞きながらアッシュは黙って前を歩いていた。
彼の表情は、騎士だった頃のように、目の前の困難に立ち向かう決意に満ちていた。
「どんな理由があっても、そいつを止めないといけない。俺達はそのために森に向かうんだ。」
アッシュの言葉にシエルもクロエも頷いた。
やがて、彼らは森の入り口にたどり着いた。
しかし、そこはリフィアが語るような、豊かな森ではなかった。
木々は葉を落とし、地面は不自然に枯れ果てている。
鳥のさえずりも、虫の羽音も聞こえない。あたりは不気味なほど静まり返っていた。
「おかしい…こんなはずでは…」
リフィアは信じられない、という表情で立ち尽くした。
その瞬間、クロエは強い違和感を覚えた。
(これは…!すごいマナの量…でも、なんだか苦しそう…!)
クロエは、町で感じ取ったマナの痕跡が、この森全体に広がっているのを感じた。
それは通常の精霊魔法とは全く異なり、まるで悲鳴を上げているかのように不規則で不安定だった。
「このマナの流れ…やっぱり普通とは違います。何か苦しんでいるような感じがします。」
「クロエ、そんな事までわかるのか?」
「学院時代に精霊魔法も少しは勉強したんです、エルフの皆さんほどではないですけど、多少は精霊と声を交わせるようにはなっています。」
クロエの言葉に、リフィアは愕然とした顔で頷いた。
「私にも分かります。これは精霊の力そのもの。非常に苦しんでいる…助けを求めているようにも聞こえます。」
アッシュ達は淀んだマナの流れを追うように森の奥へと足を踏み入れた。
進んでいくにつれて、彼らの前に奇妙な光景が広がっていった。
木々はさらに枯れ、不自然なほどに歪んでいる。
彼らがさらに奥へと進むと、巨大な岩でできた祭壇のような場所が見えてきた。
その祭壇の中心には、何かがうごめいていた。
それは、苦悶に顔を歪ませた巨大な精霊が、悲痛な叫びを上げ、激しく身をよじらせている姿だった。
その精霊の体からは、不自然な紫色の光が漏れ出し、淀んだマナとなってあたりに広がっていた。
「あれは…精霊様…」
リフィアは震える声で呟いた。その目に宿る悲しみと畏怖を見て、クロエが尋ねた。
「リフィアさん、あの精霊は?」
リフィアは、まるで自分自身に言い聞かせるように、ゆっくりと語り始めた。
「あの方は、この森の精霊、ルミナス様です。私たちエルフは、何世代にもわたって、ルミナス様の恵みを受けて生きてきました。森の生命力そのものであり、私たち一族にとって、信仰の対象であり、家族のような存在なんです…」
ルミナスの体には、何本もの禍々しい魔力の鎖が巻き付けられ、その生命力を強制的に吸い上げていた。
精霊は、耐え難い痛みと苦しみにもがき、時折、絞り出すような悲鳴を上げていた。
「あれは…やはり禁忌の魔法!」
リフィアは、精霊を縛る鎖の禍々しい光を見て、愕然とした表情で呟いた。アッシュがその言葉に反応する。
「禁忌の魔法? それが精霊を操るって魔法か?」
アッシュの問いに、リフィアは震えながら答えた。
「はい。精霊の力を無理やり操り、その命そのものを吸い取る、一族の禁じられた魔法です。この魔法を使った者は精霊への冒涜と見なされ、一族から追放されることになっています。彼はこれをやろうとしたため追放されました。」
その時、祭壇の陰から一人の男が現れた。
エルフ特有の尖った耳を持つが、その顔には深い憎悪が刻まれている。
男は、祭壇に近づくアッシュたちに気づくと、眉をひそめた。
そして、アッシュの後ろにいるリフィアの姿を認めると、その目にさらなる憎悪の色が浮かんだ。
「…リフィア、なぜお前がここにいる。その一緒にいるやつらは何者だ?」
男は、町へ逃げてきたリフィアたちが、なぜ人間と行動を共にしているのか、訝しむように呟いた。
「町に逃げた臆病者どもめ。人間に助けを求めたか。」
男は嘲笑するように言った。リフィアは信じられない、という表情で男を見た。
「クルーディオ! やっぱりあなただったのね!」
リフィアの驚愕の問いに、クルーディオは歪んだ笑みを浮かべ、残酷な答えを返した。
「すべて俺の計画通りだ。精霊の力を利用し、俺を追放した一族を滅ぼしてやった。いよいよ次はこの世界そのものを滅ぼす時が来た。」
その言葉を聞いたリフィアは、信じられない、という表情で立ち尽くした。
故郷に残った同胞たちが、いつか無事に再会できると信じていた彼女の心は、絶望の淵に突き落とされた。
彼女の瞳からは涙がこぼれ落ち、やがてその絶望は激しい怒りへと変わった。
「…あなた、本当にあの禁忌の力を…! ルミナス様は、一族の力そのものなのに…!」
リフィアは、精霊を縛る禁忌の魔法を悲痛な表情で見つめる。
「そんなにこの世界を憎んでしまったの…?」
リフィアの言葉に、クルーディオは苛立ったように精霊を操る。
精霊は、さらに激しく身をよじらせ、苦しみの咆哮を上げた。
その時、クルーディオの顔に、一瞬だけ深い苦しみがよぎった。しかし、すぐにその表情は変わる。
「…ああ、これも、全部お前たちのせいだ。俺を追放したお前たちが、彼女を救えなかった。俺は、お前たちに彼女を奪われたんだ! だから、こんな世界は、消えてしまえばいい…!」
クルーディオは、自分自身を納得させるように叫んだ。
「お前たち人間も邪魔だ! 精霊の力で消し去ってやる!」
クルーディオが精霊を操ると、ルミナスは巨大な腕を振り上げ、鋭い爪をアッシュたちに向けて襲いかかってきた。
「させるか!」
アッシュは剣を構え、ルミナスの攻撃を迎え撃つ。
だが、ルミナスの力は想像を絶していた。
アッシュがなんとか攻撃をしのぐ中、シエルが素早く指示を出す。
「アッシュ、精霊をなんとか抑え込んで! クロエ、リフィア! 二人の力であの呪縛をなんとかできないの!?」
クロエとリフィアは互いに顔を見合わせ、頷いた。
「クロエさん、力を貸してください!」
「分かりました!」
二人は呪文を唱え始め、それぞれの魔力と精霊魔法を合わせて浄化の光を放つ。その光は、祭壇のマナを少しずつ浄化していく。
クルーディオは、その光が自らの魔法を蝕んでいくのを感じ、焦りを募らせた。
彼の意識は、アッシュではなく、精霊を解放しようとする二人に集中していく。
「やらせないぞ!」
クルーディオは、ルミナスから吸い上げた紫色のマナをさらに濃くして、二人の放つ光の前に障壁のようにぶつけた。
アッシュが精霊の巨大な腕を剣で受け止めている隙に、彼はクロエとリフィアを狙っていたのだ。
その一瞬の隙を、アッシュは見逃さなかった。
ルミナスに意識を集中させていたクルーディオが、クロエとリフィアの妨害に気を取られた瞬間、アッシュは精霊の攻撃をかわす。
そして、ルミナスの横をすり抜け、クルーディオとの距離を一気に詰めた。
クルーディオは慌てて精霊を操り、アッシュを迎え撃とうとする。
しかし、アッシュの剣がクルーディオの懐に飛び込んだ。
クルーディオは血を吐き、膝をついた。
アッシュは剣を素早く引き抜く。
クルーディオは痛みに顔を歪めながらも、その憎悪に満ちた目でアッシュを睨みつけた。
「くそ…覚えていろ…!」
彼は悪態をつき、残った魔力を一時的に爆発的に解放すると、その隙に森の奥へと逃げ去っていった。
祭壇から解放された精霊はその姿を消した。
「ルミナス様…」
リフィアは祭壇の前にそっと跪き、祈りを捧げた。
その瞳からは、悲しみと安堵の入り混じった涙がこぼれ落ちる。
「浄化は成功しました。この森のマナも、少しずつ戻っていくと思います。」
クロエが安堵の息をついた。
アッシュは血のついた剣を鞘に納め、静かに立ち尽くしている。
「クルーディオは、また現れるのかしら…?」
シエルの問いに、アッシュは静かに首を振った。
「その時は、また戦うまでだ。だが今は俺たちの役目は終わった。ここからは、リフィアさんたちの仕事だ。」
リフィアは立ち上がり、アッシュたちに深々と頭を下げた。
「本当に、ありがとうございます。あなた方がいなければ、ルミナス様も、そして残った私たちの一族も…」
言葉にならない感謝の気持ちを、彼女は目にいっぱいの涙を浮かべて伝えた。
アッシュは、そんな彼女に優しく微笑む。
「これで町にいる皆も、安心して暮らせるな。」
こうして、一行はエルフの森を後にした。
森には、精霊の安らかな寝息と、少しずつ戻り始めた生命の兆しが満ちていた。
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