第16話:真夏の夜の悪夢
今年の夏は猛暑だった。
古代文明の遺跡から作られた冷房機が飛ぶように売れたが、夜になっても熱は引かず、何でも屋の事務所も例外ではなかった。
「あづい......」
アッシュはあまりの暑さにベッドから起き上がった。
3つ導入している冷房のうち、アッシュの部屋のものがまさかの故障。
シエルに修理をお願いしたが、「今日は疲れてるから明日ね」という悪魔のような返事をされてしまった。
「あああぁぁぁ!」
耐えきれず部屋を飛び出す。
事務所の共用部分は、夜は電気が使えないようにシエルにいじられている。
以前、アッシュが電気をつけっぱなしでソファで寝ていたため、シエルが怒って設定したのだ。
「ったく......どうすりゃいいんだよ......?」
あまりにも暑すぎるせいで、アッシュの頭はぼんやりとし始めていた。
おもむろに剣を持ち出すと外へ出て素振りを始める。
外で動けば涼しくなるのではないかと考えたのだ。
しかし、当然それは逆効果だった。
体がさらに熱くなり、汗がとめどなく流れ出す。
それでもアッシュは、無意識のうちに剣を振り続けた。
熱でぼんやりとした頭は、ただひたすらに体を動かすことしか考えられなかったのだ。
「くっそおおぉ!」
剣を放り投げると、アッシュはその場で大の字に寝転んだ。
地面がわずかに冷たいのが気持ちいい。
しかし、そんなものは誤差の範囲。
すぐにアッシュの熱を吸収したのか、地面が熱くなった。
「こんなことならクロエについていけば良かった......」
クロエは夏になり暑くなり始めた頃、突然実家に帰ってしまった。
なんでも避暑地の別荘で過ごすらしい。
「アッシュ様も一緒にどうですか?」と誘われたのだが、人の実家についていくなど、何を誤解されるかわからないと断った。
しかし、今はその判断をした自分が憎らしい。
「......こりゃ無理だ。こういう時は酒でも飲むに限る。」
アッシュは部屋に戻り財布を持つと、夜の町へと繰り出した。
夏のせいか、夜遅い時間でも町の明かりは消えていない。店の軒下では、住民たちが酒を飲んだりして騒いでいる。アッシュはまっすぐに酒場へと向かった。
酒場には町の住民だけでなく、どこから来たのか冒険者と思われる集団もいて、大盛況だった。
本来、冒険者は危険な場所や遺跡の調査、モンスターの討伐を生業としている。
危険もへったくれもないこのルミナの町とは縁が遠い存在だったはずだ。
「今日は一体何が起きてるんだ?」
カウンターに座ると、アッシュは店主に話しかける。
「なんでもルミナの南にモンスターの大群が出たらしいぞ。あの冒険者どもは、それの退治に王都から来たらしい。」
「ほー、そりゃご苦労なこった。」
エールを注文し、手元に届くや否や一気に飲み干すアッシュ。
「やっぱ暑い時は酒に限るよな。おやっさん、お代わり!」
「あんまり飲むとシエルに叱られるぞ。」
以前、アッシュが飲みすぎて店の他の客と喧嘩をしたことがあった。
その時、「うちの名前に傷をつける気か!」とシエルに散々怒られたのだ。
「平気だよ。今日は飲む量は気をつけるから。」
持ってこられた2杯目のエールに口をつけていると、急に後ろのテーブル席がやかましくなった。
「なんだ?」
アッシュが振り向くと、どうやら冒険者の一人と住民の若い男が揉め始めたようだった。
「お前もう一回言ってみろ! 俺たちが来なかったらこの町にモンスターどもが来るかもしれなかったんだぞ!」
「やかましい! だからって偉そうにしてんじゃねえぞ! この店はみんなが飲む場所だ! お前らだけの場所じゃねえんだ!」
どうやら冒険者が何かを言ったようだ。
それを住民が怒ったのだろう。
状況はあまり良くない。
今にも冒険者たちと住民たちの大喧嘩が始まりそうだった。
「......ったく仕方ねえな。」
アッシュは飲みかけのエールを置くと、立ち上がって二人の間に割って入る。
「はいはい、みんな気持ち良く飲んでるんだから喧嘩はやめろよ。」
「アッシュ、そこをどけ! こんな奴らいっぺん痛い目見ないと分からねえんだよ!」
住民側をなだめようとしたが、どうにも収まらない。冒険者側はというと、様子がおかしい。
「......アッシュって、あのアッシュか......?」
「王都で100人もの冒険者をなぎ倒したっていう、あの『暴れ牛のアッシュ』じゃねえのか......?」
「騎士団で部下の服を無理やり剥がして、裸で王都を走らせたっていう『鬼教官アッシュ』だろ......」
散々な言われようだ。
しかも、ほとんどがデタラメである。
アッシュは呆れてものが言えなかった。
鬼教官だなんて、訓練で少し厳しく指導しただけだ。
服を剥がすなんて、そんな馬鹿なことをするわけがないだろう。
「お前ら......俺のことをなんだと思ってるんだよ。」
あまりにもな言われように、アッシュは呆れてしまう。
冒険者たちの方に振り向くと、全員がビクンと固まった。
「お前ら、モンスターどもを倒してきて盛り上がってるんだろうけど、ここは町の皆も飲む場所だ。あまり調子に乗るんじゃないぞ。」
アッシュが自分たちの味方をしてくれていると思ったのか、住民側から「そうだそうだ!」と声が上がる。
「......ってか、誰か噂のアッシュの顔を見たことあるか?」
冒険者の一人が他の者に尋ねる。
「そういや確かに見たことないな。」
「ひょっとしてこいつ、ただの同名の奴なんじゃないか?」
その一言で、再び冒険者たちもヒートアップしてしまった。
「考えてみりゃ、こんなところにあのアッシュがいるわけねえだろ!」
「そうだ! 誰だか知らねえが、部外者は引っ込んでろ!」
冒険者の一人がグラスをアッシュに投げつける。グラスはアッシュの腕に当たると、パリンと割れた。
「てめえらアッシュに何しやがんだ!」
「ああ!? 関係ない奴が入ってくるのが悪いんだろ!」
お互いにもうどうにも止まらなくなってしまった。
町の住民たちがアッシュを押し退け、冒険者たちに殴りかかる。それを合図に大乱闘が始まった。
「落ち着け! 店の中で暴れるな!」
必死に喧嘩を止めようとするアッシュ。
だが、冒険者側が投げた椅子が偶然当たったことで、アッシュの堪忍袋の緒が切れた。
「......お前ら、ふざけるなよ!」
大乱闘の中に入っていくと、アッシュは誰彼構わず殴り始めた。
そして、近くにあったテーブルを持ち上げると、乱闘の中に投げ込む。
もうこうなってしまったら、アッシュは誰にも止められない。
住民たちも冒険者たちも、アッシュを恐れて逃げ回る。
「やめてくれアッシュ! 俺たちが悪かったから!」
「アッシュって、やっぱりあのアッシュじゃねえか! なんでこんな所にいるんだよ!」
逃げ回る住民や冒険者を捕まえると、投げ始めるアッシュ。暑さとイライラと酒で、アッシュの頭は血が上ったままになっていた。
「おい、誰かシエルを呼んでこい!」
店主が悲鳴のように声を上げる。それを聞いて、ウェイトレスが飛び出していく。
酒場はまさに修羅場と化していた。
寝ていたところを突然呼び出され、酒場へとやってきたシエルは頭を抱えた。
アッシュは何人もの相手に大暴れしているところだった。
「アッシュ! 何してるのよこの筋肉バカ!」
シエルの怒声に、アッシュの動きが止まる。
「し、シエル……!? どうしてここに!?」
「酒場のウェイトレスに呼び出されたのよ! てか、また何を暴れてるの!?」
シエルに怒られ、アッシュは途端におとなしくなる。
その様を見ていた冒険者たちは、「あのアッシュを止められるなんて、あの姉ちゃん何者だよ……?」とざわめく。
「違うんだよシエル。これには訳が……」
「やかましい! ここの弁償代はあんたの給料から引くからね! あと、おやっさんに謝りなさい!」
シエルに怒鳴られたアッシュは、店主に謝罪する。
「ほら、帰るわよ!」
シエルに首根っこを掴まれ、アッシュは引きずられていく。
嵐が去った酒場は、今までにないほどの静けさに包まれていた。
まるで、嵐が過ぎ去った後の嵐の目のような、異様な静けさだった。
店の明かりだけが、破壊されたテーブルや散乱したグラスを照らしている。
この光景を見て、店主は深くため息をついた。
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