第15話:悲恋の魔術師
夜明け前の、まだ薄暗い森の中。
アッシュ、シエル、クロエの三人は、微かな朝日を浴びながら、森の奥深くへと足を踏み入れた。
シエルの推論通り、ディノ・ラグジーは再びこの場所に戻ってくるはずだった。
「この先にマナの流れが強くなっている場所があります。きっとディノ・ラグジーはそこにいます。」
クロエが緊張した面持ちで告げる。
アッシュは剣の柄に手をかけ、シエルは弓を構えた。
三人が進むと、森の中に不自然なまでに空間が開けている場所が見えてきた。
その中心には、一人の男が立っていた。
男は魔法陣に集中しており、アッシュたちの接近に気づいていないようだった。
「ディノ・ラグジー。」
アッシュが静かに男の名を呼ぶと、男はビクリと肩を震わせ、ゆっくりと振り返った。
痩せ細った顔には疲れの色が浮かんでいたが、その瞳は狂気的な輝きを放っている。
「……何者だ、貴様らは。」
ディノは警戒したように問いかけた。
「覚えてないのも当然だな。6年前、お前が学院から魔術の本を盗んだ時に追い詰めた騎士だよ。」
アッシュが名乗ると、ディノは一瞬顔を曇らせた。
「……あの時の……! まさか、こんな場所で君と再会するとはな。あの時は危うく君に捕まるところだったな。」
ディノは不敵な笑みを浮かべた。
彼の足元には、巨大な魔法陣が描かれ、その中心には、枯れ果てた植物の塊が置かれていた。
「答えろ! ここでお前は何をしようとしている!」
アッシュが叫ぶと、ディノは悲しみを押し殺すように、狂ったように笑い出した。
「私は6年前に失った愛する人を蘇らせたい、それだけだよ。そのためにこの森の生命力を借りるだけだ。」
ディノは魔法陣に手をかざす。すると、枯れた植物の塊が淡く光り始めた。
「待ちなさい! そんなことをしたら、この森が滅びてしまうわ!」
シエルが叫び、弓を構える。しかし、ディノは動じない。
「私はもう、道を踏み外した。愛する人を救うためなら、どんな禁忌も犯す。それに、この森は、昔彼女とよく来た場所だ。彼女を蘇らせるのに、ここ以外に考えられなかったんだ。」
ディノの言葉に、アッシュとクロエは息をのんだ。
彼の行動は、純粋な悪意からではなく、悲痛な愛から来ていたのだ。
「悪いがそんなことはさせる訳にはいかない!」
アッシュはディノに向かって走り出す。
しかし、ディノはアッシュの動きを予測していたかのように、魔法陣から黒い稲妻を放った。
アッシュは咄嗟に剣で受け止めるが、強烈な魔力に体が吹き飛ばされる。
「アッシュ様!」
クロエが叫び、アッシュに駆け寄ろうとするが、シエルが制止する。
「クロエ、落ち着いて! 彼の魔力は強力すぎる! 下手に動いたら二人とも危ないわ!」
シエルはクロエを下がらせるとすぐさまディノに矢を放った。
矢は風を切り、ディノの心臓を狙って飛んでいく。
だが、矢はディノの数メートル手前で不自然に動きを止めると、まるで透明な壁に阻まれたかのように、そのまま地面に落ちた。
「無駄だ。私には魔力障壁が張ってある。君たちの攻撃は私には届かない。」
ディノは冷酷な笑みを浮かべたまま、再び魔法陣に力を注ぎ始める。枯れた植物の塊は、さらに強く光り、今にも命を宿そうとしていた。
「くそっ……!」
アッシュは立ち上がり、剣を握りしめる。
彼は、このままではまともに攻撃が通じないことを悟っていた。
このままでは、ただ時間だけが過ぎていく。
しかし、諦めるわけにはいかない。
その時、クロエがアッシュの前に立ち、静かに目を閉じた。
「アッシュ様、私に任せてください。」
「クロエ? 何を…」
クロエは、手のひらから淡い光を放ち、その光はアッシュの剣に吸い込まれていく。
「これは、私のマナを込めたものです。アッシュ様、この力を使ってください!」
クロエの顔は、みるみるうちに蒼白になっていく。
彼女は、自分のすべてのマナをアッシュに託そうとしていた。
「クロエ、そんなことをしたら…!」
シエルが叫ぶが、クロエは微笑んで首を振った。
「私の力は、アッシュ様のためにあるんですから。」
アッシュは、クロエの思いを受け取り、剣を構えた。剣からは、まばゆい光が放たれている。
「ディノ! 命を奪って、救える命などない!」
アッシュは光を放つ剣をディノに向かって突き出した。
剣がディノの魔力障壁に触れると、激しい火花が散り、剣と障壁が互いに拮抗する。
ディノは魔力障壁を維持するために、顔を歪ませて力を振り絞っていた。
「くっ…….! まだだ、まだ終わらない!」
ディノは魔法陣からさらに魔力を吸い上げ、障壁を強化しようとする。
だが、クロエのマナを宿したアッシュの剣は、彼が想像していた以上の力を持っていた。
剣から放たれる光が、ディノの魔力障壁にひびを入れていく。
「ディノ、もうやめろ!」
アッシュは力を込めて叫び、剣を押し込む。
次の瞬間、魔力障壁はガラスのように砕け散り、その衝撃でディノの体は吹き飛ばされ、地面に力なく倒れた。
「うわあああぁぁぁ!」
ディノの狂気的な叫び声が森に響き渡る。
ディノの体から黒い魔力が噴き出し、魔法陣は砕け散った。
アッシュが剣を下ろすと、倒れたディノを見つめる。
彼の目からは、狂気の色が消え、ただただ絶望が滲み出ていた。
「……俺は…彼女を……生き返らせたかっただけなんだ……」
ディノの言葉に、アッシュは何も言えなかった。
しかし、その顔には、彼への哀れみが浮かんでいた。
その時、クロエがふらりと地面に倒れ込んだ。
シエルが慌てて駆け寄り、その体を支える。
「クロエ! 大丈夫!?」
「すみません、少し、マナを使いすぎたみたいで……」
クロエは弱々しく微笑むと、意識を失った。
シエルは彼女の蒼白な顔を見て、静かにアッシュに告げた。
「アッシュ、クロエを先に連れて帰って。あとは私が何とかするから。」
「分かった。先に事務所に戻ってるぞ。」
アッシュはクロエを抱き上げ、町へ向かって走り出した。
シエルは、その場に残ったディノの元へ近づき、彼の腕を縄で縛ると、憲兵隊を呼ぶために笛を吹いた。
後日、ディノは王都の憲兵に引き渡された。
アッシュとシエルは依頼の報酬を受け取り、クロエとともに事務所に戻ってきた。
「クロエ、本当にありがとう。君の力がなければ、俺たちはディノを止められなかった。」
アッシュが頭を下げて礼を言うと、クロエは嬉しそうに微笑んだ。
「いえ! アッシュ様の剣、すごくかっこよかったです! やっぱり、騎士だったアッシュ様と変わっていなかったです!」
クロエの純粋な言葉に、アッシュは少し面食らった。
彼女は、自分の苦い過去を褒めているわけではない。
ただ、目の前の勝利が、騎士だった自分自身の力によるものだと素直に信じているだけなのだろう。
その純粋な眼差しが、アッシュの心に長年のわだかまりを溶かしていくのを感じさせた。
「そういえば、クロエ、これからどうするの?」
シエルが尋ねると、クロエはにこやかに答えた。
「私、アッシュ様のそばで、もっと色々なことを見てみたいんです。ですから、しばらくこの町で暮らそうかと……もちろん、何でも屋の仕事のお手伝いもさせてほしいです!」
シエルは一瞬、眉をひそめたが、すぐに柔らかい笑顔になった。
「そう。分かったわ。じゃあ、まずはこの事務所の掃除からお願いね。」
クロエは「はい!」と元気よく返事をした。
アッシュの心に、長年抱えてきた苦い過去のわだかまりが、少しずつ溶けていくのを感じていた。
この町で、大切な人々の笑顔を守るために。
それは、アッシュ、シエル、そして新たな仲間となったクロエの、新しい日々が始まる、穏やかな合図だった。
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