12
黒曜は、もう何日もまともに目を合わせてくれない。
さくらが声をかけても、距離を取られる。触れようとすれば、そっと避けられる。
その理由を、さくらは知らなかった。
ただ、胸の奥が、壊れそうなほど痛い。わけもわからずに避けられるままなのは嫌だった。
感情が爆発した。ずっと、ずっと、さくらを見てくれない黒曜。苦しくてたまらないのだ。胸が切り裂けそうな程に愛しさと苦しみと、悲しみがある。
だから黒曜の背中を見た瞬間に駆け寄り抱きついた。
「どうして!? どうして私を見てくれないの!?」
さくらの瞳からは絶え間なく涙が零れ落ちる。黒曜の白い軍服が淡く色付くのも構わずに。
「私は黒曜と離れたくない!!」
だって、この感情は、なんだ? わからない。わからないけど、独占欲だ。これは――欲だ。
黒曜の身体が、はっきりと強張った。
逃げようとするでもなく、突き放すでもなく、ただ、動けなくなったみたいに。
しばらくして、震える声が落ちた。
どうして?
「さくら」
その声は、いつもより低く、いつもより壊れそうだった。
「……俺は、知ってしまった」
黒曜は、笑っていなかった。
初めて見る顔だった。
兄の顔でも、天使の顔でもなく――ただ、一人の“誰か”の顔。
「俺たちは、もう……ずっと前から、間違っていたんだ」
ぐっと唇を噛む黒曜。
「俺のしたことは、逆効果だったんだな」
黒曜の瞳がさくらへの愛しさを、隠しきれていない。
黒曜の言葉は、さくらの中で、ひとつずつ意味を持ち始めていた。
「近づくと、壊れてしまう」
「離れたくないのに、離れなきゃいけない」
それは――ああ。これは。恋だ。
さくらと、黒曜の、恋心だ。
その瞬間だった。
胸の奥で、何かが弾ける音がした。
視界が歪み、身体の輪郭が、曖昧になる。
身体が崩壊していくのを混じる。
恋――これがトリガーだった。
「……さくら」
黒曜は、崩れ落ちそうなさくらを抱きとめた。
彼はやっと、逃げるのを、やめたのだ。
「……あはは、変なの。……あんなに黒曜が、私を避けて……守ろうとしてくれたのに。……私の方から、見つけちゃったのね。……この痛みが、恋なんだってこと。……ねえ、黒曜。私を、ひとりに……しないで……」
縋るさくらを黒曜が強く強く、骨も軋むほど抱きしめる。もう離さない、そう言いたげに。
「俺が弱かったせいだ……。すまない、さくら。……もう、何も怖がらなくていい。神様が用意した恋をしない“完璧な俺たち”なんて、終わりだ」
そのときだった。
どこからともなく、冷たい声が落ちてきた気がした。
「いい気味だ」
悪魔が笑っていた。
それは、初めての光景の“はずなのに”、どこか懐かしい声だった。
嘲笑ではない。怒りでもない。
――結果を知っていた者の声。
「また、同じところで壊れたね」
そして世界が、白く、反転した。
・・・
桜色の髪が風に遊ばれる。きっちりした白を基調とした正装を纏い、短パンから覗く足は瑞々しくも惜しげ無く出されている。彼女は澄んだ空色の瞳で皮肉げな青年に声をかける。
「はじめまして私はさくら! こっちは兄の黒曜。よろしくね」
「……アルノルト、死神だ。俺はよろしくする気なんかないから、勝手にしろよ」
「感じ悪いわね! アルノルト!」
どこか苦しげな顔で、死神は天使を眺めていた。
またかよ、とは言葉にされなかった。
――何度目だ。
何度、この組み合わせを見送った。




