11間章
「あれま」
妹が、つまらなさそうに頬杖をついて言った。
遠くに見る空は今日も綺麗だ。神の庭は相変わらず整いすぎていて、吐き気がするほど清潔だ。あの場所には還りたくない。
「黒曜ったら、ちゃんと避け始めたみたいねー?」
視線の先には、白い建物と、その中を歩く天使たちの気配。
直接見えなくても、わかる。あのふたりの距離感くらい、手に取るようにだ。
「うん。うん。黒曜くん、いい感じに壊れてきているな」
兄は愉快そうに笑った。
黒い羽が揺れる。彼は楽しそうなときほど、声が柔らかくなる。妹はうっとりと聞きほれる。彼女にとってこの瞬間がたまらなく好きなのだ。
「守りたいものがあるほど、勝手に自滅してくれる」
「やめなよー、兄さん。そんな言い方」
そう言いながら、妹はきゃらきゃらと笑っていた。
「でも――」
ふっと、妹が視線を細める。
「思ったより、早いわ」
「ああ。妹くんの保護プログラムの調整、うまくいったみたいだ」
兄は肩をすくめる。
「ほんの少し、“自覚しやすくした”だけなのに。神様の設計って、ほんと脆いな」
恋をしていると自覚する速度。
それだけを、ほんの少しだけ、弄った。
それなのに。
「もう胸が痛くてたまらない、か」
妹はくすりと笑った。
「かわいいわね、あの子。自分が何に苦しんでるのかも分からないまま、壊れていくの」
「さくらは特に素直だよ。守られることに慣れすぎている」
兄は、遠くを見るような目で言った。
妹は頬を緩める。つんつんと兄の腕をつつく妹。
「それで、黒曜は?」
「順調」
兄は即答した。
「距離を取るほど苦しくなってる。けど、近づくよりマシだと思ってる。――最高の状態だ」
「さくらを想うと離れなきゃいけない。でも離れると苦しい。なんて哀れなのかしら?」
妹は嬉しそうに笑った。
遠くで、何かが歪む気配がした。
ほんの一瞬、空間がざらつくような、微かなノイズ。
「あ」
妹が言った。
「今、また来たわね」
「うん。感情が臨界に近づいてる」
兄は楽しそうに言う。
「はは、またプログラムが走ったのか。今度はどの記憶を削られたんだろうな」
「まだ保護が残ってる証拠ね」
妹は指先で空をなぞる。
「でも――」
くすり、と笑う。
「もう遅いわ」
「うん。もう、知っちゃったから」
兄は、まるで祝福するように言った。
「一度、“欲しい”って思った心は、なかったことには戻れない」
妹は兄の腕に絡みつく。
遠くの神の庭では、天使が今日も、何も知らずに息をしている。
壊れる運命の中で、何も知らずに。
兄は妹の額に口づけて、微笑む。
ふたりは手を繋ぎ、黒い羽を揺らしながら言った。
「「ままごとを続ける神様に、ささやかな反逆を」」




