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天使よ、清廉であれ。
天使よ、神の徒であれ。
天使よ、恋することなかれ。
桜色の髪が風に遊ばれる。きっちりした白を基調とした正装を纏い、短パンから覗く足は瑞々しくも惜しげ無く出されている。彼女は澄んだ空色の瞳で“彼”を盗み見る。
黒い前髪が彼の目元で遊んでいる。己と同じ空色の瞳は大きな木を見つめていた。
「大樹は今日も息災か」
低い心地よい声が耳を揺るがす。ああ、愛おしい。何故だろう、彼は、
――己と同じ大樹から生まれた“兄”たる役割を持つ人であるというのに。
妹たる役割である己は何故こんなにも彼に焦がれるのだろう。その瞳でずっと見つめて欲しいだなんて、まるで、
さくらは吐息をこぼす。
まるで――☓のようだ。
ジジジとノイズが走る。
はて、何を考えていたのだったか? さくらは不思議に思い首を傾げた。何か考えていた気がするのに、思い出せない。
「どうした? さくら」
優しい声がする。その声にうっとりと聞き惚れながら名前を呼ぶ。
「黒曜」
「大丈夫か?」
「うん、大丈夫」
はにかみながらさくらは答えた。
このやりとりが、とても幸せなのだとさくらの心は感じている。兄だからだろうか? それとも、彼が彼だから?
青空が目に眩しい。澄んだ、澄んだ空。
ここは天使の箱庭。天使のゆりかご。天使の生まれ落ちる場所。
さくらと黒曜は――天使である。
「あーー! 今日も見回りかあ!」
さくらは腕を上に伸ばして日常を歌う。
「ああ、大樹を守り、死者達のいる門を守り、この楽園を守り、神を守る。それが俺達の役割だ」
無機質な抑揚で黒曜は言う。まるで決められたことを義務感から口に出したかのように。
そっと手が伸ばされる。それを見てすっと体を寄せ頭を差し出す。優しい手がさくらの頭をゆっくりと撫でる。
思った通りだ。黒曜なら頭を撫でてくれると思っていた。
バサリバサリと対になる翼、天使上位、いや、最高天使の象徴の三対六枚の翼が羽ばたく。嬉しくて、少し浮いた。
「……」
苦笑を浮かべながら黒曜がさくらを見ていた。
「いつも喜んでもらえているようで何よりだ」
さくらでもちょっぴりこれは恥ずかしい。だが仕方ないのだ、だってこの手が好ましくて仕方ないのだから。
「だって黒曜、兄たるあなたから撫でてもらえたら、妹たる私は喜ぶように出来ているのだわきっと!」
「残念だったな、仲の悪い冷え冷えとした姉弟天使もいる」
「あそこは特殊なの! それに男の子は見栄っ張りなのよ!」
さくらの言葉に黒曜がふふっと軽く笑う。
「そうだな? お兄ちゃんも大変なんだ、妹にいいところを見せたくてな。だからかな、あそこも大変なんだろ。弟だから余計にな。姉のほうが強い……」
「あの馬鹿はともかく、黒曜はいつだって素敵よ!」
今度は黒曜が声を出して笑い、いたずらっぽく言った。
「じゃあ今度俺の作った馬の彫り物を……」
「あ、それはいらない」
「……そうか?」
しゅんとした黒曜には悪いが、馬か牛かわからない彫り物はいらないのだ。そもそも、黒曜は天使にしては変わっている。物や料理を作るのが好きだ。
天使は祈る。
天使は裁きを与える。
天使は世界を守る。
まるで、個性なんて要らないかのようにそれを求められ、天使もそれに応える。
つまらない。
ジジジ、ノイズが走る。
――何を考えていたのか、忘れてしまった。
「行こうか、今日は門の守護だ」
「今日もでしょ? 雑魚狩りと楽園の中の仕事ばかりね」
「……そうだな」
黒曜は何かを察しているのだろうか。微妙な顔をしている。さもありなんと言わんばかりの顔だ。さくらは少し考えようとする。ジジジ、またノイズだ。
黒曜を見ると顔を顰めていた。まるで彼にも、このノイズが走っているかのように。
ああ、今日もなるほど退屈な日々。