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無能の信仰、有能の偶像

間違えて前回6話を載せていました。前回の話からご覧ください。

魔物の襲撃を切り抜けた後、一行は比較的安全な街道を進んでいた。数日後、エルミナが前方に大きな街が見えてきたことを告げた。


「勇者様、あれが聖都アークライトでございます。我が国エルドリアの主流宗教である『光の救済教会』の総本山がございます」


「宗教の聖地、ですか…」


田中は、会社員時代に取引先の社長に誘われて、よく分からない新興宗教のセミナーに連れて行かれたことを思い出し、少しだけ身構えた。というより、むしろ胃がキリキリと痛み始めた。何かとてつもなく面倒なことに巻き込まれる予感がしたからだ。


聖都アークライトは、白亜の壁に囲まれ、中央には天を突くような巨大な大聖堂がそびえ立っていた。街全体が神聖な雰囲気に包まれており、行き交う人々もどこか敬虔な面持ちをしている。エルミナとガレス、そしてリリも、どこか引き締まった表情になっているように見えた。この国の国民のほとんどが光の救済教会の信者であり、聖都は彼らにとって特別な場所なのだ。


「ここでは、少しばかり休息を取り、旅の準備を整えましょう。また、大聖堂の枢機卿様にもご挨拶をしておかねばなりますまい」


ガレスがそう提案し、一行は街の門をくぐった。門番たちは、勇者一行の到着を知ると、「ついにこの時が来たか」と言わんばかりの厳粛な面持ちで深々と頭を下げた。その反応は、王都とはまた少し違う、より深い信仰心を感じさせるものだった。田中は、その重圧に押しつぶされそうになりながら、ぎこちなく会釈を返した。


街の中心部にある大聖堂は、息をのむほど壮麗だった。ステンドグラスから差し込む光が、内部を幻想的に照らし出している。奥の祭壇では、厳かな雰囲気の神官たちが祈りを捧げていた。


「勇者タナカ様、ようこそお越しくださいました」


一行を出迎えたのは、白金の法衣に身を包んだ、穏やかな表情の老齢の男性だった。彼が、この聖都の最高指導者であるアルバス枢機卿だった。


「枢機卿様、こちらこそ、突然の訪問をお許しください」


田中は、会社の重役クラスと面会する時のように、ぎこちなく挨拶をした。背中には嫌な汗がじっとりと滲んでいる。


「いえいえ、勇者様のご来訪は、光の神のご意思そのもの。我々一同、心より歓迎いたします」


アルバス枢機卿は、田中の姿をじっと見つめ、そして深く頷いた。その眼差しには、リリア姫や国王とはまた違う、静かで深い確信のようなものが宿っているように田中には感じられた。それは、田中の心の奥底を見透かされているような、居心地の悪さを伴うものだった。


「勇者様、よろしければ、この大聖堂に伝わる、我らが教会の最も重要な聖画をご覧いただけませんか?」


枢機卿にそう誘われ、田中たちは大聖堂の奥にある、特別な礼拝堂へと案内された。そこには、壁一面を覆うほどの巨大な壁画が描かれていた。


その壁画を見た瞬間、田中は「あっ」と声を上げた。そして、全身から血の気が引いていくのを感じた。


描かれていたのは、まさに「スーツ姿の男」だった。くたびれたダークスーツに、少し緩んだネクタイ。手にはアタッシュケースのようなものを持っている。そして、その男が、光り輝く剣を振るい、禍々しい魔物たちをなぎ倒している姿が、壮大なスケールで描かれていたのだ。


リリは、その壁画と田中を見比べ、そして納得したように小さく頷いた。エルミナとガレスは、改めて田中に深い尊敬の眼差しを向けている。彼らにとって、この聖画は幼い頃から見慣れたものであり、預言の勇者の姿そのものだった。今、その預言が目の前で現実となっていることへの感慨が、彼らの表情に浮かんでいた。


しかし、田中の心境は全く異なっていた。


(まさか…これは…!)


アルバス枢機卿は、静かに語り始めた。


「これは、未来にこの世界を襲うであろう大いなる災厄から、人々を救うこととなる『異界の勇者』の姿を描いた聖画でございます。我らが教会の最も神聖な預言の一つに、『世界が闇に覆われんとする時、異界より救世主が現れる。その者は、この聖画に描かれし姿のごとく、奇妙な衣服をまとい、我々には計り知れぬ知恵と力をもって、闇を打ち払うであろう』とございます」


枢機卿は、そこで一度言葉を切り、田中の顔を真っ直ぐに見つめた。


「勇者タナカ様。貴方様がこのエルドリアに召喚されたと伺った時から、我々教会関係者は、この日を待ち望んでおりました。貴方様こそが、預言に示された『異界の勇者』そのものであると、寸分の疑いもございません」


田中は、ようやく合点がいった。そして、同時に、とてつもないプレッシャーと焦燥感に襲われた。


(そういうことだったのか…! 俺が勇者として扱われるのは、この絵と預言のせいか! でも、そんな…俺が、こんな大層な預言の人物だなんて、ありえない!)


今まで、なぜくたびれたスーツ姿のおじさんが「勇者」として受け入れられているのか、漠然とした疑問はあった。しかし、目の前の壁画と枢機卿の言葉が、その答えを明確に示していた。この世界には、「スーツ姿の勇者が未来の災厄を救う」という預言が存在し、教会によって広く知らされている。自分が召喚されたこと、そしてこの服装をしていることが、その預言の成就として受け止められているのだ。


(期待されすぎだろ…! 俺はただの窓際おじさんなんだぞ!? こんな絵に描かれたような英雄的なこと、できるわけがないじゃないか!)


心臓が早鐘のように打ち、冷や汗が止まらない。元の世界で、到底達成不可能なノルマを課せられた時のような、あの絶望的な感覚が蘇ってくる。


「タナカ様、この聖画は、約1400年前に、光の神託を受けた初代教皇によって描かれたと伝えられております。そして、タナカ様の全てはこの聖画に示された通りなのです。」


「その…預言の勇者様は、どんな方だと伝えられているのですか…?」


田中は、声が震えないように必死に抑えながら尋ねた。少しでも情報を得て、この絶体絶命の状況を打開するヒントを見つけ出さなければならない。


枢機卿は、穏やかに微笑んだ。


「預言によれば、その方は、我々とは異なる世界の知識や価値観を持ち、時には常人には理解し難い方法で問題を解決されると。その行動の一つ一つが、最終的には世界を救うための布石となるのだと…」


(なんだそれは、俺にそんな知識や深い考えはないぞ… それに、こんなに持ち上げられていたら、期待に応えられなか時の失望は計り知れない…)


田中は、大きな不安と、常に監視され、評価されているような息苦しさを感じていた。


「タナカ様、どうかご安心ください。預言の勇者を信じ、お支えすることこそが、我々教会の務めでございますれば」


枢機卿の言葉は、他の誰よりも確信に満ちていた。その確信が、田中の肩に重くのしかかる。


その日の午後、田中は聖都の図書館で、教会の古い文献を調べる機会を得た。エルミナが手配してくれたのだ。そこには、やはり「異界の勇者」に関する記述がいくつか見つかった。


「『勇者、時に奇妙な言葉を発す。その真意は測り難きも、聞く者に勇気と希望を与える』…か」


田中が、羊皮紙に書かれた一節を読み上げると、隣で同じ文献を覗き込んでいたリリが、うんうんと頷いた。


「タナカが言うと、なんだかすごい言葉みたいに聞こえるもんね。サラおばちゃんも言ってた、『言葉には魂が宿る』って」


「 俺は思ったことを言ってるだけなんだがな…」


田中は力なく答えた。


「この世界はこれで大丈夫なんだろうか…」


田中は、半ば諦めたように呟いた。すると、近くで文献整理をしていた若い神官が、ハッとした顔でこちらを向き、慌ててメモを取り始めた。どうやら、今の言葉も「勇者様の深遠なるお言葉」として記録されるらしい。田中は、胃がさらに痛むのを感じた。


聖都アークライトでの数日間の休息の後、一行は再び旅の準備を始めた。しかし、枢機卿からもたらされた情報は、彼らの旅程に大きな影響を与えるものだった。


「勇者様。近頃、この聖都アークライトの周辺に、魔物の動きがかつてなく活発化しております。どうやら魔王軍は、この聖都を陥れることを画策しているようなのです」


枢機卿の顔には、憂いの色が浮かんでいた。

「既に、聖都へ続く街道沿いの村々が襲撃され、避難民も出ております。このままでは、聖都自体が魔王軍の脅威に晒されるのも時間の問題かと…」


ガレスが厳しい表情で頷く。

「つまり、我々はまず、この聖都周辺の魔物を掃討し、民の安全を確保する必要があるということですね」


エルミナも同意する。

「左様ですな。聖都が落ちれば、エルドリア王国全体の士気に関わります。魔王の領地へ向かう前に、足元を固めることが肝要かと存じます」


田中は内心でパニックになりながらも、平静を装って神妙な顔で頷いた。

「なるほど…状況は理解しました。まずは、この聖都アークライトの守りを固め、人々を安心させることが先決ですな…」


その言葉に、枢機卿は安堵の表情を浮かべた。

「おお、勇者様!そのお言葉、何と心強いことか!貴方様がおられる限り、この聖都は必ずや守られましょう!」


聖都アークライトが、魔王軍との新たな戦いの最前線となりつつあることを、田中は恐怖と共に感じていた。彼の勘違いと偶然に彩られた「勇者」としての物語は、彼自身の意志とは裏腹に、ますます大きな期待と責任を背負いながら、次なる局面へと進んでいくのだった。

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