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無能の決断、有能の旅立ち

間違えて6話を載せていました。すみません。

サラの葬儀は、城の片隅にある小さな墓地で、ひっそりと執り行われた。参列したのは、田中、リリア姫、エルミナ、ガレス、そして泣き腫らした瞳のリリだけだった。サラの人柄を慕う城下町の人々も訪れたがったが、リリの心情を慮り、遠くから祈りを捧げるにとどまった。


「サラさん…安らかに眠ってください」


田中は、不器用ながらも花を手向け、心の中で手を合わせた。会社員の頃には経験したことのない、直接的な人の死。それは、田中の心に重くのしかかっていた。


葬儀の後、田中は国王に呼び出された。玉座の間には、いつになく緊張した空気が漂っている。


「勇者タナカ様。黒曜の騎士が倒されたことで、魔王軍の動きが活発化しております。各地で魔物の被害が急増し、国境付近の村々が襲撃され始めたとの報告が相次いでおります」


国王の顔は険しい。


「もはや一刻の猶予もありません。魔王の脅威を根絶するため、勇者様には、魔王の領地へと進軍していただきたく存じます」


ついに来たか、と田中は思った。黒曜の騎士を(偶然とはいえ)倒したことで、自分への期待は最高潮に達している。断るという選択肢は、もはや彼にはなかった。


「…わかりました。お受けいたします」


田中が静かに答えると、国王は安堵の表情を浮かべた。


「おお、勇者様!そのご決断、感謝いたします!エルミナ、ガレス、お前たちも勇者様と共に!」


「「はっ!!」」


エルミナとガレスは力強く応じる。リリア姫も、祈るように両手を組んで田中を見つめている。


準備は数日で整えられた。エルミナは魔術的な道具を、ガレスは屈強な騎士たちを選抜した。田中は、サラの店で手に入れた、あの動きやすい服とブーツに身を包んだ。それは、彼にとって戦装束であり、同時にサラへの誓いの証でもあった。


出発の日の朝。田中は、城の一室で荷物をまとめているリリの元を訪れた。


「リリちゃん、ちょっと話があるんだ」


リリは、小さなリュックに自分の着替えや、サラの形見の櫛を詰めている最中だった。振り返った彼女の瞳は、まだ赤く腫れていたが、どこか決意を秘めたような強さも感じられた。


「…分かってるよ。あたしは置いていくんでしょ」


リリは、田中の顔を真っ直ぐに見つめて言った。その声は、年齢に似合わず落ち着いていた。


田中は少し驚いたが、頷いた。


「ああ。これからの旅は、今までとは比べ物にならないくらい危険だ。魔王の領地は魔物だらけだし、どんな罠があるかも分からない。君をそんな場所に連れて行くわけにはいかない」


会社で、部下に難しい仕事を断らせる時のように、諭すような口調だった。しかし、リリは首を横に振った。


「嫌だ。あたしも行く」


「リリちゃん、わがままを言わないでくれ。君の安全のためなんだ」


「安全って何? サラおばちゃんは、安全な街の中で死んだよ。どこにいたって、危ない時は危ないんだ」


リリの言葉は、田中の胸に突き刺さった。確かにその通りだ。


「でも…君はまだ子供だ。戦う力もない」


「足手まといだって言いたいの?」リリの目が鋭くなる。「あたしだって、できることはある。荷物持ちだってするし、洗濯だってできる。それに…」


リリは、リュックから小さなナイフを取り出した。サラが護身用に持っていたものだろう。


「これで、自分の身くらい守ってみせる。それに、勇者様が守ってくれるんでしょ?」


その言葉に、田中は返す言葉を失った。会社で、新入社員に「先輩がフォローしてくれるんですよね?」と無邪気に言われた時の、あのプレッシャーに似ている。しかし、リリの眼差しはもっと切実で、頼るもののない子供の必死さが滲んでいた。


「リリちゃん…」


「あたしを一人にしないで。サラおばちゃんがいなくなって、もう、勇者様しか頼れる人がいないんだ。一人でここに残されるくらいなら、危険な場所でも一緒に行った方がいい」


リリの瞳から、また涙が溢れそうになっている。思春期特有の反抗心と、幼い子供の甘えたい気持ちが、彼女の中でせめぎ合っているようだった。


田中は困り果てた。リリア姫やエルミナに預けるという選択肢もある。しかし、リリのこの強い意志を無視していいのだろうか。サラの最期の言葉が蘇る。「この子を…安全な場所へ…」。しかし、今のエルドリア王国に、本当に安全な場所などあるのだろうか。魔王軍の脅威が迫っている以上、むしろ自分の側が一番安全だと言えるのかもしれない…もちろん、自分が本当に勇者としての力を持っているならば、だが。


(俺に…この子の人生を背負う覚悟が、本当にあるのか…?)


窓際で無気力に日々を過ごしていた頃の自分を思うと、あまりにも不釣り合いな重責だ。しかし、あの時とは違う。この世界では、俺は「勇者」なのだ。


田中は、深く息を吸い込んだ。


「…分かった。一緒に行こう」


その言葉を聞いたリリの顔が、パッと輝いた。しかし、田中は厳しい表情で続ける。


「ただし、条件がある。絶対に俺の言うことを聞くこと。勝手な行動はしないこと。そして、自分の身は自分で守る努力をすること。それができないなら、今すぐここに残ってもらう」


それは、かつて部下に「自己責任」を説いた上司の受け売りだったが、今の田中にとっては、精一杯の覚悟を示す言葉だった。


リリは、力強く頷いた。


「うん、分かった!約束する!」


その時、部屋の扉がノックされ、エルミナとリリア姫が入ってきた。二人は、田中とリリのやり取りを扉の外で聞いていたようだった。


リリア姫は、少し心配そうな顔をしながらも、優しく微笑んだ。


「タナカ様、リリ様の覚悟、素晴らしいですわ。ですが、道中、決して無理はなさらないでくださいね」


エルミナも頷く。


「勇者様のご決断、それが最善の道なのでしょう。リリ殿のことは、我々も全力でサポートいたします。それに…リリ殿がいることで、勇者様の精神的な支えにもなるかもしれません」


(精神的な支えねぇ…どっちかというと、気苦労が増えそうだが…)


田中は内心でため息をついたが、口には出さなかった。


こうして、勇者タナカ一行は、魔王討伐という壮大な目的と、一人の少女の未来という個人的な使命を抱え、王都エルドリアを旅立つことになった。


旅の始まりは、思いのほか穏やかだった。ガレス率いる騎士たちが周囲を固め、魔物の気配はまだない。リリは、最初こそ緊張していたが、馬車の窓から見える初めての景色に目を輝かせ、時折、田中に質問を投げかけてきた。


「勇者様、あの鳥、なんていう名前?」


「さあ…ハトみたいなもんだろ、たぶん」


田中が適当に答えると、エルミナがすかさず補足する。


「あれは『空色の伝書鳩』と呼ばれる鳥でございます。非常に賢く、長距離の通信に使われることも…さすが勇者様、一目でその本質を見抜かれるとは!」


(いや、本当にハトに似てると思っただけなんだけど…)


田中は苦笑するしかなかった。


しかし、リリとの関係は、常に穏やかというわけにはいかなかった。ある日の野営の準備中、田中が焚き火の薪を集めていると、リリが手伝おうとして、誤って小さな火種を自分の服の袖に落としてしまった。


「きゃっ!」


田中は慌てて火を消し止めたが、リリの袖は少し焦げてしまった。


「リリちゃん、危ないだろう!火の扱いには気をつけろとあれほど言ったのに!」


思わず、会社で部下のミスを叱責する時のような口調になってしまった。リリは、ビクッと肩を震わせ、俯いてしまう。


「ご…ごめんなさい…」


「ごめんなさいで済む問題じゃないだろ!もし火傷でもしたらどうするんだ!」


田中は、サラの死がフラッシュバックし、過剰に反応してしまったのかもしれない。しかし、リリは顔を上げ、反抗的な目で田中を睨みつけた。


「だって、勇者様だって、この前、水筒落としてたじゃない!あたしだって、最初からうまくできるわけないでしょ!」


「あれは…あれはだな…!」


田中は言葉に詰まった。自分のドジを棚に上げて、子供を叱りつけるのはフェアではない。しかし、リリの安全を思うと、どうしても厳しくなってしまう。


「とにかく、火の周りではもっと慎重に行動しろ。いいな?」


「…はい」


リリは不満そうに返事をしたが、それ以上は何も言わなかった。その夜、リリはいつもより口数が少なく、田中もどこか気まずい思いを抱えていた。


(親子喧も、こんな感じなんだろうか…)


田中は、独身で子供もいない自分には縁のないものだと思っていた感情に、戸惑いを覚えていた。


翌日、一行は深い森の中を進んでいた。リリはまだ少し拗ねているのか、馬車の隅で黙って外を眺めている。


その時、茂みから数匹の狼型の魔物が飛び出してきた!


「敵襲!」


ガレスの鋭い声が響く。騎士たちがすぐさま応戦するが、魔物の動きは素早く、数も多い。


田中はとっさにリリを自分の背後にかばった。


「リリちゃん、俺の後ろに隠れてろ!」


リリは恐怖で顔を引きつらせながらも、田中の服の裾をギュッと握りしめた。


その時、一匹の魔物が騎士の防御をかいくぐり、田中に向かって飛びかかってきた!


「危ない!!」


田中は、会社で居眠りしていて上司に見つかりそうになった時のように、反射的に身を屈めた。


ガッ!


魔物の鋭い爪が、田中の頭上を掠め、馬車の幌を切り裂いた。


(うわっ、あぶねー!)


しかし、その瞬間、リリが叫んだ。


「勇者様、後ろ!!」


田中が身を屈めたことで、背後にいた別の魔物の姿が見えたのだ。リリは、恐怖を振り絞り、腰に差していたサラの形見のナイフを抜き、その魔物の足元めがけて投げつけた!


ナイフは魔物の足に深く突き刺さり、魔物は甲高い悲鳴を上げて体勢を崩した。その隙を、ガレスが見逃さず、一刀のもとに斬り伏せた。


戦闘はすぐに終結した。騎士たちに数名の軽傷者が出たものの、大きな被害はなかった。


田中は、呆然と立ち尽くすリリの元へ駆け寄った。


「リリちゃん、大丈夫か!?怪我は!?」


リリは、まだ震えが止まらない様子だったが、田中の顔を見て、小さく首を横に振った。そして、おずおずと口を開いた。


「勇者様…あたし…役に、立てた…?」


その問いに、田中は何も言えなかった。ただ、リリの小さな頭を、不器用ながらも優しく撫でた。


「ああ…ありがとう、リリちゃん。君のおかげで助かった」


それは、心からの言葉だった。リリは、田中の言葉を聞いて、不安そうだった表情を少しだけ緩め、そして、子供のようにワッと泣き出した。田中は、その小さな体を抱きしめ、背中をさすってやることしかできなかった。


エルミナが、静かに微笑みながら近づいてきた。


「勇者様、リリ殿の勇気、素晴らしいものでした。そして、お二人の間には、既に確かな絆が芽生え始めているようですね」


(絆、か…)


田中は、腕の中で泣きじゃくるリリの温もりを感じながら、その言葉の意味を噛み締めていた。窓際おじさんだった自分が、こんなにも誰かに必要とされ、そして誰かを守りたいと思う日が来るなんて、想像もしていなかった。


魔王討伐の旅はまだ始まったばかり。これから先、どんな困難が待ち受けているのか分からない。しかし、田中は、隣にいるこの小さな少女と共に、その道を歩んでいく覚悟を、改めて固めたのだった。たとえそれが、勘違いと偶然に彩られた道だとしても。

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