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無能の魔法、有能の逆襲

戦場は、異様な静寂に包まれていた。

両軍の兵士たちは、ただ呆然と、戦場の中心に立つ黒いスーツの男を見つめている。彼が放った不可解な現象が、現実のものとして受け入れられずにいた。


「…ま、まぐれだ! たまたま魔法が不発だっただけだ! もう一度やれ!」


ヴァンス軍の陣地で、佐藤がヒステリックに叫んだ。その声には、明らかに動揺の色が滲んでいる。


再び、魔術師部隊から、今度は数発の氷の矢が、田中めがけて放たれた。

しかし、結果は同じだった。

氷の矢は、田中の手前で、まるで幻だったかのように、シュン、と音もなく消滅した。


「そ、そんな…!」


ヴァンス軍に、動揺が広がり始める。

一方、陥落寸前だったエルドリア軍の兵士たちは、信じられない光景に、一筋の光明を見出していた。


「あ、あの人は…!?」

「まさか…本当に、勇者様だったのか…?」


しかし、今の田中は、彼らの声援に一喜一憂するような、かつての彼ではなかった。

彼の目は、ただ一点、ヴァンス軍の中枢――鈴木と佐藤、そして彼らが持つ『魔力集積回路』だけを捉えていた。


(『逆位相魔力干渉』…やはり、使える)


田中は、確かな手応えを感じていた。

エヴァとの修行の日々。彼は、ただ魔法の制御を学んだだけではなかった。エルミナの遺した膨大な基礎知識と、自分のサラリーマンとしての経験を組み合わせ、「応用」する方法を模索し続けていたのだ。


『逆位相魔力干渉』。

それは、相手の魔法の構造式プログラムを瞬時に解析し、その魔力の波長と全く逆の波長を持つ、微弱な魔力ノイズをぶつけることで、魔法そのものを霧散させる対抗魔法カウンタープログラムだ。

絶大なパワーは必要ない。必要なのは、精密な解析能力と、寸分の狂いもない制御能力。


「どういうことだ、鈴木さん! 何が起きてるんですか!」

佐藤が、焦って鈴木に詰め寄る。


「…落ち着け。何らかの妨害魔法ジャミングであることは間違いない。だが、あれほどクリーンに魔法を無効化するなど、理論上ありえない…。まさか、あの男、この一年で、我々の知らない魔法体系を身につけたとでも…?」


鈴木の額に、初めて冷や汗が浮かんだ。彼の完璧な計算と論理が、理解不能な現象の前に、揺らぎ始めていた。


田中は、ゆっくりと、ヴァンス軍に向かって歩き始めた。

一歩、また一歩。

その動きには、一切の迷いがない。


「な、何だ、あいつは! 撃て、撃ち続けろ!」

佐藤の命令で、ヴァンス軍は、雨あられと魔法を撃ち込む。炎、氷、雷…あらゆる属性の魔法が、田中一人に集中した。


しかし、その全てが、彼の前で、無に帰していく。

田中は、まるで降りしきる雨の中を、傘も差さずに平然と歩くかのように、魔法の嵐の中を進んでいく。


その姿は、エルドリアの兵士たちにとって、かつての「預言の勇者」の姿よりも、遥かに神々しく、そして頼もしく映った。


(よし…敵の注意は、完全に俺に集中している)


田中は、冷静に戦況を分析していた。

彼の目的は、敵軍の殲滅ではない。鈴木の『魔力集積回路』の無効化と、魔族の解放だ。


(今だ…!)


田中は、光の閃光を空に向かって打ち上げた。

すると、ヴァンス軍の陣地の後方で、突如、大きな爆発が起こった。


「な、何だ!? 後方で何が!」


ヴァンス軍が混乱する中、黒い影が、目にも留まらぬ速さで、魔族が囚われている檻へと駆け寄っていく。

その影の正体は、リリだった。

彼女は、田中が囮となって敵の注意を引きつけている間に、エヴァから教わった隠密術を使い、敵陣の後方へと潜入していたのだ。

そして、田中が事前に魔法を仕掛けておいた「陽動用の爆発岩」を起動させ、混乱を引き起こした。


「『報・連・相』…報告・連絡・相談。チームで動く以上、基本中の基本だ」

田中は、自分に言い聞かせるように呟いた。


リリは、檻の前にたどり着くと、懐から、ナイフを取り出し、手際よく錠前を壊していく。


「さあ、今のうちに逃げて!」

リリが叫ぶと、檻の中にいた魔族たちは、信じられないといった顔で、リリと、前線で一人戦う田中を交互に見た。


「お前たちは…なぜ、我らを…?」

一人のオークが、戸惑いながら尋ねる。


「話は後! 早く!」


魔族たちは、まだ半信半疑ながらも、次々と檻から飛び出し、逃げていく。


「クソッ! 魔族たちが逃げるぞ! 何をやってるんだ!」

佐藤が、怒鳴り散らす。


しかし、その混乱こそが、田中の狙いだった。


(リスクマネジメント…常に最悪の事態を想定し、複数のプランを用意しておく。プランAがダメなら、プランBに移行する。ビジネスの基本だ)


田中は、静かに、次の行動に移った。

彼の狙いは、鈴木が持つ、あの杖だ。


田中は、再び、右手を前に突き出した。

しかし、今度、彼の脳裏に浮かんだのは、攻撃魔法でも、防御魔法でもなかった。

エルミナの知識の中にあった、ほとんど使われることのない、地味な生活魔法。

物質の摩擦係数を、極端に低下させる魔法だった。


「会社で、重いコピー機を一人で移動させる時に、よく「床が滑りやすければ楽なのに」なんて、妄想してたな…)」


田中が呟くと、鈴木の足元の地面が、まるで凍った湖面のように、ツルッツルに滑りやすくなった。


「うおっ!?」


鈴木は、全く予期せぬ現象に、見事にバランスを崩した。彼は、必死に体勢を立て直そうとするが、足が滑って、どうにもならない。


「す、鈴木さん!? 何やってんスか、マンガみたいに!」

佐藤が叫ぶ。


そして、鈴木が大きく体勢を崩した、その一瞬。

田中は、見逃さなかった。


彼の指先から、一本の、極細の魔力の糸が、音もなく放たれた。

その糸は、鈴木が手にしていた杖に絡みつくと、凄まじい力で、それを引き寄せた。


「しまっ…!」


鈴木の手から、『魔力集積回路』が埋め込まれた杖が、無残にも弾き飛ばされた。

杖は、宙を舞い、田中の手の中に、すっぽりと収まった。


杖を手にした瞬間、田中は、その内部構造を、エルミナの知識を通して、完全に理解した。


(なるほどな、鈴木さん。確かに、効率的で、素晴らしいシステムだ。だが…お前のシステムには、致命的な『バグ』がある)


田中は、ヴァンス軍が持つすべての杖に微弱な魔力を流し込んだ。

すると、杖に埋め込まれていた青白い宝石が、激しく点滅を始め、そして、


パリンッ!


という乾いた音と共に、粉々に砕け散った。


ヴァンス軍の希望の星、『魔力集積回路』は、あまりにもあっけなく、破壊された。

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