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無能の再会、有能の同僚

エルドリア王国とヴァンス皇国。両国の全面戦争は、避けられないものとなった。


傷ついたエルドリア軍は再編成され、国中の砦からかき集められた兵士たちと、聖都の神殿騎士団、そして志願した民兵によって、辛うじて軍の体裁を保っていた。しかし、その士気は低く、兵士たちの顔には敗戦の影と、未来への不安が色濃く浮かんでいる。


田中は、その軍の先頭に、まるで飾りのように立たされていた。

「勇者タナカ」という名の、空っぽの偶像として。


彼に与えられたのは、金の刺繍が施された、あの「聖衣」。兵士たちの信仰が揺らいでいる今、視覚的にでも「預言の勇者」の存在を示すことで、士気をわずかでも繋ぎ止めようという、国王の苦肉の策だった。


(まるで、見世物だな…)


田中は、馬上から自軍の兵士たちを見渡した。彼らの目に、もう尊敬の色はない。あるのは、「今度こそ、本当に奇跡を起こしてくれるのか?」という、疑いと侮りが混じった視線だけだ。それは、元の世界で、使えない上司を見る部下たちの目に、よく似ていた。


両軍が対峙したのは、両国の国境に広がる「ティターン平原」。かつて、古代の巨人たちが戦ったという伝説が残る、広大な平原だ。


地平線の向こうから、ヴァンス皇国軍が姿を現した時、エルドリアの兵士たちから、思わず絶望のどよめきが漏れた。

その軍容は、エルドリア軍の倍以上。整然と並んだ鋼鉄の鎧、天を突くかのような夥しい数の槍先。それは、エルドリアのそれとは比較にならない、まさしく大陸屈指の強国の軍隊だった。


そして、その軍勢の中央、ひときわ豪華な装飾の部隊に、田中は目を奪われた。

その部隊を率いる二人の将軍。彼らが身につけている甲冑は、どこか見慣れない、しかし洗練されたデザインをしていた。そして、彼らが馬上で振るう指揮棒の先には、見たこともない紋章が描かれている。


「あれが…ヴァンス皇国の主力か…」

エルミナが、緊張した声で呟く。彼女の腕の傷はまだ完治しておらず、顔色も優れない。


戦いの火蓋は、ヴァンス皇国側からの魔法攻撃によって切られた。無数の火球が、エルドリア軍の陣形めがけて降り注ぐ。


「防御障壁! 急げ!」


エルミナと宮廷魔術師たちが必死で対抗するが、敵の魔力はあまりにも強大で、障壁は次々と打ち破られていく。悲鳴を上げて倒れていく兵士たち。開戦と同時に、エルドリア軍は混乱に陥った。


「落ち着け! 陣形を乱すな!」


生き残った騎士たちが必死で叫ぶが、恐怖に駆られた兵士たちの耳には届かない。


その時、ヴァンス皇国軍の中央部隊が、ゆっくりと前進を始めた。その動きは、まるで獲物を追い詰める捕食者のように、自信に満ち溢れていた。

そして、先頭に立つ二人の将軍が、魔法によって増幅された声で、エルドリア軍に向かって語りかけた。


「――エルドリアの諸君! 我々はヴァンス皇国が軍師として迎え入れた、異界の将! 無駄な抵抗はやめ、速やかに降伏せよ!」


その声を聞いた瞬間、田中の心臓が、大きく跳ねた。

聞き覚えのある声。いや、聞き間違えるはずがない。毎日、隣で、嫌というほど聞いてきた声だ。


「まさか…」


田中は、目を凝らした。

先頭に立つ二人の将軍が、兜の面頬を上げる。

そこに現れた顔を見て、田中の思考は完全に停止した。


一人は、人懐っこい笑顔を浮かべてはいるが、その目の奥には狡猾な光を宿した、若手社員の佐藤。

もう一人は、理知的でクールな雰囲気を漂わせる、上司の鈴木だった。


「さ…とう…くん? すずき…さん…?」


田中は、かすれた声で呟いた。

なぜ、彼らがここにいる?

しかも、敵国の将軍として。


佐藤は、馬上で双眼鏡を覗き込み、エルドリア軍の陣頭に立つ田中の姿を捉えた。


「ん? あれ…なんか見覚えのあるオッサンがいるな…。金の刺繍が入ったヘンなスーツ着てるけど…」


隣の鈴木も、冷静に双眼鏡を覗き込む。


「…間違いない。田中さんだ」


「え、マジで!? 田中さんじゃないっすか! うわー、何やってんスか、あの人! 異世界でコスプレ? ウケるんですけど!」


佐藤は、腹を抱えて笑い出した。その笑い声は、魔法で増幅され、戦場全体に響き渡る。


鈴木は、やれやれといった風に肩をすくめた。

「相変わらずですね、あの人は。どこへ行っても、場違いな格好で、周りに迷惑をかける」


その言葉は、かつて会社の給湯室で交わされた陰口と、全く同じ響きを持っていた。


エルドリアの兵士たちは、敵将が田中のことを知っていることに困惑し、ざわめき始める。

「敵の将軍と、勇者様は知り合いなのか…?」

「コスプレ…? どういう意味だ…?」


田中は、全身から血の気が引いていくのを感じた。

彼らを前にすると、この世界で得たはずの、わずかな自信や万能感など、跡形もなく消え去ってしまう。条件反射のように、体が萎縮し、声が出なくなる。


元の世界で、彼らに「無能」の烙印を押され続けた日々。

会議で発言すれば、鈴木に「田中さんの意見は、少し論点がズレてますね」と冷静に指摘され、佐藤には「もっと簡潔にお願いしますよー、時間ないんで」と笑われる。

自分の存在が、ただただ会社の生産性を下げるだけの「お荷物」だと、毎日突きつけられていた、あの頃の感覚。


「全肯定」の奇跡など、起こるはずもなかった。

なぜなら、彼らは、田中のことを「ただの使えない窓際おじさん」だと、心の底から信じきっているのだから。彼らにとって、田中が勇者であるという預言など、一笑に付すだけの戯言でしかない。


「おい、田中さん!」


佐藤が、楽しそうに呼びかけてきた。

「アンタがそこの王様を説得して、さっさと降伏しなよ! そしたら、アンタの命くらいは助けてやってもいいぜ? 俺たち、元同僚のよしみでさ!」


その言葉は、優しさなどではなく、絶対的な強者から弱者への、見下しきった施しだった。


田中は、何も言い返せなかった。

ただ、馬上で震えることしかできない。


その情けない姿を見て、エルドリアの兵士たちの間に、決定的な疑念が広がっていく。

「勇者様は…敵に怯えているのか…?」

「やはり…ただの人間だったのでは…」


偶像が、今度こそ完全に、その化けの皮を剥がされた瞬間だった。

預言も、奇跡も、全てが嘘だったのだと、誰もが悟った。


鈴木は、そんなエルドリア軍の混乱を冷静に観察し、静かに命令を下した。


「全軍、突撃。抵抗する者は、一人残らず殲滅せよ」


ヴァンス皇国軍が、津波のようにエルドリア軍へと殺到する。

田中は、その絶望的な光景を、ただ呆然と見つめていることしかできなかった。

異世界に来てまで、かつての同僚に、自分の無能さを、これ以上ない形で証明されることになるとは。それは、死ぬことよりも辛い、屈辱だった。

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