一人きり⑨
「……少し、歩きましょう」
サフィリナはムクッと起きあがると、服を軽くはたいて葉を落とし、ジュエルスもそれに倣った。それから、二人はゆっくりと草原を歩きだした。
「俺、十六になったら騎士団の入団試験を受けるつもりなんだ」
ジュエルスは幼いころから騎士になることを目標にしている。
「でも、おばさまはなんて言っているの?」
「……うん」
ジュエルスの母ケイトリンは、ジュエルスが騎士になろうとしていることを、口では応援しているものの、本心としては快く思っていないのだ。ホルステイン侯爵家でただ一人の子どもで次期当主なのだから、それは当然のことだろう。
周りが期待しているにもかかわらず、なかなか子どもを授かることができなかったケイトリンは、義両親からかなりのプレッシャーを与えられ、周囲の人たちからも役立たずとささやかれるなど、ジュエルスを授かるまでにずいぶんと苦しい思いをしている。
そのため、ジュエルスが爵位を継いで、次なる後継者を授かってくれることが、ケイトリンにとってはなによりも重要なことで、けがをすることはもちろん、命の危険を考えれば、心配はしても騎士になることを応援なんてできないのだ。
「母さんの気持ちはわかるからね」
ジュエルスにしても、できることなら母にかなしい思いなどさせたくはない。しかし、自分の夢を簡単に諦めることはできない。
「父さんから反対されていないのが唯一の救いだよ」
もしセージも反対していれば、間違いなく騎士の道は閉ざされていただろう。
しかし、ホルステイン侯爵家の血統は、どちらかといえば頭を使うほうが向いていて、これまで家門から騎士になった者は数えるほどしかいない。
「そういう意味では俺は、ホルステイン侯爵家の血統から外れているかもね。なにせ、俺は考えることより体を動かすことのほうが好きだから」
「それ、おばさまの前で言ったらだめよ?」
「もちろん、わかっているよ」
子を産むというプレッシャーからやっと解放されたのに、今度は侯爵家の血統から外れているなんて言われたら、ケイトリンが発狂してしまうかもしれない。
「実はさ、父さんと結婚をしたせいで母さんが苦労したから、父さんは母さんに頭が上がらないんだ」
「まぁ、そうなの?」
サフィリナが驚いて目を見ひらくと、ジュエルスがクスクスと笑う。
「なんてね、冗談。本当はそんなこと関係なく、父さんは母さんに弱いのさ」
惚れた弱み、というやつらしい。
ジュエルスはさらに話を続けた。
「実は、母さんは俺にどうにかして騎士を諦めさせようと、チャンスをうかがっているんだ。俺が立派な当主になるためには、もっと勉強をしなくてはいけない、とか言ってさ」
ジュエルスは楽しそうにそんなことを言う。
これまでも何度か、ホルステイン侯爵家の当主は、代々聡慧でなんたらかんたらと聞かされてきた。きっとケイトリンが理想とする次期当主の姿があるのだろう。
「だからといって騎士を諦める気はないけど」
ジュエルスは学校に通える年になると迷わず騎士学校を選んだ。現在は入学二年目の二回生で、級友と切磋琢磨しながら剣の腕を磨いている。
「教官にも、お前ならすぐに騎士になれるって言われているんだ」
「まぁ、すごいじゃない」
サフィリナに褒められて、得意げに胸を張るジュエルス。
騎士団に入団できても、すぐに騎士になれるわけではない。しばらくは騎士見習いとして鍛錬を続け、早い者なら一年で、遅ければ四年から五年でようやく騎士として認められるのだ。
「頑張ってね。私も応援しているわ」
「うん、ありがとう」
サフィリナの応援を受けて、ジュエルスは改めて剣の鍛錬に力を入れることを誓った。
その日の夕食の時間。
「高原の花も草も、とても美しかったです」
サフィリナは目の前に広がっていた光景を思いだして笑みを見せた。
「それはよかった」
かつては自分もジュエルスやサフィリナのように、高原まで馬を走らせたものだ、と当時のことを思いだしてセージは目を細めた。
「懐かしいな」
思わず小さく呟いたセージの脳裏には、友人であるフルディムとの古い記憶。
「セージおじさま」
「なんだい?」
「もしよろしければ、父が結婚をする前のことを教えてください」
「フルディムが結婚をする前のことかぁ……」
「父は、結婚する以前のことをあまり話したがらなかったので」
家族との関係がうまくいっていなかったせいか、いい思い出があまりないんだ、といってフルディムは多くを語らなかった。その代わり、母ウテナとののろけ話は散々聞かされたのだけど。
「……そうだな。あまり気分のいい話ではないかもしれないがいいかい?」
「はい」
サフィリナがうなずいた。
フルディムは家族に恵まれてはいなかった。それは誰の目にも明らかで、フルディムの友人なら誰でも知っていることだ。
長男を優先するという昔ながらの考え方を持つ両親と、優秀な弟を毛嫌いしていたジョシュアのせいで、フルディムは常に自分を抑えていなくてはならなかった。
「彼の両親、つまり君の祖父母は、フルディムが優秀であることを認めていながら、彼がそれを示すことを許さなかった。少しでも彼が賢さを見せれば、兄を追いおとそうとする底意地の悪い弟だ、とフルディムを責めたてたんだ」
「ひどい……」
ただ漠然と仲がよくないのだと思っていた。それが、実の息子にそのような態度をとっていたなんて。
「約束を反故にされたとき、わずかに残っていた情もすっかり消えてなくなったそうだ。そのせいか屋敷を出たときのフルディムは、ずいぶん清々した顔をしていたよ。それに、反骨精神というのかな。彼には、なにがなんでも成功してやるという強い意思があった」
その結果、繊維業界でその名を知らない者はいないと言われるほどに名をあげ、富を手に入れたというわけだ。
「彼はポートニア領を分領してもらわなくてよかったと言っていたよ。なぜなら、チェスター領はポートニア領より綿花栽培に適した気候で、土地もたくさん余っていたからね」
チェスター領はポートニア領よりもさらに田舎で、放置されている土地もたくさんあったため、かなり手ごろな値段で買いとることができたとか。
しかし、順調だったのはそこまで。一貫生産体制で始めた繊維事業は、すべてが手探りで失敗の連続。綿花の栽培、紡績、機織りと、素人が簡単にできることではないのだから当然だ。それでも寝る間も惜しんで働いた結果、五年で大きな利益を上げるまでに成長した。
「彼には先見の明があったからね。学生のころから綿花栽培に着目していたんだ」
羊毛が中心の王国に、少しずつ綿織物が輸入されるようになると、フルディムは綿製品に強い関心を持つようになった。近い将来、綿製品の需要が高まるはずだと予想したのだ。それからフルディムは繊維事業を始めるべく綿密な計画を立てはじめた。独立する三年前の話だ。
ウテナと結婚をしたのは繊維事業が波に乗りはじめてから。
二人はもともと婚約関係にあったが、フルディムが領地を分領してもらえないことを理由に婚約の解消を申しでると、ウテナの両親はすぐにそれを承諾した。領地を持たず、明確な収入源もないフルディムと結婚をすれば、ウテナが苦労をすることは目に見えている。大切な我が子に、しなくてもいい苦労などさせたくはない、と思うのが親というものだ。
しかし、ウテナはそんな両親に感謝をするどころか怒りをあらわにして、フルディムを追いかけると言った。それに対してウテナの両親は、フルディムを追いかけるのなら家族のつながりを切る、とウテナに告げたが、彼女は迷うことなくフルディムのあとを追いかけたのだ。
「そうだったんですね……。まさか二人がかけおちをしていたなんて」
仲のよかった両親のなれそめを聞くことができてうれしい気持ちがある一方で、恋愛に憧れを抱く少女が悲鳴を上げてしまいそうなラブロマンスを、自身の両親が体現していた、という事実に気恥ずかしさを感じる。
「でも、それによって彼女も両親と絶縁してしまったんだ」
「……そう、ですか」
もしかしたら、祖父母は葬儀に来ていたかもしれない。ふとそんな考えがよぎった。
(今となってはわからないけど……)
両親の過去に触れ、幸せとほろ苦さが混在した複雑な感情がサフィリナの心に渦巻く。後悔はやり直しをしたいという思いが強いほど大きくなるものだ。そして、祖父母もまた後悔より先に立つものはないと身をもって知ったのではないだろうか。
もし、一時の感情を優先するより先に、家のことや己の立場を考えるより先に、愛する者に寄りそって物事を考えることができていたら、こんなことにはならなかったかもしれない。
読んでくださりありがとうございます。