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二人の未来④

 華やかにきらめいていたパーティー会場に招待客の姿はなく、片づけに追われている使用人たちが忙しなく動きまわっている。


 大盛況のうちに終えたパーティーだったが、本来肩の荷が下りてホッとしながら余韻を楽しんでいるはずのサフィリナは、侍女を退室させた二人きりの部屋で、真剣な顔をしてドナヴァンと向きあっていた。


「あなたは誰なの?」


 いまさら隠しだてをする気もないだろう、とこれまで触れずにいた秘密の答えを聞くサフィリナ。


 もちろんドナヴァンもこれ以上隠すつもりはないのだが、答えることに躊躇しているのか、少しの間があった。


「俺はトライバル王国プリシパル伯爵家の次男、ドナヴァルト・ハーディク・コールマン。先ほどの女性は、俺の妹のエルシアだ」


 トライバル王国は大陸の西に位置する王国で、ザンブルフ王国より三百年ほど早く建国している。他国より早く建国しているからか歴史を重んじていて、身分で明確に差をつける国だと聞いている。


「……そう、だったの」

「すまない」


 最初から、ドナヴァンが秘密を抱えていることを承知しているのだから謝る必要はないが、やはりサフィリナのショックは大きい。


「それで……ドナヴァルトさまとお呼びしたほうがよろしいのでしょうか?」

「やめてくれ。俺はドナヴァンだ。それに俺は出奔した身で、実家からは縁を切られているはずだった」

「はずだった?」


 サフィリナは眉根を寄せた。


「除籍をすると父に言われていたが、実際には除籍はされていないし……家族は俺の帰りを待っているそうだ」

「……そう」

「でも、戻る気はない。元気にやっていることを知らせるために一度帰るけど、必ず――」

「ドナ」


 ドナヴァンの言葉を、凛としたサフィリナの声が遮る。


「ここのことは気にしないで。あなたはちゃんと家族と向きあってちょうだい」

「サーニャ」


 サフィリナの瞳が陰り、ドナヴァンに一瞬不安がよぎったが、どうやら杞憂だったようだと小さく息をつく。


「私はあなたを待たないわ。だから、変に責任を感じないで」

「なにを……?」


 ドナヴァンはサフィリナの言葉にぎょっとして、顔をゆがめた。


「私、もう誰かを待つことはしたくないの」

「サーニャ……」

「約束も期待もしたくない。もうまっぴら。だから、あなたのことも待たないわ。あなたもそうしてちょうだい」

「本気で言っているのか?」

「ええ」


 サフィリナは淡々と答え、目の前に置かれたレモンの果汁入りの水で喉を潤す。


「これは俺たち二人の問題だ。勝手にそんなことを」

「勝手ではないわ。私は待たない、あなたも私を待たせない。それだけのことよ」


 サフィリナは凛とした口調でドナヴァンの言葉を拒絶した。


 しかし、ドナヴァンはその言葉にまったく納得していないようだ。


「俺は帰ってくる」

「……」


 サフィリナはそれには答えない。だって、もうわかっているから。


 いつ帰ってくるのかと気を揉む毎日。本当に帰ってくるのかと疑心暗鬼になる自分。


 もし、家族と再会を果たした彼が、サフィリナに帰ると約束したことを後悔しないとは限らない。


 気持ちだっていつまでも同じではない。今と同じ気持ちでいられる保証なんてないのだ。


「約束なんてして苦しむくらいなら、なにもないほうがいい」

「サーニャ」

「ドナ、愛しているわ。でも、待ちたくはないの」

「お願いだから、そんなひどいことを言わないでくれ」

「ごめんなさい。でも……私は、あなたを待つことはできない」

「……っ」


 弱々しく呟くように言葉を発したサフィリナは、深くうなだれ肩を震わせる。ドナヴァンはそんなサフィリナを見つめ苦しそうに息を吐いた。


「……わかった。俺のことは……待たなくていい。でも、俺は帰ってくるから」

「……」


 サフィリナはうつむいたまま。


「……明日、ここを発つよ」

「うん……」

「早く発つつもりだから……見送りはいらない」

「うん……」

「デートは……帰ってきたらしよう」

「……」


 翌日、ドナヴァンは日も昇らないうちに屋敷を出て、その足でチェスター領に戻った。そして、使用人や工場の従業員たちにあいさつをし、わずかな荷物を手にして、必ず帰るという言葉を残して去っていった。





 ドナヴァンが去ってから五か月が過ぎた。


 相変わらずサフィリナは忙しく飛びまわっている。


「リリ、タウンハウスにあと三人ほど使用人を増やす予定だから、あなた面接をしてくれる?」

「はい、わかりました」


 サフィリナ付きの侍女リリはすっかりベテランの貫録を身に付け、今では侍女長候補だ。


「明日からしばらくアジュマニ領へ行くわ、荷物の準備をお願い」

「かしこまりました」


 次々と出される指示にもリリは淡々と応える。


「エリスは?」

「ドナヴァンさまの家に」


 エリスはドナヴァンがいつでも帰ってこられるように、毎日掃除をしに行っている。


「そう……」


 サフィリナは立ちあがって窓まで行き、ガラス越しに外を見た。そろそろ綿花が収穫のときを迎える。


 忙しくてあっという間だったが、おかげでうじうじと考える時間もなかった。


「ドナ……」


 やっぱり約束をしなくて正解だった。彼はこのまま帰ってはこないだろうから。


 少しだけ空気が読めなくて、少しだけ無神経で、まったく悪気のない噂好きの友人が、わざわざチェスター領の屋敷まで来て、サフィリナにドナヴァンの近況を教えてくれたことで、それは確実になった。


 帰国してすぐに社交界に復帰したドナヴァンは、これまで消極的だった社交にずいぶんと力を入れているそうだ。


 それに、ドナヴァンが兄のエドガルドと共にパーティーに参加すれば、多くの女性に囲まれて大変なことになるとか。


 特にドナヴァンは婚約者が決まっていないため、女性に人気が高いらしい。


「へぇ、そう」


 まるで気にしていない様子で返事をしているのに、サフィリナのこめかみに血管が浮きでている。


 リリはその様子を見て青い顔をした。


 しかし、親切な友人は気がついていないのか、話を続ける。


「実はドナヴァルトさまには婚約者がいたらしいわ。でもお相手の令嬢がべつの男の人とのあいだに子どもを作ってしまって、ドナヴァルトさまとは婚約破棄したんですって」

「ふーん……」


 案外重い話だ。


「そして一番の大ニュースは、ドナヴァルトさまに結婚の話が出ているってこと! お相手は彼の国の公爵令嬢だそうよ。なんでも、令嬢がドナヴァルトさまをひと目見て気に入ってしまったんですって。お二人の話はかなり進んでいて、年明けにも婚約するって噂よ」

「……そう」


 それからも友人はあらゆる噂話をサフィリナに聞かせ、満足そうな顔をして帰っていった。


 あるとき、マニシャが屋敷にやってきた。


「マニシャさま、大変な時期なのにありがとうございます」


 サフィリナがそう言うと、マニシャはニコニコしながら「平気ですよ」と言った。


 マニシャは妊娠八か月だというのに、わざわざ遊びに来てくれたのだ。


「私が勝手に押しかけただけですから」


 その表情から、サフィリナのことを心配してくれていることがよくわかる。


 しかもこの件に関しては、過去が過去だけに、ホルステイン侯爵家の人たちにはかかわりにくいことだ。


 そのため、マニシャが代表して様子を見にきたのかもしれない。


「……お仕事のほうは?」

「ええ、おかげさまで忙しくさせていただいています」

「それはなによりです」


 そんな当たり障りのない話をしに来たわけではないだろうが、マニシャは言葉ひとつひとつに細心の注意を払いながら、必死に話をつなげようとしている。


 その心遣いがわからないサフィリナではない。


「マニシャさま」

「は、はい」

「ご心配をおかけして申し訳ありません」

「そ、そんな」


 サフィリナが先に本題に触れてくれたことに内心ホッとしているマニシャ。


「私たちは、サフィリナさまを励ましてあげられる立場ではありませんから。でも、ずっと心配をしていました。できることならもっと早く来たかったのですが」


 自分の存在が、サフィリナの傷を抉ることになるのでは、と思うとここに来る勇気がどうしても出なかったとマニシャが言う。


「そのお気持ちだけで十分です」


 自分たちの関係はすでに清算され、友人として手をとりあう道を選んだのに、いまさら過去のことなんて気にしない――と言えないのがつらいところだ。


 ドナヴァンを待たないと言ったのだって、過去のトラウマが色濃くサフィリナの心に染みついているからなのだから。


「強がっていても私は弱い人間です。彼を待たないと言ったのだって、少しでも傷を作らないほうを選んだだけですから。でも、不思議なことに……傷は全然治らないし、今でも新しい傷を作っていきます」

「サフィリナさま……」

「なぜでしょうね。自分が待たないと言ったくせに、必ず帰ると言った彼の言葉が忘れられないのです。……彼の横には素敵な女性がいるのに。それなのに、ふらっと彼が帰ってくるような気がして……。彼はもう、帰ってこないのに……。本当に……しつこい自分が、ほとほといやになってしまいました」


 強がって笑みを見せるサフィリナの瞳に涙が溢れ、堰を切ったように流れおちてポタポタとドレスを濡らしていく。


「サフィリナさま!」


 マニシャはソファーから立ちあがり、早足でサフィリナの横に座りぎゅっと抱きよせた。


「……私、もう恋なんてしたくありません。もう、こんな思いは……いやです」

「……」


 サフィリナはマニシャにしがみついたまま、静かに涙を流していた。


 マニシャはサフィリナにかける言葉も見つからず、ただ抱きしめることしかできなかった。


読んでくださりありがとうございます。

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