二人の未来①
エルシア・アベリー・コールマンは、トライバル王国プリシパル伯爵家の末っ子として生まれた。
癖のない艶やかな黒髪に大きなダークグレーの瞳。すっとした鼻筋に、ラズベリー色のぽってりした唇が特徴的なエルシアは、プリシパル伯爵家唯一の女の子ということもあり、とても大切に育てられた。
そのプリシパル伯爵家は由緒ある家門で、トライバル王国内に既存する貴族の中では二番目に歴史が長い。
それゆえに、エルシアの父プリシパル伯爵ブランドン・ライト・コールマンは、貴族としての誇りを大切にしている、よく言えば貴族らしい貴族、悪く言えば古い考え方を持った堅物の男だ。
エルシアの母カナリカは愛情深い女性で、家族をとても大切にしている。
ただ、彼女の考え方もとても貴族らしい。
女性は男性の前に立つべきではなく、常に夫をサポートする立場に徹すること。なににおいても夫の言葉が最優先で、家門のために我が身を犠牲にすることを恐れてはならず、家の発展に献身することこそが、貴族女性の正しい在り方である、と信じている人だ。
エルシアの一番目の兄エドガルドは、長身で見目がよく、誰にでも優しく文武両道。
社交的で友人も多く、次期伯爵として申し分のない男だ。
歴史ある由緒正しい家門に誇りを持っていて、貴族としてのプライドも高い。逆に言えば、そのプライドの高さが、貴族らしくあろうとする彼を申し分のない男にしているとも言える。
エドガルドは両親にとっても自慢の息子だ。
そしてエルシアの二番目の兄ドナヴァルト。
この家族の中にあって異色の彼は、エルシアが最も愛している家族でもある。
ドナヴァルトは、兄エドガルド同様に貴族として厳しく教育されていたが、エドガルドとは違い、両親を困らせる子だった。
勉強ができないわけではないし、運動能力に問題があるわけでもない。ただ、心がここにないことがよくあったのだ。
そのせいか、父親であるブランドンはドナヴァルトの行動に過敏で、なにかにつけて文句を言い、貴族が本来あるべき姿を延々と言いきかせていた。
ドナヴァルトは本を読むことが好きで、勉強も好きだったが、自分の趣味に没頭する時間が一番好きだった。
その趣味というのはものを作ること。作るものにこだわりはなく、作りたいと思うものを試行錯誤しながら作るのが好きだった。
初めて作ったのは、妹エルシアが大切にしている人形のためのテーブル。それからイス、ベッドやチェストなど、とても器用に作っていた。
そのうちドナヴァルトは、ぜんまいや歯車を使って動くおもちゃを作るようになった。その最初の作品が、ねじを捻るとクルクル回るベッドメリーに似たおもちゃ。
ただ回る様子を見ているだけのものだったが、エルシアはそのおもちゃを大変気に入り、長い時間じっと眺めていた。
しかし、父ブランドンはドナヴァルトの趣味を認めなかった。それは貴族男子がすることではなかったからだ。
そんなドナヴァルトは、立派な青年に成長しても、貴族らしくは成長しなかった。
突然ふらりと屋敷を出ていって、数日、長ければ数週間帰ってこないなど放浪癖があり、なにをしていたのかと厳しく問いつめても、のらりくらりと躱して答えようとしない。
紳士クラブやサロンに通うこともなく、乗馬や狩猟にも関心を示さず、夜会にはほんの一瞬顔を出してさっさと帰ってしまうなど、ブランドンの理想とする貴族像からどんどん離れていった。
それどころか職人になりたいと言いだしたのだから、怒るのは当たり前のことだ。
エルシアもドナヴァルトのことならなんでも応援してあげたかったが、職人になることだけは反対だった。
大好きな兄が、平民のように汗水を垂らして仕事をする姿なんて、見たくはなかったからだ。
ドナヴァルトもブランドンにかなり叱られ、それ以降職人になりたいとは言わなくなった。
しかし、ふらりといなくなることはやめず、そのたびにブランドンが顔を真っ赤にして怒っていたが、ドナヴァルトは飄々とした顔でそれを聞きながしていた。
「ねぇ、お兄さま」
「なんだ?」
「どうしてお兄さまは職人になりたいなんて言ったの?」
あるときエルシアが、午後のティータイムを一緒に過ごしていたドナヴァルトに聞いた。
「私はものを作るのが好きなんだ。性に合っているって言うのかな」
「でも、お父さまは絶対に許してくれないわよ」
「ああ、わかっているよ。父さんは、根っからの貴族だからね」
貴族でも絵や彫刻、音楽などの芸術家として認められている人はいるし、女性なら刺繍の技術が賞賛されている人もいる。皆、最初は趣味だったが、その能力の高さから趣味が仕事になり、それに名誉もついてきた。
でも、ドナヴァルトの作るものは芸術には程遠く、華やかさがない。貴族らしくもないし、どちらかというと平民の仕事だ。
「それなら、趣味で作ればいいじゃない。べつに仕事として認められる必要なんてないわ」
しかしドナヴァルトはエルシアの言葉に首を振る。
「きっと、父さんはそれさえも許さないだろうな」
「……」
貴族の、しかも由緒正しいプリシパル伯爵家の人間が、平民のようにものを作るなんて、ブランドンが認めるはずがない。
「お兄さまにはキャスリーヌさまという婚約者だっているじゃない。いつまでもフラフラしていることはできないのよ? わかっているの?」
真剣な顔をして、まるで母親のような口調のエルシア。
しかしドナヴァルトは、兄を諫める歳の離れたかわいらしい妹を見て、クスクスと笑っている。
「もう、まじめに言っているのに!」
ドナヴァルトの婚約者であるキャスリーヌはデルタリア子爵家の嫡女で、二年後にはドナヴァルトは婿入りして、ゆくゆくは子爵家を継ぐことになっている。
それなのに、二人の関係があまり進展していないことをエルシアは心配しているのだが、当の本人はまったく気にしていない。
「彼女には恋人がいるんだよ」
「はぁ?」
ドナヴァルトの思いがけない言葉に、エルシアが間抜けな声を出した。
「かなり親密な関係だから、そのうち婚約解消の申し出が来るだろう」
ドナヴァルトはまるで他人事のように笑っている。
「どういうこと? 彼女、浮気をしているってこと?」
エルシアの言葉にドナヴァルトは小さく首をすくめた。
「彼女は華やかなことが好きなんだ。私のような変わり者はお気に召さないのさ」
その親密な恋人との関係を隠す気はないらしく、人の目も気にせず、胸焼けしそうなくらいイチャイチャしているらしい。
「なんて失礼な! 私、文句を言ってやりますわ」
エルシアは、兄を侮辱するふしだらな女をコテンパンにやっつける勢いだ。
「ハハハハ、私のために怒ってくれるのはうれしいが、そんなことはしなくていいよ」
「でも!」
「私としては婚約を解消されるほうがうれしいからね」
「そんなの……」
相手の不義を追及する気もないというドナヴァルト。
「私が彼女の心をつかむことができなかったのが悪いのだし、彼女にしても私のような面白みのない男と一生つきあうよりいいだろう」
なんて都合のいいことを言っているが、そもそも結婚する気なんてなかったくせに。
「お兄さまにはキャスリーヌさまのようなふしだらな女性は似合いませんわ。私が、素敵な人を見つけてあげます。ですから……諦めないでください」
「諦めるなんて変な言葉だ。私はべつに結婚願望なんてないんだから」
「そんなのだめです! お兄さまは素敵な女性と出あって幸せにならないと」
もし結婚をしなければ、ドナヴァルトは本当に平民になってしまうかもしれない。
そんな不安が、エルシアの胸をぎゅっと締めつける。
読んでくださりありがとうございます。