美しく輝くあの人は④
令嬢たちは、それぞれ手にしたワインに口をつけてからグラスをテーブルに置いた。
「そういえば、私の今日のドレス、アンティオーク・カジュアルのものなのよ」
真っ赤なドレスを着た令嬢が、自分のドレスのスカートを広げて見せる。
「やっぱり! 私、そうじゃないかと思っていたの。こんなに素敵なデザイン、ほかでは見ないもの」
ビスチェに施された立体的な刺繍と、ボリューム感のあるベルラインのふんわりしたスカート。
「ドレスに合わせて靴も作ったのよ」
赤いドレスの令嬢は少し自慢げに足を出して靴を見せた。
「真っ赤な靴なんて素敵ね」
黄色いドレスの令嬢は、胸のあたりで両手を合わせて瞳を輝かせた。
水色のドレスを着た令嬢は、頬に手を当てて小さく溜息をつく。
「羨ましいわ。私も注文したんだけど、完成はまだ先なの」
とても残念そうだ。
「それにしても、サフィリナさまは素晴らしいわね」
赤いドレスの令嬢が、うつむくマニシャを見て口角を上げた。
「彼女のブティックは大盛況で、シークレットのほうは予約が半年先までいっぱいですって」
ファイネルコットンで作られたドレスを扱うアンティオーク・シークレットは、紹介制で一見お断り。客を選ぶなんて思いあがりも甚だしい、と非難する人もいるが、多くは話題のブティックの顧客となるために、伝手を使って紹介をしてもらおうとしている。
それに、先ほど王妃テレシアから名前を呼ばれ、その名は後世まで語りつがれていく、とまで言わせたのだから、彼女を手放してしまったホルステイン侯爵家は、本当にもったいないことをしたものだ、と令嬢たちがうつむくマニシャに向かって楽しそうに笑いあう。
「そんな素晴らしい人の場所を奪った泥棒猫は、こんな所に隠れてなにをしているのかしら?」
すでにマニシャの心はボロボロで、うつむいたまま涙をこらえるので必死だ。と、マニシャのドレスに赤ワインがかかった。
「え……?」
柔らかいベージュ色のドレスに、ワインの赤紫色が広がっていく。
「あら、ごめんなさい。手が滑ってしまったわ」
「やだぁ、私もぉ」
その言葉と同時にまたもやワインがマニシャのドレスに。
「ごめんなさい、私ったら酔ってしまったみたいで」
マニシャの頭上からそんな言葉と一緒に笑い声が聞こえる。マニシャは顔を上げることもできず、うつむいて体を震わせたまま。
令嬢たちは声を上げて笑いながらソファーから立ちあがる。
「卑しい平民と同じ空気を吸うのは不愉快だから、早くいなくなってくれるとうれしいわ」
「この人も帰りたそうだし、ちょうどいいんじゃない?」
マニシャの頭上から氷よりも冷たい言葉を浴びせ、令嬢たちは楽しそうな笑い声と共に部屋を出ていった。
「……ふ……うぅ……。もう、無理……無理よ……」
ここにもいられない。
ワインは遠慮なくドレスを赤紫色に染め、顔にもワインが跳ねてかかってしまった。こんな姿を誰かに見られたら笑い者になってしまうし、家族にも迷惑がかかってしまう。
とにかく人が来る前にこの部屋を出なくては。
涙を拭いてソファーからふらふらと立ちあがると、ドアに向かった。
(だけど、どこへ行ったらいいの? 全然わからないわ。……ああ、そうだわ)
馬車の乗降車口へ行こう。
そう決めて部屋を出たマニシャは、部屋の前に立つ侍従と目が合ってぎょっとする。
侍従はマニシャの様子を見て慌てて口を開いた。
「お客さま――」
しかし、マニシャは侍従の声を無視して廊下を早足で進んでいく。すると前のほうから人の声が聞こえた。
慌ててマニシャは来た道を少し戻り、柱の陰に身を隠した。しばらくのあいだ聞こえていた声がゆっくりと遠ざかっていき、ホッとして再び歩きはじめる。が、当てもなく歩きまわっていたせいですっかり迷子になってしまい、もはや会場へと続く道さえわからない。
「どっちに行けばいいの……?」
誰かに助けを乞うこともできず途方に暮れ、堪えきれずに溢れた涙が、頬を伝ってそのままドレスを濡らしていく。
(ああ、死んでしまいたい……)
いっそのこと、どこからか飛びおりてしまおうか。そうすれば楽になれる。そうすれば……。
「あの」
脚を一歩前に出すことさえできなくなって、その場に立ちつくしていたマニシャの後ろから、女性が声をかけてきた。
マニシャはハッとしてとっさに顔を隠し、振りかえらずその場を早足で去ろうとした――。
「マニシャさま?」
自分の名前を呼ぶ女性の声に、ビクッと肩を震わせる。
「いかがされましたか?」
(誰? 私のことを知っているの?)
それならなおさら振りかえるわけにはいかない。今振りかえれば、惨めな姿を見られてしまう。
「なにか、お困りですか?」
「い、いえ、大丈夫です」
「でも」
「大丈夫です!」
そう言って走りだそうとしたマニシャの腕を女性がつかみ、驚いて振りかえったマニシャの視線の先にいたのはサフィリナ。
「あ……」
まさか、彼女だったなんて。今一番会いたくない人。二度と、絶対に会いたくなかった人だ。
「いったい、なにがあったのです? なぜこんなことに」
マニシャのドレスを不自然に染めあげる赤紫色を見て、顔をしかめたサフィリナ。
「放っておいてください。……あなたには関係のないことです」
マニシャは震える声で必死にサフィリナを拒絶した。しかしサフィリナは小さく息を吐いて、マニシャの手を引いて歩きだす。
「な、なにするんですか?」
「私の部屋に行きましょう」
「え……?」
「誰にも見られないうちに、早く」
そう言ってマニシャの腕をつかんだままスタスタと歩き、階段を上っていくつか並んだ客用寝室の一室へと入っていった。
「え? サフィリナさま? と……?」
部屋で待機をしていた侍女のリリとデザイナーのレイラが、驚いたようにサフィリナを見て、彼女の後ろでうつむいているマニシャを見た。
「レイラ、私の予備のドレスを用意して。リリ、マニシャさまの身支度を手伝って」
状況を理解したリリとレイラは「かしこまりました」と言ってドレッサーに向かった。
「あの……?」
「私のドレスがあるので、それに着替えましょう。お顔も洗わないといけませんね。ドレスもシミ抜きをしないと」
「でも」
「時間がありませんので、お顔はご自身で洗ってください。お化粧も一度落としましょう。できますね?」
サフィリナの有無を言わせない言葉におずおずとうなずいたマニシャは、サフィリナにバスルームに押しこまれ、鏡に映る自分の姿を見た。
(なんて情けない姿)
おかしくて涙が出る。
顔を洗ってすっきりしたマニシャがバスルームを出ると、リリとレイラが待ちかまえていた。その手には目の覚めるような真っ青のドレス。
「実は、今日のために用意したものなのですが、この靴にはちょっと合わなくて」
そう言って少し足を前に出して靴を見せる。
「私のお気に入りの靴で、どうしても今日のパーティーで履きたかったのです」
そう言ってサフィリナがかわいらしく笑った。
「とてもきれいですね……」
マニシャはこれまで見たことのない豪奢で美しい靴に目を奪われた。
「ありがとうございます。そう言っていただけるとうれしいですわ」
サフィリナは心から喜んでいると思わせるかわいらしい笑顔を見せ、マニシャはそんなサフィリナの視線から逃れるようにうつむく。
(素敵な人。私なんてとても及ばないわ)
サフィリナは自立した女性で、自信に満ちあふれている。凛としていて眩しいほどに輝いている魅力的な人だ。
(私なんて――)
「さ、こんなことをしている場合ではありませんね。早く身支度を整えましょう。リリ、マニシャさまの髪を結いあげてお化粧を。レイラ、急いでドレスのお直しを。今日だけ乗りきれればいいわ」
「お任せください」
サフィリナにそう言われて、頼もしく胸を張ったリリとレイラは、隣の部屋へとマニシャを案内した。と、サフィリナもそのあとに続く。
「サフィリナさま?」
「時間がないから、私も手伝うわ」
「ですが」
リリとレイラは困ったような顔をしている。
「私だって縫いものくらいできるわよ。知っているでしょ?」
そう言って、ニコッと笑った。
しかし今度はマニシャが首を振る。
「やめてください。私なんかのために」
「フフフ、なにをおっしゃるのですか。マニシャさまだから、私は手伝いたいのです」
「でも……」
「うちは領地を持たない男爵なので、よく平民と同じと言われていました。そのせいで嫌がらせをされたこともあります」
「え……?」
サフィリナはニコッと笑ってそれ以上言わず。
「さ、おしゃべりをしている時間はありません。二人とも、お願いね」
サフィリナが声をかけると、リリとレイラは心得ているとばかりにうなずいた。
「マニシャさま、ドレスを」
レイラがそう言って、赤紫色が広がったベージュ色のドレスを脱がせ、青いドレスに着替えさせた。
マニシャは自身の身に起こっていることを、信じられない気持ちで鏡越しに見つめていた。
サフィリナのために作られた美しいドレスを、なぜ自分が着ているのか。なぜ、あの絶望的な状況から、こんなことになったのか。
「身頃は大丈夫ね。問題はスカート部分か」
サフィリナの身長に合わせて作られているため、マニシャが着ると引きずってしまう。
「どうすればいいかしら?」
「内側からつり上げるのはどうですか?」
「ああ、いいわね。それで――」
「あ……」
マニシャがなにかを言おうとしたが、すでにサフィリナは靴を脱いでしゃがみ込み、レイラとドレスの直しについて話をしていて、口を挟める感じではない。
「……」
「マニシャさま、髪を触らせていただきますね」
「え、ええ……」
リリは手際よくマニシャの髪にオイルを塗り、くしで梳かして髪をまとめ始めた。
マニシャの足元では、スカート部分を縫っているサフィリナとレイラ。
(なぜ、サフィリナさまたちは私のためにここまでしてくれるの? 私のことが憎くないの? どうして……助けてくれるの……?)
あんなにひどいことをしたのに。サフィリナの幸せを壊したのに。罵倒されても、頬をひっぱたかれても仕方がないことをしたのに。
本当ならサフィリナは今ごろ、パーティー会場で素晴らしい時間をすごしているはずなのに。……なのに……。
マニシャの瞳が涙で滲む。
眉間にしわを寄せて必死に涙を堪えても、ぎゅっと唇を閉じで声を殺しても、複雑な感情が嗚咽と共に溢れていく。
「マニシャさま、泣いていいですよ。泣くと気持ちがずっと楽になりますから」
顔を上げたサフィリナが優しく声をかけた。
「私も、泣きたいときは思いきり泣くことにしているのです」
「……ごめんなさい……」
マニシャの震える声。
「本当に、ごめんなさい」
「……これまで、大変な思いをされてきたのですね」
「う……」
ごめんなさい。あなたの大切な人を奪ってしまって、ごめんなさい。あなたを傷つけて、ごめんなさい。
そう言いたいのに、言葉が出てこない。
「よく今日まで頑張ってこられましたね」
どうして、彼女はこんなにも優しいのだろう。どうして、こんなに……。
「私、本当に……なにも、かもが……だめで……」
必死にこみ上げるものを堪えながら、言葉を口にしようとしているのに、それ以上続かずぎゅっと唇を結ぶ。堪えきれずに涙をこぼしそうになると、リリが横からハンカチを差しだした。それを、喉の奥が痛くなるのを感じながら受けとり、言葉にならない礼を口にする。
リリはニコリと微笑んでくれた。
「ドレスは、女性の戦闘服だと私は思っています」
作業の手を止めることなく、真剣な眼差しのままサフィリナが口を開いた。
「美しいドレスを着れば自信が湧いてくるし、ドレスに見合う自分になりたいと思うと背筋が伸びてくる。とっておきのドレスは、不安な気持ちを吹きとばしてくれるし、自分を鼓舞してくれる」
「……」
「ドレスにはそんな不思議な力があるのです。だから、大丈夫です。きっとこのドレスが、マニシャさまに勇気をくれるはずです」
「……うっ……」
マニシャはハンカチで瞳を押さえ、溢れる気持ちを吐きだした。
サフィリナはそれ以上なにも言わず、無心で針を刺しつづけた。
読んでくださりありがとうございます。








