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一人きり⑦

 しんと静まりかえる応接室。


「……嵐のようでした」


 一番に口を開いたのはサフィリナ。いまだに鼓動が速くて、手の震えも止まらない。しかし、彼が出ていって安心をしたのか、その瞳に涙が浮かびボロボロとこぼれた。


 ジュエルスは驚いてサフィリナの隣に座り、頼りなく震える肩を抱く。


 セージはそんなサフィリナを、申し訳なさそうな顔をして見つめた。


 こんなことになる前にどうにか手を打てなかったのか。ジョシュアの罵声と威圧的な視線は、十四歳の少女に大きな恐怖を与えたことだろう。それなのに、最後まで自分勝手な言葉をはいていったあのゲスな男に腹が立つ。それほど彼の状況が切迫しているということなのだろうが。


「……ポートニア伯爵家の財政は芳しくないらしいんだ」


 前伯爵から受けついだままの状態で領地経営をしていれば、十分余裕のある生活ができたはずなのに、フルディムに対抗心を燃やしたのか、うまい儲け話に手を出しては失敗して、をくり返し、その結果大きな負債を抱えてしまっているらしい。


 それに、ジョシュアの息子は今年二十歳になるというのに、いまだに婚約者が決まっておらず、趣味の狩猟に興じてばかり。勉強もせず、次期当主の自覚もない。加えて妻と娘の散財。頼れる両親もすでにこの世にはおらず、ジョシュアはかなり切羽詰まっていた。


 そんなときに舞いこんできた弟の訃報。


 自分がいかに優秀であるかを誇示する生意気な弟が死んだ。妻と息子も一緒に亡くなり、残ったのは娘が一人。


 そこで思いついた。娘は未成年のため後見人が必要だ。つまり、自分が彼女の後見人になれば、フルディムの遺産がそのまま自分のもとに転がりこんでくる。


 しかし、嬉々として乗りこんできたのに、セージに邪魔をされたどころか大恥をかかされてしまった、ということだろう。


「このまま大人しく引きさがるでしょうか?」


 ジュエルスが心配そうに口を開いた。


 あの様子では彼が簡単に諦めるとも思えない。


「心配をする必要はない。彼が欲しがっているものを与えれば、こちらに害を及ぼすこともないはずだ」


 そう言ってセージが笑った。


 それからしばらく話し合いをして、サフィリナはホルステイン侯爵邸に居を移すことになった。


 また事業は当面、サフィリナに代わって執事のジェイスが管理をすることになった。ホルステイン領からチェスター領までは距離があるため、簡単に行き来をすることはできないし、サフィリナは仕事ができるような精神状態ではない。経営者としても勉強不足で、その責任を負うには未熟だ。


 それなら、しばらくは屋敷でゆっくりして、もっと勉強をしてから事業にかかわったほうがいいだろう、というセージの助言にサフィリナがうなずいた形だ。




 サフィリナがホルステイン侯爵家へと向かう日。


「お嬢さま、健やかにお過ごしください」

「ありがとう。あなたたちも体を大切にしてね。すぐに遊びに来るから」

「ええ、お待ちしていますよ。本当にいつでも帰ってきていいのですからね」


 侍女長のグレースが瞳に涙を浮かべながら笑みを見せた。


「……そろそろ行くわね」

「はい、お気をつけて」


 サフィリナが馬車まで行くと、ジュエルスが馬車の乗降口の前に立って待っていた。


「リナ」


 エスコートをするために差しだされたジュエルスの手。サフィリナはかすかに震える自身の左手をぎゅっと握りしめ、強張る右手をジュエルスの手に重ねた。大きく息を吐き、慎重に足をステップに乗せ、もう一方の足で地面を蹴って、重たく感じる体に弾みをつけ、勢いよく馬車へと乗りこんだ。


(……頑張らないと。私が暗い顔をするわけにはいかないわ)


 座席に座ったサフィリナは、窓の向こうで涙ぐむ使用人たちに笑顔で手を振りながら、屋敷をあとにした。


「寂しい?」

「……そうね」


 使用人のほとんどが、サフィリナが生まれる前から屋敷で働いてくれている。家族と言っても差し支えないほど心を許した人たちとの別れが、寂しくないなんて言えるはずもない。


「でも、私がうつむいていたら皆が心配をするし、家族だって安心して天国に行けないわ。だから笑うって決めたの」


 そう言ってサフィリナがニコッと笑顔を見せた。その笑顔を見て、ジュエルスはホッとした表情を浮かべる。サフィリナが前を向こうとしていることに安心をしたようだ。


「何度でも遊びに来よう」


 ジュエルスがそう言うと、サフィリナはうなずいた。


 屋敷を発ってからゆっくりと馬車を走らせて十四日後。ようやくホルステイン侯爵邸に到着した。邸の前では、馬車の到着を待つセージと妻のケイトリンが、安堵の表情を浮かべている。


 だから笑顔で二人のもとへ向かった。そして、できるだけ明るい声であいさつをする。


「おじさま、おばさま、お出迎えくださりありがとうございます」

「まぁ、リナったら。そんな堅苦しいあいさつはいらないわ」


 ミルキーブロンドの髪を結いあげ、シンプルで品のいい緑色のドレスに身を包んだケイトリンが華やかな笑みを浮かべた。


「そうだよ、リナ。これからは私たちを家族だと思ってほしい。それにここは君の家でもあるからね」

「おじさま、おばさま、ありがとうございます」


 サフィリナはかわいらしい笑顔を見せた。


「さ、リナの部屋へ案内するわ。女の子の部屋を準備するのは初めてだから、気に入ってくれるか心配だけど」


 ケイトリンはそう言って踵を返し、邸の中へと歩みを進める。サフィリナもケイトリンのあとに続いた。


「壁紙は白を基調としてみたのだけど、ベージュのほうがよかったかしら? 調度品はとりあえずあるものを置いているけど、今度あなたの好みのものを買いに行きましょう」

「いえ、そんな。私は、今あるものを使わせていただければ十分です」


 そう言ってサフィリナが遠慮がちに首を振ると、セージがニコニコしながらサフィリナに言う。


「まぁまぁ、いいじゃないか。ケイトはリナと買い物に行くのを楽しみにしていたんだ。遠慮せず、つきあってやっておくれ」


 そう言ってセージは、ケイトリンが今日のためにどれほど張りきって準備をしていたかを説明し始めた。


「もう、あなたったら。そんなことリナに聞かせなくてもいいのに」

「いいじゃないか」

「よくありませんわ」

「まぁまぁ」


 楽しい会話と穏やかな笑顔。しかしどんなに明るく振る舞っても、一瞬見せるサフィリナを心配する視線に気がついてしまう。


(私が暗い顔なんてしてはだめ。おじさまたちに心配をかけるわけにはいかないわ)


 だから、いつも笑顔で明るく元気に。そう心に誓った。




「では、お食事の時間になりましたらお呼びします」

「ええ、ありがとう」

「それでは失礼します」


 そう言って部屋を出ていったのは、サフィリナ付きとなった侍女のモニカ。


 ドアが完全に閉まるのを確認してベッドに向かったサフィリナは、そのままバタリと倒れこんだ。


「……なんだか、すごく疲れたわ……」


 人に気を遣われることが、こんなにも息苦しいことだったなんて知らなかった。優しさが人をかなしい気持ちにさせるなんて初めて知った。


「……人の好意をそんなふうに感じるなんて、私って最低……」


 そんな自分がいやで溜息が出る。


 ベッドに横たわったサフィリナの視線の先には、白を基調としたダマスク柄の鮮やかな壁紙。それに少しだけ不釣り合いな重厚感のある調度品。カーテンは落ち着きのあるゴールドで統一されている。ネルソン男爵邸のサフィリナの部屋より、ずっと大人っぽくて上品だ。


「私にはもったいないくらい素敵な部屋ね」


 それなのに、あの住みなれた屋敷が恋しい。幼いころから使っていた少し小さめのベッドや、遊んで傷をつけてしまった鏡台。クローゼットにはドレスがたくさんつるされていて、それなのにいつも着るのは決まって動きやすくてシンプルなもの。


「お母さまは、そんな私を見ていつも溜息をついていたわね」


 カーテンを開けたままの窓の向こうには、一日の終わりを知らせる濃紺の空。西の空にわずかに残るオレンジ色は、闇にゆっくりと塗りつぶされ、東の空に小さな光が瞬く夕闇のとき。


「……いつもこの時間はおしゃべりをしていたな」


 幼いマリオンは早い時間に寝てしまうため、その前に居間に集まって談笑するのが家族の大切な日課だった。


「……静か……」


 天井を見ながらぽつりとつぶやく。


 しかし部屋の静寂とは違い、サフィリナの心の中はいろいろな記憶が入りみだれて忙しない。


 訃報を聞いても、家族の遺体をこの目で確認しても、それを現実として受けいれることができなかった。呆然とその場に立ちつくし、心が追いつかないまま葬儀を行い、心の整理もつかないうちにやってきたジョシュア。


 あのときは必死で、そのあともずっと気を張っていて、屋敷の使用人たちやホルステイン侯爵家の人たちに心配をかけたくなくて、努めて明るく振る舞った。


 ――私がうつむいていたら皆が心配をするし、家族だって安心して天国に行けないわ。だから笑うって決めたの。


 きっとその言葉を口にしたとき、サフィリナの笑顔は自然だったはず。だって、ジュエルスはそんなサフィリナを見てホッとした顔をして、サフィリナもまたそんなジュエルスを見てホッとしたのだから。それにセージやケイトリンだって、サフィリナのことを見て安心した顔をしていた。


「私のことは心配しなくても大丈夫って思ってくれたかな……?」


 きっと思ってくれたはず。……だから……今だけ、泣いてもいいかな。彼らを恋しく思って、自分のために泣いてもいいかな。


「……会いたい」


 父の穏やかな声も、母のお小言も、弟のかわいらしい笑い声も、二度と聞くことはできないのだ。


 怖かっただろう。痛くて苦しかっただろう。無念を抱えて最期はなにを思ったのだろう。マリオンはまだ三歳だった。なぜ彼は短い人生を、むごい最期で終えなくてはならなかったのだろう。


「なんで、私だけ生きているのぉ……」


 ……私もそっちに行きたい。


 溢れた涙はボロボロとこぼれてシーツへと吸いこまれ、押しころした声はどんなに隠そうとしても嗚咽となって漏れていく。


 聞いた話では、家族を襲ったのは最近山中で頻繁に人を襲っている山賊で、取り締まりが強化された矢先だった。フルディムは山賊が出没する話を聞いて、山賊に出くわしてしまった場合に渡すことができるよう、金の入った袋を用意していた。それなのに、山賊は取るものを取っただけではすまさず、奪わなくてもいい命まで奪っていった。いったい家族にどんな咎があったというのか。


「お父さま、お母さま……マリオン……」


 枕に顔を押しあてて、心の中にため込んだかなしみや憎しみ、苦しさややりきれなさを吐きだし、それでもなにも晴れることはなく、心はますます暗闇へと堕ちていく。


 どうか彼らに安らかな眠りを。


 そう祈りながらも、胸をかきむしりたくなるような激しい慕情を抱え、この思いを誰にも知られまいと、声を殺して、それでも殺しきれない声がますます感情を揺さぶる。


「うう……っ……あぐ……ぅ」

「……」


 サフィリナの寝室のドアをノックしようと腕を上げたとき、部屋の中からくぐもった嗚咽が聞こえてジュエルスの手が止まった。その声は、これまで聞いたことがないほど悲痛で、自分が知るサフィリナの声とは思えないほど弱々しい。


 ドアをノックするために上げた腕を下ろし、うつむく。


 十四歳の少女が耐えられるようなかなしみではない、とわかっているつもりだったのに、まったくわかっていなかった。自分たちに心配をかけまいと、彼女は必死に明るく振る舞っていたのに、無神経な自分は、それをどこか安心したような気持ちで見ていた。それどころか、サフィリナはこの困難を乗りこえようとしているのだと、都合よく理解をしたつもりでいたのだ。


 そうではなかったのに。本当は彼女の心に寄りそって、かなしいならかなしいと、寂しいなら寂しいと言葉にさせてあげなくてはいけなかったのに。それができていれば、一人きりでこうして声を殺して泣く必要なんてなかったのに。


「……俺は、なんて間抜けなんだ……」


 ジュエルスはドアをノックすることもできないまま、長い時間その場に立ちつくしていた。


読んでくださりありがとうございます。

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