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狙われたドレス⑦

「もし、心配なら首輪をつけてくれてもいいよ。俺がどこにもいかないように」

「……あ、あれは、そういう意味じゃなくて」

「じゃ、どういう意味? 俺の体が目的か?」

「言っていないわよ!」


 サフィリナがすかさず顔を上げて否定をすると、ドナヴァンが楽しそうにクククと笑う。


「いつものサーニャだ」


 そう言ってドナヴァンが優しく包みこむような笑顔を見せた。


(不思議……)


 先ほどまで下降していた気持ちと、不安に揺れていた感情がすっと消え、奥のほうからポカポカした温かさが広がっていく。それは心地よくて、心が安らいで――。


「俺は、元気で前向きなサーニャが好きだけど、少し弱っているサーニャも好きだよ。だって、こうして抱きしめても怒らないだろ?」

「――っ!」


 はたと自分がしっかりドナヴァンにしがみ付いていることに気がついて、サフィリナは慌てて腕から抜けだそうとした。でも、力強く抱きしめられていて身動きが取れない。


「ちょっ……放して」


 しかしますますドナヴァンはその腕に力を入れる。


「放してやらない」

「なにを言っているの? ちょっと、ドナ……!」


 しかしドナヴァンはサフィリナの言葉には応えず、サフィリナの耳元で大きく息を吐いた。その熱がサフィリナの耳から頬へと伝わっていく。


「ドナ……?」

「……好きだよ、サーニャ」

「な、に……?」

「サーニャを愛している」

「――っ!」


 これまで聞いたことがないドナヴァンの甘い声が耳をくすぐり、サフィリナの心臓が跳ねあがる。でも――。


「……そういうの、もう、いらない」

「サーニャ」

「私には……恋とかそういうのは必要ないの。そんなものに振りまわされない人生を送るって決めているのよ」


 静かにサフィリナの体を離し、じっと赤く染まった顔を見つめるドナヴァン。先ほどまでの柔らかい表情は消え、とろけるような甘い声もどこかへ行ってしまった。


「……俺の気持ちがサーニャには信じられないということか?」


 サフィリナを見つめるドナヴァンの瞳が苦しそうに揺れ、サフィリナはぐっと唇を嚙む。


「ええ、信じることはできない」

「そうか……」


 そう言って寂しそうに笑うドナヴァンの顔を見ないようにして、自身の手を握りしめた。


 たぶん、違う。信じられないのではない。信じるのが怖いのだ。信じて心を預けてまた失うようなことになったら? もうきっと立ちなおれない。それなら、最初から――。


「サーニャの言葉なんて信じないよ」


 そう言いながらドナヴァンはサフィリナの腕を引き、再びぎゅっと抱きしめた。


「ちょ、ドナ――」

「だって、俺がこうやって抱きしめたら……こんなふうにかわいい顔をするんだろ?」


 そう言って、瞳を潤ませて真っ赤に染まったサフィリナの顔を見つめる。


「サーニャはうそつきだ。俺のことが好きなくせに」

「な――」

「俺を手放したくないくせに」

「それは、あなたが優秀な職人だからであって、特別な感情なんてな――」


 サフィリナの言葉が終わらないうちにドナヴァンはその細い体を離し、鋭く見つめた。


「優秀な職人なら、俺でなくてもいいってことか」

「ちがっ――!」


 慌てて顔を上げたサフィリナは、ドナヴァンと目が合って口を噤む。ひどく落胆したことがわかる冷めた瞳。


 ドナヴァンは溜息をついて視線を逸らし、ドアに向かって歩きだした。


「ドナ……どこに行くの?」

「帰る」

「どこに?」


 顔を青くしたサフィリナがおそるおそる聞く。足を止めて振りかえったドナヴァンが無感情な声で「俺の家だ」と答えた。


「すっかり勘違いしていたが、俺はただの従業員だ」


 そう言うとドナヴァンはいつもの優しい笑顔を見せることなく、ドアのほうへと歩みを進めた。


「ドナ……?」


 ドアノブに手をかけたドナヴァンが再び振りかえる。


「励ますつもりだったのに、変なことを言ってごめん。頭を冷やすよ」

「待って……」

「さようなら」

「いや……行かないで……」


 しかしドナヴァンはサフィリナの声に応えることなく、ドアを開け部屋を出ていった。


 サフィリナの足は床に貼りついてしまったかのように動かず、その場に立ちつくしていた。


 その日、サフィリナはまったく仕事が手に付かず、早々に自室へと戻っていった。窓際に置かれたイスに座り、テーブルに肘を突いて手の平に顎をのせ、夕日で赤く染まった雲を眺めながら溜息をつき、今日の出来事を思いだしてまた溜息をつく。


 ドナヴァンはサフィリナを愛していると言った。それに対してサフィリナは……。


 何度目になるかわからない大きな溜息。


(なんであんなことを言ってしまったのかしら……)


 恋をしない、したくない、と思っていたのは本当だ。でも――。


 ドアをノックする音が聞こえた。


「どうぞ」


 部屋に入ってきたのは執事のジェイス。


「料理長自慢のチョコチップ入りクッキーはいかがですか?」


 ジェイスが聞くと、サフィリナは少し笑って「いただくわ」と答えた。


 静かな部屋に、ジェイスが紅茶を淹れる音だけが聞こえる。


「ドナヴァンさまと喧嘩をなさったのですか?」

「……聞こえちゃった?」


 使用人たちは皆知っているのだろう。部屋の外に声が漏れていた可能性もある。だとしても、使用人はそういうことを口にしないのが普通だ。特にジェイスは、立場を弁えているため余計なことは絶対言わないし、漏らさない。そのジェイスが先ほどのやりとりについて言及したことに、少々居心地の悪さを感じるサフィリナ。


(周囲からは相当激しく喧嘩をしていたように思われているのかしら?)


 まぁ、多少大きな声を出したし、サフィリナとドナヴァンが喧嘩をするなんて誰も想像したこともないだろうし、驚いた者もいただろう。


 ジェイスは紅茶とクッキーをサフィリナの前に置いた。


「ありがとう」


 紅茶の香りを楽しんでから少し口に含み、クッキーを齧る。そして再び紅茶に口を付けた。


「ジェイスの淹れるお茶を飲むのは初めてかしら?」


「どうでしたかな。旦那さまや奥さまにはよくお出ししておりましたが、サフィリナさまにお出しするのは初めてかもしれません」


 確か、父フルディムはジェイスの淹れる紅茶が好きだったと思う。


「ウテナさまはいつもお砂糖を二杯入れていましたな」


 それに、いつもは紅茶にレモンを入れて飲んでいたが、ジェイスが淹れた紅茶にはミルクを入れていた。


「……懐かしいですな」

「ええ……」

「奥さまは悔しがっておられるでしょう」

「え?」


 ジェイスはニコッと笑う。


「幼いころのサフィリナさまは、きれいに着かざることにまったく興味がありませんでしたから」

「フフフ、そうね」


 ウテナが用意したドレスを悉くいやがり、最低限の飾りを施したドレスを渋々着るような少女時代。


「でも、今では誰よりも美しいドレスを作ることに精を出していらっしゃる」

「なんだか不思議よね」


 美しいドレスを素直に美しいと感じ、素敵なドレスに身を包んだ姿を想像して、心を弾ませている自分がいる。ウテナはそんな娘の姿を想像することができただろうか?


「人は変わるものです。出会いや経験で考えが変わり、時間をかけて心がいろいろなものを消化していく。いつまでも同じ気持ちではいられないし、いつまでもかなしみを同じ質量で抱えていくことは難しい」

「……」


読んでくださりありがとうございます。

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