狙われたドレス②
翌日、アンティオーク・シークレットの盗難事件を受けて、アンティオーク・カジュアルも防犯を強化する、との話が人々の口から口へと伝わった。
従業員たちが世間話を装って「明日には鉄格子がつけられるから安心だ」とわざとらしいくらいあちこちで言いまわったのだ。
「今日ではなく明日?」
「ああ、なんでも、店の外観を損ねない鉄格子の入荷を待っていたら、明日になったんだって」
それは本当だ。
「ふーん、外観がそんなに大事かね? あたしだったら、今すぐにでも鉄格子をつけてもらいたいけどね」
「ほら、あの店の店主は貴族さまだから、のんびりしてんだよ」
「ああ、なるほどね。いいねぇ、貴族さまは」
そんな話を耳にしながら、サフィリナは満足そうな顔をして街を歩きまわる。
(犯人がこの噂を聞いたら、今日の夜には店に来る――かもしれない)
正直に言えば、こんな噂を聞いて再び犯行を行うかは疑問だ。だいたい、犯人の目的もわかっていないのだ。ドレスが欲しいなら、わざわざアンティオーク・カジュアルを狙わなくてもいいし、金が欲しいなら宝石店がお薦めだ。でも怨恨なら。
(それなら可能性は十分あるわよね)
サフィリナを嫌っている人には心当たりがあるし、仕事をしているあいだに恨みを買っているかもしれない。
そんなことを考えながら、高級店が並ぶ通りから少し離れた、平民の生活を支える店が多く並ぶ通りを歩いていたとき、目の端に思いもよらない人物が見えた。
それは本当に偶然で、ともすればあっさり見のがしてしまうくらい一瞬のことだったが、なんとなくよぎった違和感がサフィリナの足を止めた。
「あの人は……」
とっさに踵を返したサフィリナは、赤毛の女性とかなり恰幅のいい女性、帽子を深く被り、無精ひげを生やした男性の三人が話をしている場所から、不自然にならないくらいの距離まで行き、顔を見られないように注意しながら聞き耳を立てる。
「――ああ、あんたの言うとおりだ。確かに鉄格子は必要だな」
男性が当然だという口ぶりで同意する。
「そりゃそうよ。ほかの店を見てごらん、鉄格子に錠前は当たり前なんだから。まぁ、貴族が通う店みたいに値の張るものなんてうちにはないけどね」
乾物を扱う店で店番をしている赤毛の女性は、そう言って首をすくめる。
「うちだってそうさ。でも王都はいろんな人がいて危険なんだから用心しないと」
恰幅のいい女性も赤毛の女性の言葉に同意する。男性は興味深そうに二人の女性の話に耳を傾け、愛想よく相槌を打っている。
「なるほど。それにしても警備の人間を配置するなんてずいぶん仰々しいな。王都ではそれが普通なのかい?」
「そんなわけないよ。でも、宝石店とかには確かに警備の人間がいるよ。ドレスを売っている店では聞いたことがないけどね」
「ああ、あたし理由を知ってるよ」
恰幅のいい女性が、そう言って得意げな顔をした。
「実はシークレットがしばらく休業して迷惑をかけたからとかで、カジュアルのほうで、なんとかコットンっていう高い綿のドレスを売るらしいわよ。それで警備を立てるんだって」
「それは、本当かい?」
男性が食い気味に女性に聞いた。
「さぁね、全部噂だから。でも、今日中にドレスが飾られるっていう話も聞いたよ」
その言葉に男性はなにやら思案しているようだ。
赤毛の女性と恰幅のいい女性はいつものように楽しそうに会話をしている。
「そのなんとかコットンっていうドレスは、どれくらい高いんだろうね」
「さぁね。あたしらの服を五年分買っても余るくらいじゃないかい?」
恰幅のいい女性の話に赤毛の女性が驚いた顔をした。
「そりゃすごい!」
「まぁ、あのお店はえらい貴族が使うからね。それくらい高いドレスしか置いていないだろうよ。ま、あたしらには縁のない店さ」
「一度くらい入ってみたいけどね」
「アハハハ、やめなよ。あたしらみたいな平民が店に入ったら、眩しくて目が潰れちゃうよ」
「そりゃそうね」
そう言って女性たちは楽しそうに笑っている。男性は話を聞いて満足をしたのか、女性たちに軽くあいさつをしてその場を離れた。
サフィリナは男性の姿が見えなくなったのを確認して、男性とは反対のほうへと歩みを進めた。
「……もしかして……」
考えもしなかった可能性があることを理解して、ずっしりと重くなった胸の奥に渦巻く感情は嫌悪か失意か。
「冗談にならなくなってきたわ……」
自身のタウンハウスに向かうサフィリナの歩みは徐々に速くなり、それに比例するように心臓も速く鼓動していた。
その日の夜。昼間の賑わいなど想像することも難しいほどの静寂の中に、ちらほらと見える人影は、浮浪者だったり、憲兵部隊の見回りだったり。
そしてそのどちらにも含まれない人影が、足早に歩みを進めている。
人影がたどり着いたのは高級店が並ぶ通りの一画。少しずつ速度を落とし、それと同時に不自然に振りかえり、横を見て遠くを見る。その視線が確認しているのは果たして――。
人影は袖の中に隠していたハンマーを出して持ち手を握り、勢いよく窓ガラスに向かって振りおろす。
ガラスの割れる音と共に人影はその場から急いで離れ、闇に身を隠した。
そして隠れた闇からしばらく辺りの様子をうかがい、誰も来ないことに安心をしたのか、割った窓ガラスから店への侵入を試みた。
「クソ、もっと思いっきり殴ればよかったな」
割れおちなかったガラスが鋭利な刃となって、人影の侵入を妨げているようだ。人影は窓枠に残ったガラスを適当に叩きわり、問題なく侵入できることを確認して、窓枠に足をかけて店内に侵入した。
真っ暗な店内を手探りで進み、伸ばした先でひとつのドレスが手に触れた。人影は強引にドレスを引っぱり、かけてあるハンガーから取ろうとしている。
「クソッ!」
うまくドレスが取れずに思わず声を出す。と、ドアが開き、光が部屋を照らした。同時に女性の声。
「そこまでです。ドレスから手を離しなさい」
「――っ!」
人影がぎょっとして声のしたほうを見ると、そこにはサフィリナとドナヴァン、セージと二人の騎士。人影は驚き、慌てて侵入した窓に向かったが、そこにも騎士が二人立っていた。
「伯父さま、逃げられませんよ」
サフィリナは静かに、しかし毅然と侵入者に告げた。
伯父さまと呼ばれた侵入者のジョシュアは顔をゆがめサフィリナを睨みつける。
「お前! 私をはめたのか! 伯父である私を!」
ジョシュアは怒りを込めて怒鳴りつけ、サフィリナにつかみかかろうとする。しかし、サフィリナの横に立つドナヴァンにその腕をつかまれた。
「おい、なんのつもりだ! 平民の分際で貴族の体に触れていいと思っているのか?」
「貴族でも泥棒だ。泥棒は捕まえないと」
そう言ってジョシュアの体を押すと、ジョシュアは勢いよく後ろに倒れこんだ。そして倒れこんだジョシュアを押さえつけたのは、ホルステイン侯爵有する騎士団の騎士二人。
「お前、伯父である私にこんな仕打ちが許されると思っているのか?」
ジョシュアは自身を見おろすサフィリナを憎々しげに睨みつけ、唾を飛ばしながら叫んだ。
「許すもなにも、あなたは私の店に侵入し、ドレスを盗もうとしたのですから、これは相応の対応だと思いますが」
かつてはジョシュアの声と視線に怯え、身を竦ませたこともあるが今はどうだ。その姿を見ても怖いとも思わないし、憐れにさえ思えてくる。
よれよれのスーツに、擦れてくたびれた靴。やつれた顔に無精ひげを生やし、以前会ったときの姿などもはや見る影もない。サフィリナに対する態度だけは変わっていないが。
そんな伯父は今、犯罪に手を染めようとしていて、それを実行するように仕向けたのはサフィリナだ。いや、そうしなくてもいずれは実行したのだろうが。
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