狙われたドレス①
太陽が顔を出したばかりの少し肌寒い早朝。約束の時間よりかなり早い時間にやってきたサフィリナに驚いて、慌てて階段を下りてきたドナヴァンの髪が、結わかれずに乱れている。
「泥棒?」
「ええ」
「王都に行くのか?」
「すぐに発つ予定よ。だからごめんなさい。今日は一緒に出かけられないわ」
ドナヴァンと約束をしていたが、その約束を果たすことができなくなったと謝りに来たのだ。
「いや、そんなこと気にする必要はない。出かけることはいつでもできるからな」
「ありがとう……」
「大丈夫か?」
「ええ」
そう返事をしたサフィリナだが、動揺は隠せない。それもそうか。
アンティオーク・シークレットのガラスを割られ、店内を荒らされたのだから動揺しないわけがない。運よく店内に飾られていたドレスは撤去されていたし、金目のものなども置いていなかったので盗まれたものはないが、泥棒に入られたショックは大きいだろう。
「見栄えが悪いからと思って、窓に鉄格子をつけなかったことが災いしてしまったわ」
通りに面した大きめの窓は、太陽光を取りいれて部屋全体を明るくしてくれるし、解放感があって気に入っていたのだが、それよりも優先すべきは防犯だった。サフィリナは自分の楽観的な考えを悔いているようで、眉間にしわが寄っている。
「……ちょっと待っていて」
そう言って踵を返したドナヴァンが、階段を駆けあがっていった。
「え? ちょっと……」
少しすると、大きめのカバンを持ってドナヴァンが階段を下りてきた。
「どうしたの?」
「俺も一緒に行こう」
ドナヴァンはそう言うとサフィリナの手をとって馬車へと向かう。
「え? でも……」
「いいからいいから」
そう言って馬車の扉を開け、サフィリナを乗せ、自身もあとに続き、御者に声をかけた。
「どういうこと? 本当にあなたも王都に行くの?」
「ああ、そうだよ」
ドナヴァンは機嫌のいい顔をして窓の外を見た。
「こんなに朝早く行動するのは久しぶりだ」
夜中まで仕事をしてエリスがやってくる昼前まで寝ているか、徹夜で作業をして明け方にベッドにもぐりこむことが多いため、朝日を浴びるのは久しぶりだ。
「でも、あなた、仕事は?」
「ああ、実は俺の雇い主はとても寛大なんだ。だから、俺が少しさぼったって大目に見てくれるよ」
「……フフフ、そうね。あなたの雇い主はとても寛大だわ」
サフィリナはクスクスと笑った。しかしその笑顔は次第に曇り、ぎゅっと口を結んで外を見る。
「……大丈夫か?」
「ええ……」
夜の人けがない時間の犯行だったため、けがをした人などはいなかったが、店内を整えるために数日は営業ができなさそうだ、と手紙には書かれていた。それに窓の外側には防犯のために鉄格子をつける、とも。
「心配だな」
ドナヴァンの言葉にサフィリナがうなずく。
「けが人がいないことだけは幸いだわ」
サフィリナにこのことを知らせてくれたのは、店の管理を任せているイヴリンだが、事情を知ったセージが、業者に手紙を預けては遅くなる、とホルステイン侯爵家有する騎士に手紙を託したそうだ。しかも騎士は途中で馬を借りて乗りついできてくれたというから感謝しかない。
「手紙を届けてくださったメルロー卿は、ほとんど寝ずに走ってくれたそうよ」
昨夜遅くに屋敷に着いた騎士のメルローは、とても疲れた顔をしていて、部屋に案内をするとベッドに倒れこみそのまま眠ってしまった、とジェイスが言っていた。かなり無理をして屋敷まで来てくれたのだろう。
サフィリナはぎゅっとドレスを握っている。
自分が到着したときには通常の営業が始まっているのだろう。しかし、従業員たちは不安を抱いているはず。顧客にも迷惑をかけているのに、こんな所で自分はなにをしているのだろうか?
そんなことを考えては気持ちを焦らせて、しかしはどんなに焦ってもすぐに店に着くわけでもなく。
「焦るなと言っても無理なことはわかるが、心配はいらないよ。店の従業員は優秀だろ?」
ドナヴァンはいつもの軽い口調でそう言って、いつもの笑顔を見せる。
「……そうね。皆とても優秀だわ。だから心配はいらないわね」
サフィリナは何度も自分にそう言いきかせた。
王都に着くまでの車中は、次第に明るい雰囲気へと変わっていった。もちろん努力をしてそうしているというのもあるが、ドナヴァンが大丈夫、心配ないとくり返し笑顔を見せてくれたことも、サフィリナの心の負担を軽くしてくれていたことは間違いない。
ようやく王都に入り、アンティオーク・シークレットまであと二時間程度というとこまで来たとき、サフィリナがぽつりと口にした。
「……ありがとう。本当は、すごく不安だったの。だから、一緒にここまで来てくれてすごくうれしい」
ドナヴァンは少しのあいだ言葉を詰まらせ、それから「ああ、これくらい当たり前のことだ」と笑った。
馬車がアンティオーク・シークレットの前に止まったのはその日の夕方。店はすでに閉店していて、客がいないことがわかる。
店の外装を見ると、割られた窓はすでに新しい窓がつけられていて、外側には鉄の窓格子。しかしそれはこれまで見たことがない白塗りの窓格子で、格子の本数は極端に少ないが、ツルや葉を想像させる曲線が重ねられているため人が通る隙間はなく、存在感があっておしゃれだ。
「……素敵だわ」
これまで見てきた窓格子は、ともすれば暗いイメージを与えてしまうのだが、目の前の窓格子は白ということもあって防犯というよりおしゃれな外装の一部、という印象を与える。
店の中に入ると、振りかえった従業員たちがホッとした表情を見せて近づいてきた。
「サフィリナさま!」
店を任されているイヴリンは特に安堵の表情を見せる。
「イヴリン、大変だったわね」
「いえ。こんなことになってしまってすみません」
「いいえ。今回のことは私の責任よ。本当にごめんなさい。私のわがままが悪い結果になってしまったわね」
そう言ってサフィリナは従業員の顔を見まわした。
「皆も不安にさせてごめんなさいね」
「いいえ」
そう言って従業員たちが首を振る。
「ああ、そうだわ。おみやげがあるの。皆で食べて」
そう言ってイヴリンに渡したのは小分けにされたマドレーヌ。
「まぁ、これはバーミオの?」
「ええ。運よく残っていたの」
バーミオとは小さいながらも歴史のある菓子店。そこで作られているマドレーヌは、昔から変わらない味として親しまれていて、過去には王族に献上したこともある人気商品。日によっては昼過ぎには売り切れてしまうほどで、そのマドレーヌをこの時間に買うことができたのは大袈裟に言えば奇跡だ。
「うれしいです。私一度も食べたことないから」
「私も」
年若いハンナとニナは頬を染めて喜んでいる。
「それはよかったわ」
サフィリナも満足そうだ。
その日、サフィリナとドナヴァン、そしてイヴリンは遅くまで話をしていた。
「何度考えてもわからないの。なぜうちに泥棒が入ったのか」
「私もそう思います。ガラスは割られましたし、事務所を漁った形跡もありましたが、金品がなかったのでなにも盗まれていませんし、どう考えてもリスクだけで、得することなんてないのに……」
高額な商品を取り扱う店では、商品の代金は後日屋敷に請求書を送り、それに対して顧客は小切手で支払いをするというのが一般的で、店に現金は置いていない。そして、アンティオーク・シークレットももれなくそのシステムを採用している。
そのため店内には、ドレス以外にそれほど金になるものはなかった。そのドレスさえも、運よく店には置かれていなかったのだが、犯人にしたら不運と言わざるを得ない。まぁ、調度品はそれなりにいいものを置いていて、売ればそれなりの金額になるかもしれないが、重くて移動させることも簡単ではないため、当然だが持ちさられることはなかった。
「それともほかに目的が?」
「うーん。ただいやがらせをしているだけかもしれませんね。顧客情報も手つかずだし、売上台帳は床に投げすてられていましたから……」
「……もしかしたら、本当にドレスが目的だったのかも?」
ぽつりと言ったドナヴァンの言葉に、サフィリナとイヴリンが眉根を寄せる。
「だってもしドレスを盗んでも、盗品だから着られないのよ? サイズだって合うかわからないのに」
「まぁ、そうなんだけど、あの店は誰でも入れるわけじゃないだろ? 盗品でも欲しいと思う人はいるかもしれない」
「それは……」
サフィリナとイヴリンが首を傾げる。いくらなんでも話が飛躍しすぎだ。
「危険を冒してまで手に入れたいものがドレスって」
「確かに」
無理がありすぎて今ひとつ納得できない。
「でも、いろんな可能性を考えて警戒することは大切です」
「そうね」
イヴリンの言葉にサフィリナがうなずく。
「そういえば、アンティオーク・カジュアルの窓に鉄格子をつけるのは明日じゃなかったか?」
ドナヴァンが言うと、サフィリナがうなずいた。
「ええ」
「それなら、罠を仕掛けてみよう」
「罠?」
「ああ。もし犯人が諦めていなければ行動を起こすかもしれない」
いったい、どんな罠を?
サフィリナは真剣な顔をして、イヴリンはワクワクを隠しきれていない表情で、ドナヴァンの話を聞いていた。
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