ブティック始動⑤
「やっぱりそういうことなのね」
ケイトリンは先日のお茶会について調べ、納得したようにうなずいた。招待されていないヒストリアがずいぶんとお茶会をかき乱してくれたようだ。
「オレガノン伯爵邸に行くわ。令嬢と会わなくては」
「それなら、俺も行きます」
ジュエルスが、厳しい表情でケイトリンを見た。
「いいえ。その必要はないわ」
「しかし」
「あなたが行ってもなにもできない」
ケイトリンの言葉にジュエルスがぐっと悔しそうに口を結んだ。
「それに、これは私が解決しなくてはいけないことなの」
「エル。ここはケイトに任せなさい」
セージもケイトリンと同じ考えのようだ。
「……わかりました」
そんな話をした一週間後。ケイトリンはオレガノン伯爵邸の応接室で、緊張した面持ちのトレイシーと向きあい、用意された紅茶の香りを楽しんでいる。
「とてもいいお茶ね。おいしいわ」
「お気に召していただけましたか? こちらはセズランからわざわざ取りよせたものなのです」
「そうなのね。そんな貴重なお茶をいただいてしまって、なんだか申し訳ないわね」
「そんな、とんでもないことです」
トレイシーは控えめに笑う。
(素晴らしい素養と気遣いね)
ケイトリンの好みを把握していて完璧なもてなしだ。
ケイトリンはカップをテーブルに置き、トレイシーを見て美しい笑みを浮かべた。
「どうして、こんなに素晴らしい能力をお持ちなのに、あんなことをしたのかしら?」
先日のお茶会での騒動は、確かにトレイシーらしくない失敗だ。
「……申し訳ございません。招待をしていないラチア侯爵夫人がいらっしゃると思わず。まさか、マニシャさまをあんなふうに中傷するなんて……。私の不徳といたすところです」
トレイシーは申し訳なさそうな顔をして頭を下げた。
「……ラチア侯爵夫人がなにを言ったかなんてどうでもいいのよ」
「え?」
「私は、なぜあんなことをしたのかと聞いたでしょ?」
トレイシーは顔を曇らせ、首を傾げた。
「あの、どういうことでしょうか? あの日はラチア侯爵夫人が――」
「そうよ、なぜラチア侯爵夫人にお茶会のスケジュールを教えたのか、と聞いているの。オレガノン伯爵令嬢?」
「――っ! い、いったい、なにをおっしゃって――」
「うそは通用しないわ。私を誰だと思っているの?」
ケイトリンの言葉にトレイシーが顔を青くしてうつむいた。
「あなたがラチア侯爵夫人と密かに親しくしていることは知っているわ」
「ご、誤解です。私はあの方と親しくなんて――」
驚いたように勢いよく顔を上げ、瞳を潤ませてケイトリンに訴えるトレイシー。
「私を知る人に聞いてみてください。皆さん、私がラチア侯爵夫人と距離をとっていることをご存じのはずです」
しかしケイトリンは小さく息を吐いて首を振る。
「それなら、あなた以外の令嬢がラチア侯爵夫人にスケジュールを教えたというの?」
「……も、もしかしたら、そうかもしれません。信じてください、私ではありません」
トレイシーは涙ながらに訴え、ケイトリンはわずかに顔をゆがませる。
「そう。あなたはなにがなんでも、私の勘違いだというのね?」
「そ、そういうわけでは」
トレイシーは顔を青くして体を震わせた。
「ラチア侯爵夫人って、話はおもしろいけど親しくはなりたくないタイプよね。実際、あなたも彼女にはあまり近づかないようにしていたことは、私も知っているわ」
「夫人……」
ケイトリンの言葉に、トレイシーは少しホッとした顔をした。ケイトリンがトレイシーの潔白を口にしてくれたから。
トレイシーがヒストリアを苦手としていることは、知る人ぞ知る話だ。ヒストリアの話はおもしろいかもしれないが、それに傷つく人もいて、その中にはトレイシーの友人が何人もいたから。だから、あまり彼女には近づかないようにしていたし、彼女の話を聞こうとも思わなかった。
「でも、実際彼女と話をしてみたら、けっこう気が合ったのではなくて?」
「え……?」
「夫人の夫のラチア侯爵は、あなたになんて言ったの?」
「え、どうして……?」
トレイシーはケイトリンから目を逸らし、ぎゅっとドレスのスカート部分を握りしめた。
(この人は、知っているの?)
ラチア侯爵夫人ことヒストリアは寂しい女性だった。
彼女の夫は愛人たちと多くの時間を過ごすため、ヒストリアはいつも屋敷に一人ぼっち。そんな中でヒストリアの心を慰めたのは、自分よりもっと不幸な誰かの話。
夫に殴られたり、自由にお金を使うことができなかったり、使用人たちからも相手にされていなかったり。そんな女性はヒストリアが想像していたよりずっと多い。
そしてそれを聞いては、自分は暴力を振るわれているわけでも、食事を与えられないわけでもない。あの人よりずっと幸せだと自分を慰める日々。
しかし、それだけで虚しさや寂しさが晴れることはなく、やけになって他人の不幸話を少し誇張して話したら、皆もっと話を聞きたがった。その瞬間、ぽっかり空いた穴に、なにかが少し詰まった気がした。
それからは、人の噂話を集めるためにあらゆるパーティーやお茶会に参加する日々。でも、完全に心に空いた穴を埋めることはできなくて。
そんなとき、夫であるラチア侯爵がトレイシーに関係を迫っている場面に遭遇した。
ラチア侯爵はどこからかオレガノン伯爵家の秘密を手に入れ、秘密をばらされたくなかったら自分の愛人になるようトレイシーに迫り、トレイシーはそれに怒り、顔を醜くゆがめてラチア侯爵を口汚い言葉で罵っていた。
ヒストリアはそんなトレイシーに驚いたが、ヒストリアよりもっと驚いていたのはラチア侯爵。まさかあの淑女として名高いトレイシーが、そんな下品な言葉を吐くなんて想像もしていなかったのだ。
侯爵は女性を口説いたり小狡く脅したりすることは得意でも、自分が攻撃されることにはあまり慣れていない。女性から非難されることはあったが、それも怒った愛人に別れを切りだされたときくらい。そのときでも、トレイシーに浴びせられた言葉よりずっと柔らかいものだ。
トレイシーは完璧な淑女の仮面を被った、ナイフのような女性だったのだ。
脅していたはずがいつの間にかラチア侯爵が脅される立場になり、顔を青くしたラチア侯爵は、トレイシーを「行き遅れの年増」なんて子どものような言葉で罵倒するだけで、尻尾を巻いて逃げていった。
その様子を見ていたヒストリアは、トレイシーに興味を持って近づき、トレイシーもヒストリアの前でその仮面を取ったというわけだ。
「ラチア侯爵夫人にお茶会の日程を伝えて、マニシャをつるし上げてくれとでも頼んだ?」
「……」
「まさか、いまだにあなたが恨んでいるとは思わなかったわ」
トレイシーはドレスを握りしめている手にさらに力を入れ、体を震わせた。
クローディアの取り巻きの一人だったトレイシー。クローディアは自分以外の女性をジュエルスたちに近づかせないようにしていたが、クローディアの取り巻きであるトレイシーは、なにかのきっかけで彼らと話をすることがあった。わずかなチャンスを逃さず、クローディアの目を盗んで、頬を染めてジュエルスに駆けよって――。
「あなたが息子に好意を持っていたことは知っていたわ。でも、いまだに彼のことを思っていたなんて」
それとも恨んでいる、と言ったほうがいいのかしら? とケイトリンが首を傾げる。
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