ブティック始動③
「それに、ジュエルスさまも悪いですわよね?」
「え?」
「あんなにサフィリナさんと仲がよかったのに浮気だなんて」
ヒストリアはそう言ってクスクスと笑う。
「そ、そんなこと……」
マニシャは真っ青な顔をして体を震わせた。そこへ、トレイシーが遮るように割ってはいる。
「ヒストリアさま、いくらなんでも言いすぎです。このお茶会を主催しているのは私ですよ。これ以上過ぎたことをおっしゃるようでしたら、退席していただきますから」
その語気は少し強めで、不快であると主張している。
「まぁ、トレイシーさんったら、そんなに怖い顔をしなくてもいいのに。私はマニシャさんからお話を聞いて、誰もが想像することを口にしているだけですよ。それに、もう社交界では密かに噂になっているではありませんか。マニシャさんが直接サフィリナさんに屋敷から出ていくように言ったとか」
「え……?」
「マニシャさんがジュエルスさまを手に入れるために、無理やり体の関係を持ったとか」
「な、に……?」
「あら? やっぱり、ご本人は知らなかったの? まぁ、知っていたらこんな所でのんびりとお茶なんて飲んでいられないわよね? 皆さんだって本当はご存じでしょ?」
ヒストリアの言葉に、令嬢たちは肯定をしているのか苦笑いをするだけ。
「そんな、そんなこと、していません……!」
しかし、弱々しいマニシャの言葉はヒストリアに一蹴された。
「フフフ、したとかしていないとかそんなことは関係ないのよ。誰も、本当のことなんて知りようもないんだから」
「……」
(本当のことを知らないのに、勝手に話を作って人を攻撃しているの? どうしてそんなことをするの?)
マニシャの体は小刻みに震え、浅い呼吸で肩が揺れる。
「でも、事情はどうであれ、ジュエルスさまがサフィリナさんを裏切ってあなたを選んだことに変わりはないでしょ? つまり、ジュエルスさまもほかの男の人と同じってことね。愛妻家というのは偽りで、結局は欲求に勝てずに浮気をして、妻を追いだしたのですから」
「ヒストリアさま!」
トレイシーが鋭くヒストリアを制したが、ヒストリアは楽しそうに声をあげて笑っている。
マニシャは顔を真っ青にしてうつむいていた。
ほかの令嬢たちも、さすがにヒストリアが言いすぎだと思ったのか、マニシャの様子をうかがって少し青い顔をしている。このことがケイトリンの耳に入れば、話を聞くことに賛成した自分たちの立場が悪くなる、と思っているのかもしれない。
「ヒストリアさま、今日はもうお帰りください。ほかの皆さまも。今日はここまでにさせていただこうと思います」
トレイシーがそう言うと、ヒストリアが首をすくめた。
「あら、残念ね。ああ、そうそう。私やっぱり刺繍クラブに入るのをやめるわ。そんな地味な作業は、私の性分に合わないので」
ヒストリアはそう言って立ちあがり「それじゃ、また楽しくお話をしましょうね」と言ってさっさと部屋を出ていった。
「あ、それでは、私も失礼しますね」
そう言って令嬢たちが次々と席を立ち、部屋をあとにした。マニシャものろのろと立ちあがり、うつむいたまま部屋を出ていこうとしている。
「マニシャさま、本当に申し訳ありません。こんなつもりではなかったのに」
うつむいたマニシャの少し上のほうからトレイシーの声が聞こえ、マニシャはおずおずと顔を上げた。
「……いいえ。こちらこそ、私のせいでお茶会を台無しにしてしまい、すみません」
真っ青な顔に必死に笑顔を張りつける様子は痛々しい。
「マニシャさま、そのようにおっしゃらないでください」
「いいえ。……トレイシーさまにご迷惑をおかけしてしまい」
「マニシャさま」
「それでは……私もこれで失礼します」
マニシャは小さく頭を下げて部屋を出ていった。
ホルステイン侯爵邸に戻ったマニシャは、目を真っ赤に腫らし、早足で自室へ入っていく。少しするとドアの向こうからジュエルスの声が聞こえた。
「マニシャ? どうしたんだ?」
帰宅して、あいさつもないままマニシャが自室に入っていったため、心配をしているようだ。ましてや、今日は初めて一人でお茶会に参加したのだから、なにかあったと察するのは当然だ。
「……なんでも、ないの。緊張して、疲れてしまっただけよ」
「そうか……。それなら少し休んで落ちついたらおいで」
「……ええ、そうするわ。ありがとう」
「……」
マニシャになにか声をかけようと口を開いて、でも気の利いた言葉も浮かばずに口を閉じる。ジュエルスは踵を返しその場をあとにした。
「マニシャはどんな様子?」
居間で紅茶を飲んでいたケイトリンは、ジュエルスが一人で戻ってきたのを見て、わずかに眉間にしわを寄せた。ジュエルスは首を振り、セージとケイトリンが小さく息を吐いた。
「なにがあったのかしら?」
トレイシーが開くお茶会なら問題はないと思ったのに。
「なにもなかったと考えるほうが、無理があるかもしれないな」
たとえトレイシーが好意的にマニシャを招待してくれたとしても、その場にいた人たちがすべてマニシャに好意的なわけではないだろう。トレイシーがその場をうまく回してくれても、不快に思う者がいればその場を乱すことは簡単。その乱れは小さなひびにも、大きな亀裂にもなるのだ。
「時間をおいてマニシャに聞いてみるしかないわね」
「そうだな」
ケイトリンの言葉にセージがうなずく。
人前に出さなければ大変な思いをすることは少なくなるが、いつまでも周りの人間に頼っていては侯爵夫人としての責務は果たせない。彼女がいずれ越えなくてはならない試練だと思って、お茶会に参加させたが。
「……私の決断は間違っていたのかしら? マニシャには負担が大きすぎたかもしれないわ」
「……母さん」
わかりきっていたことだ。それでも――。
ジュエルスはぎゅっと眉根を寄せて難しい顔をし、小さく息を吐く。
「俺、もう一度マニシャの所に行ってきます」
「やめておけ」
「しかし」
「今は一人にしてあげたほうがいいわ」
(……そうやって理解したつもりになることが、相手にもっと苦しい思いをさせるんだ)
過去にすでにそれを経験し、二度とそんなことはしないと誓っている。
ジュエルスは無言で立ちあがってドアに向かった。
「エル」
「大丈夫です。声はかけません。ただ近くにいようと」
「……そうか。それなら、そうしてやるといい」
「はい」
そう言ってジュエルスが部屋を出ていった。
セージは大きな溜息。ケイトリンも額に手を当て、小さく首を振った。
「うまくはいかんな」
「そうね……」
そう返事をして、ケイトリンがセージを見た。
「ねぇ、あなた」
「なんだい」
「エルのことなんだけど。……もしかして、あの子、記憶が……」
「ああ……」
どうやら二人は同じことを考えたようだ。
「彼が言ってくれるまで待とう」
「そうね」
二人は喜びとも戸惑いとも言えない複雑な表情で、再び大きな溜息をついた。
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