ブティック始動②
ホルステイン侯爵家に届く手紙の中で、最近特に多いのはマニシャ宛てのお茶会の招待状。マニシャが社交界に顔を出すようになると、待っていましたとばかりに送られてくるようになったのだ。
これまではケイトリンとセージだけが社交界に顔を出していたため、ジュエルス、マニシャ、サフィリナの三角関係や二人のなれそめなどの情報を得ることはできなかった。サフィリナにお茶会の招待状を送っても一切断られるし、彼女がお茶会を開くこともパーティーに参加することもないため、知りたいことをなにひとつ知ることができなかったのだ。
それが、ようやく一番話を聞きだしやすそうなマニシャが、人々の前に姿を見せることになったのだから、諸処から招待状が届くのは仕方のないことだ。
「わかってはいたけど、本当に暇な人が多いわね」
参加、不参加と書かれた箱を前に、ケイトリンは送り主だけを確認して、ポイポイと不参加の箱に入れていく。しばらく同じ作業をくり返したところでケイトリンの手が止まった。
「まぁ、オレガノン伯爵令嬢からだわ」
そう言って封を開け中身を確認する。そして、納得したようにうなずいた。
「マニシャ、このお茶会にしましょう」
そう言って、不安そうな顔をしながらケイトリンの作業をじっと見つめていたマニシャの前に、封筒と手紙を置く。
「は、はい」
マニシャはそれを手に取ってじっとみつめた。
「トレイシー・マイオニ・ハスラ……」
文字がまったく読めなかったマニシャだが、今では名前を読むことができるし、本も簡単なものなら読むことができるようになった。しかし、残念ながらケイトリンが当初計画していた学習スピードより、かなり遅れているのが現状だ。
「招待客も少数だと書いてあるし、あなたが一人で参加する初めてのお茶会としてはとてもいいと思うわ」
オレガノン伯爵家の令嬢トレイシー・マイオニ・ハスラーは、その美しい容姿と人当たりのよい性格から性別を問わず好かれていて、彼女が主催するお茶会に参加したがる人は多い。
そんなトレイシーが開くお茶会にマニシャが招待された。しかもマニシャを気遣って、数人にしか招待状を送っていないため気軽に参加をしてほしい、と書かれている。
「この気遣いはさすがね」
ケイトリンはその招待状を見て彼女を賞賛した。
慣れない世界に足を踏みいれる新参者に、手痛い洗礼を浴びさせる古参は多い。それを見こして、招待客は伯爵以下で口が堅く、穏やかで信頼のおける人たちを招待するようだ。
「オレガノン伯爵令嬢は人望もあるし、彼女と親しくすることはいいことだわ」
そう言ってケイトリンが送りだしてくれたのだが――。
想像していた人数よりずっと多い招待客と、向かいの席に座っているラチア侯爵夫人であるヒストリアのおかげで、完全に委縮してしまったマニシャ。
本来ならここにいるはずのないヒストリアが、突然お茶会に参加したいと乗りこんできたとき、会場が一瞬ざわついた。招待していないのに勝手にやってくる非常識さより、やってきた客人がヒストリアであることが問題だったのだ。
しかし、トレイシーより立場が上のヒストリアを断ることもできず、トレイシーを含むマニシャ以外の令嬢は観念したように小さく溜息をついた。
ヒストリアはよく言えば情報通、悪く言えば噂好きで歩く蓄音機だ。彼女の話し方は軽妙で、耳にした話を何割か増幅させ、面白おかしく聞かせるため皆彼女の話を聞きたがる。自分が話題の提供者でない限り。
そして今日は、マニシャからおもしろい情報を手に入れようとしているのだ。
親切なトレイシーがそっとそれを教えてくれなければ、マニシャは言わなくてもいいことまで口にしていたかもしれない。実は、ヒストリアは相手から話を聞きだすことにも長けているのだ。
「トレイシーったら、本当に人が悪いわ、私を招待してくれないなんて」
ヒストリアはにこやかな笑みのままトレイシーにチクリと嫌味を言う。
「申し訳ございません。本日は刺繍クラブの集まりでしたので」
トレイシーも平然とうそをついた。
「あら、マニシャさんも刺繍クラブのメンバーなの?」
ヒストリアは表情を曇らせているマニシャをチラッと見て、それからトレイシーに視線を戻した。
「ええ。彼女は最近メンバーになったので、顔合わせを兼ねて刺繍クラブの皆さんにお集まりいただいたのです」
「ああ、そうだったの。私ったら部外者なのに参加してしまってごめんなさい」
「いいえ、とんでもないことです」
トレイシーは柔和な笑みを浮かべたまま。
「そうだわ。それなら、私も刺繍クラブに入れてくれないかしら?」
「まぁ、ヒストリアさまも?」
ヒストリアが唐突な申し出に令嬢たちはわずかに顔をしかめたが、トレイシーは冷静だ。驚きもせず、柔和な笑みを崩すこともしない。
「ええ。そうすれば、私がここにいてもおかしくないわ、いいでしょ?」
「もちろん歓迎いたしますわ。私たちは月に二回ほど集まって一緒に刺繍をして、その月の最後にお披露目会をするのです」
「へぇ、そう」
「ヒストリアさまの刺繍を拝見させていただけるなんて本当にうれしいですわ」
「は?」
ヒストリアが眉をひそめた。
「どうして私が刺繍をしなくてはいけないのかしら?」
「まぁ、ヒストリアさま。刺繍クラブに入ったのですから刺繍をするのは当たり前ですわ。ね? 皆さん」
トレイシーがそう言うと、その場にいた令嬢たちが一様に笑みを見せてうなずいた。
しかしヒストリアはそれを無視してマニシャを見る。
「そんなことより、せっかくだから今日は楽しくお話をしましょうよ、ねぇ? マニシャさん」
「……ええ、そうですね」
マニシャは引きつった笑顔で小さく返事をした。
「よかった! ほら、マニシャさんって今話題の人でしょ? 皆さん、あなたとジュエルスさまのお話を聞きたいと思っていたのよ。それなのに、全然姿を見せないから、体調でも悪いんじゃないかと思って、私とっても心配していたの」
「それは、えっと――」
マニシャは困ったような顔をして、次に続ける言葉を探した。が、そんなマニシャの言葉を待つことなくヒストリアが続ける。
「大けがをしていたジュエルスさまをお助けしたのが、出会いのきっかけでしたっけ?」
「……ええ――」
マニシャがうなずいた。
「それであなたが昼夜を問わずお世話をしたら、いつの間にかお互いに好きになってしまったってこと?」
「……ええ……そうです」
少し顔をゆがめたマニシャが小さく返事をする。
「ヒストリアさま、そういうお話は別の機会になさいませんか? 今日は刺繍クラブの集まりですから」
トレイシーが提案しても、ヒストリアはクスリと笑うだけ。
「でも、皆さんお二人の出会いにとても関心があるみたいよ?」
ヒストリアの言葉のとおり、興味津々にマニシャを見つめていた令嬢たちは慌てて視線を逸らした。
「こうしてお会いできたわけですし、誤解を生むよりご本人の口から直接聞くほうが、変な噂が広がらなくてよろしいのではなくて?」
ヒストリアがもっともらしいことを言うと、ほかの令嬢たちも互いに顔を見あわせてから口を開いた。
「確かにヒストリアさまのおっしゃるとおりですわ。なにも知らずにご本人以外の方からお話を聞いて、それが間違っていても、私たちはそれを信じてしまうかもしれませんもの」
「こうしてお会いしているのですから、お話を聞かせていただきたいですわ」
ほかの令嬢たちも、ヒストリアに便乗して自分たちの欲求を口にした。どうやら今日集まった令嬢たちの本当の目的は、ヒストリアの言うように、ジュエルスとマニシャの話を聞くことだったようだ。それに加えてサフィリナのことまで聞ければ言うことなし、といったところなのだろう。
「皆さん、私と同じ意見でうれしいわ。それで、マニシャさん、あなたはジュエルスさまにサフィリナさんという奥さまがいたことをご存じだったの?」
「え……い、え……」
もちろんマニシャは知らなかったのだから、知らないと言えばいいのだが、そうなるとジュエルスが意図的に既婚の事実を隠していたと思われてしまう。マニシャが知っていたと言えば、マニシャが意思を持って略奪したと言われ、白い目で見られるのだろう。とはいえ、記憶を失くした事実はジュエルスの弱点となるため、絶対に口外することはできないし。
(お義母さまは、なにも言わなくていいと言っていたけど、この状況では……)
マニシャはぎゅっとドレスのスカート部分を握り、大きく呼吸をして口を開いた。
「……知って、いました」
「はっ! 知っていたのに?」
ヒストリアの鋭い指摘に、マニシャの体がビクッと強張った。
「私が……彼を、好きになってしまって」
「好きだから奪ったんですか? 妻が近くにいないからいいと思って?」
「……」
「あわよくば侯爵夫人になろうとでも思っていたのかしら?」
「そんなことありません!」
平民ではないだろうと思っていたけど、まさか侯爵家の後継者なんて想像もしていなかった。しかし、ヒストリアは口角を高く上げ、蔑むような視線をマニシャに向ける。
「普通なら、平民が侯爵夫人になれるなんて思うわけがないですわよね? 誰だって、そんなことありえないと言うはずです。でも、あなたはいずれなるのですよね? 侯爵夫人に」
そう言ってマニシャを鋭く見つめる瞳から、卑しい平民のくせに、という言葉が聞こえるようだ。
マニシャはその視線から逃げるようにうつむいた。しかし、ヒストリアの次の言葉で再び顔を上げる。
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