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新たなスタート⑤

「なんで? どうしてなの?」


 体調が戻るまでの一週間、ドナヴァンの家で過ごしたサフィリナはいろいろと焦っていた。


 ドナヴァンのベッドを占領していた。一週間も寝て過ごした。一切仕事をしていない。人と会う約束をしていたのに、連絡もせずにキャンセルをしてしまった――などなど。とにかくこの一週間はサフィリナにとってありえないことばかり。


 しかし、サフィリナだけが焦っていて、エリスはニコニコしながら食事の用意をしているし、ドナヴァンに至っては、俺も休んだから問題ない、とまったく訳のわからないことを言って、いまだにゴロゴロしている。


 そういうことではない、と怒ると、寝室はほかにもあるから、サフィリナがベッドを占領しても問題はない。一週間くらい俺だって平気で寝る。先方にはジェイスが連絡をしてくれている。いったいなにが問題なんだ、と言いだすし。


「休んでいる時間なんてないっていうのに!」

「これだから仕事中毒は……」


 ドナヴァンは溜息をついた。


 体調が悪かったときはずいぶん素直だったし、迷惑をかけて申し訳ない、なんて何度も謝って殊勝な姿を見せていたというのに、どうやらあれは幻だったようだ。


「今からでも会う時間を設けてもらえるようにお願いしないといけないわ! でも、どうして私の服が全部こんなのなの!」


 エリスがサフィリナのために用意した服は、休日を過ごすためのカジュアルなものや、街に遊びに行くときに着る、少し華やかなものばかりで、仕事で着ている動きやすくシンプルな服はひとつもない。


 もしかしたら重なっていて見えていないだけなのかもしれない、と思って何度もシャツやスカート、ドレスを確認するも、仕事用の服を見つけることはできなかった。


「早く屋敷に帰らないと」

「帰らなくていいんだよ」

「え?」


 慌てているサフィリナを制するように、ドナヴァンがサフィリナの手首を握って引っぱり、そのままソファーに座らせる。


「これから一週間、君は仕事を休むことになっている」

「は?」

「体調不良で仕事を休むことを伝えてあるから。もうジェイスさんが取引先や工場、店のほうにも連絡をしているよ」

「なんでそんな勝手なことをするの?」


 サフィリナは半ば怒り気味だがドナヴァンは平然とした顔をしている。


「体調を崩して周りに迷惑をかけるくらいなら、しっかり休んだほうが皆のためになる」

「――っ!」


 その言葉はサフィリナには十分すぎるほど強烈な一撃だ。


「……そうよね」


 ドナヴァンの言うとおりだと思うと一気に消沈していく。


「皆に迷惑をかけてしまって本当に申し訳ないわ。自分の体調が悪いことにも気がつかないで、出先で倒れるなんて、先頭に立たなくてはならない人間のすることではないわよね。きっと皆、私に仕事を任せて大丈夫なのかと不安になっているわ。自己管理もまともにできず迷惑をかけてしまって、失望しているかもしれない。普段偉そうなことを言っているくせに――」


 これでもかと言わんばかりのサフィリナの落ちこみに、ドナヴァンが慌てて口を挟んだ。


「いや、待って待ってごめん。ちょっと言い方がひどかった。誰もそんなこと思っていないから」


 必死に訂正してもサフィリナの落ちこみは止まらない。


「そんなことないわ。きっと皆、いやになっちゃったわよ――」

「いやにならないから」


 ドナヴァンがサフィリナの両腕をつかみ、まじめな顔をして薄い翡翠色の瞳をのぞき込む。


「皆、サーニャのことを心配している。無理してこんなふうに体調を崩さないか、ずっと気を張っていていつか心が折れてしまわないか、皆が心配しているんだよ」

「……」

「だから、俺がサーニャを休ませると言ったら、皆喜んでくれたよ」

「皆が?」

「ああ。皆、それがいいって言ってくれたんだ」


 ジェイスなどは直ちに各所に手紙を送り、約束諸々の日程をもれなく変更する手際のよさだ。


「だから、皆の好意に甘えてサーニャは休まないといけない」


 ドナヴァンは子どもに言いきかせるようにサフィリナに言う。


「やっと体調が回復したのにすぐに仕事を始めたら、それこそまた倒れてしまうのではないかと心配になってしまうだろ?」


 しっかり休んで、皆を安心させてあげないと、という言葉にはかなり心を動かされたようだ。


「……わかったわ。そうする」

「本当か?」

「うん。皆に迷惑をかけるわけにはいかないし、せっかくの好意を無駄にしたくないわ」


 サフィリナがそう言うとドナヴァンが急に顔を輝かせた。


「よし、それならさっそく出かけよう」

「え? 休むんじゃ……?」

「休むのは仕事だよ。元気はありあまっているんだろ?」


 ドナヴァンがからかうようにサフィリナを見て口角を上げた。


「まぁ、元気だけど……」


 なんだか騙された気分だ。……でも、せっかくだし、ドナヴァンに振りまわされてみるのも悪くない。


「……いいわ、出かけましょう」


 サフィリナがいたずらっ子のような笑みを見せると、ドナヴァンもニッと笑う。


「よし、準備が終わったらすぐに行こう」


 ドナヴァンはそう言うと、サフィリナがニコッとしてうなずいた。


 二人が向かったのはチェスター領の北側にある中心街。欲しいものはだいたいここで手に入れることができる。特に今日は休日のため朝市が開かれており、いつも以上に活気がある。市場で売られているものは野菜や果物、肉、チーズやミルク。魚も少し置いてあるし、その場で調理されたものを食べることもできる。そのほかに生活雑貨や古書なども売っている。


「さて、まずはなにをしようか?」


 ドナヴァンが辺りを見まわしながらサフィリナに聞いた。


「そうね。喉が乾いたからなにか飲みたいわ」

「それなら……あそこに行ってみよう」


 ドナヴァンが辺りを見まわし、人が集まっている露店のひとつを指さした。そこは最近人気のフルーツジュース屋さん。常時五種類のフルーツを揃えていて、その場で搾ってくれる。フルーツだけでなく、野菜もジュースにしてくれるというのも人気の理由らしい。


「まぁ、こんな飲み物があるのね」


 瞳を輝かせたサフィリナはうれしそうに、搾ったオレンジの果汁にスライスをしたきゅうりを入れたジュースを手にして、道の端にあるベンチに腰を下ろした。その隣にはドナヴァン。


「ドナのそれはなに?」

「ああ、これかい? これは青菜とバナナをミルクで伸ばしたものだよ」

「まぁ、青菜をジュースにしているの?」

「ああ、野菜嫌いに人気らしい。青菜をすり潰しているからか渋みがあって、少し口に残るのが欠点だな」


 ドナヴァンはそう言ってひと口飲んだ。


「でも、すごくいいアイディアね。バナナが入っているから子どもでも飲めそうだわ」

「そうだな、飲んでみるか?」


 そう言ってドナヴァンがカップをサフィリナに差しだす。


「え? 本当? いいの?」


 サフィリナは顔を輝かせてカップを受けとろうと手を伸ばした。


「え?」


 ドナヴァンが少し間抜けな顔をしてサフィリナの顔を見ている。


「え?」


 サフィリナもドナヴァンのその顔を見て少し間抜けな顔をする。


「本当に、飲む?」

「え……?」


 サフィリナは伸ばした自身の手を見て、それからドナヴァンが持つカップを見た。


(ドナのジュース……)


 そこでようやく気がついて顔を真っ赤にする。


(間接キスじゃない! 私ったら!)


「じょ、冗談よ! 本気じゃないわ! どうぞ、ドナのだからいっぱい飲んで!」


 そう言って大きく手を振り、慌てて自身の手に持つカップに口を付けゴクゴクと飲む。ドナヴァンは目を丸くしてその様子を見ていたが、サフィリナの慌てている様子がおかしくて次第に声を上げて笑いだした。


「慌てすぎだ」


 ドナヴァンの言葉のとおり、慌てたサフィリナはジュースを飲んでいる最中にむせ返して、胸をトントンと叩いている。ドナヴァンは少し苦しそうにするサフィリナの背中をさすっているが、笑いが堪えきれていない。


「……笑いすぎ」


 ようやく収まったサフィリナの顔はいまだに赤いし瞳が潤んでいる。


 ドナヴァンは笑いすぎて流れた涙を指で拭いながら「ごめん、ごめん」と謝る。


「サーニャの意外な姿を見たらおかしくてさ」


 そう言ってまた小さく吹きだした。どうやらまた思いだしてしまったらしい。一生懸命笑うのを堪えようとしているのに肩が揺れている。


 その様子を見てサフィリナは、不満そうに口先を尖らせた。


読んでくださりありがとうございます。

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