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新たなスタート③

 王妃テレシアから謁見の日程についての返事が来たのは、サフィリナが申込をして二週間ほどたってから。


 ジュエルスと離縁をして以来、長く不義理をしてしまっていたため、謁見の許しを得るには時間がかかるかもしれないと思っていたため、予想よりずっと早く返事が来たことにサフィリナは安堵した。


 謁見の日。宮殿の入り口で大きく息を吸って気合いを入れたサフィリナが、顔をきりりとさせて中へと入っていく。


 サフィリナが身にまとっているのは、腰のあたりで切りかえしたスカート部分がストンと落ちた深い緑色のドレス。胸のあたりに刺繍が施されているもののそれ以外に装飾などはなく、一見するととてもシンプルだが、生地にはファイネルコットンが使われており、歩くたびに揺れるスカートの裾の動きまで計算された、サフィリナにとっての戦闘服とも言うべき勝負ドレスだ。


 そして、その勝負ドレスを輝かせるのがサフィリナ。すらりとした高い身長と翡翠色の瞳、上品に結いあげた艶やかな金色の髪。小ぶりの宝石がついたネックレスとイヤリングが控えめに輝いている。


 これではどうしたって人の目を引いてしまうのだが、緊張して前しか見ていないサフィリナは、すれ違う人が振りかえってもその熱い視線に気がつかない。


 謁見のために通された部屋で三十分ほど待ったころテレシアが入ってきた。慌てて立ちあがるサフィリナ。


「久しぶりね、リナ」

「殿下、ご無沙汰をいたしまして申し訳ございません」

「本当ね」


 立ったまま恐縮しているサフィリナに座るように告げ、お茶の準備を終えた侍女を部屋から出した。


「元気にしていたの?」

「ご心配をおかけいたしました。私はこのとおり元気にしております」

「そう。よかったわ」


 ジュエルスと良好な関係にあったことを知っているテレシアは、ジュエルスの出征と失踪、そして急転直下のお家騒動の渦中にあったサフィリナをずっと心配していた。しかも離縁の原因がジュエルスの浮気。子を作って相手と一緒に帰ってきたと聞けば、眉根を寄せてしまっても仕方がない。とはいえあのジュエルスが浮気? とテレシアは信じられない気持ちだった。それほどサフィリナとジュエルスの関係は良好だったのだ。


 そのため、ケイトリンにしつこく事情を問いつめたところ、ジュエルスが記憶を失ってしまった話を聞いた。


 もし次期侯爵であるジュエルスの記憶がないなんてことが人に知られれば、それは弱点にしかならない。そのため、その事実を隠し、ジュエルスの浮気が原因で離縁したことにしたのだ。


「それで?」


 早速テレシアが本題に入った。


「はい。実は――」


 マックトンの現状と庇護の必要性、彼がビンガムトン王国で成した実績と、将来への期待と展望。それを「必ずや、この国の染色分野に大きな礎を作ってくださるはずです」と、自信を持って話をするサフィリナ。


 テレシアはそれを静かに聞き、ときおり相槌を打った。


「話はわかったわ。でも、たとえ彼を私の客人として迎えいれると言っても、他国にいては私が守ることはできないわよ」

「もちろんです。実は、すでに引退した騎士の中で、まだ十分に剣を振ることができる、信の置ける方がいれば紹介していただけないかと思っています」

「引退をした騎士?」


 人によって差はあるが、体力、技術、精神力のすべてが最も充実しているのは三十歳前後と言われていて、多くの騎士はその年齢を過ぎ、能力の低下を感じはじめると引退を決断する。


 しかし実際には、貴族が抱える私兵より、騎士団を引退した騎士のほうがよほど実力があるなど、まだまだ現役で働ける騎士はいるのだ。そんな実力を持つ引退騎士を紹介してほしいと言っている。


「確かに、惜しいと思っている元騎士を知っているわ」

「でしたらぜひ」

「いいでしょう。でも、私は紹介をするだけよ」

「はい、それで十分です」


 サフィリナは瞳を輝かせ、小さく頭を下げた。


「それと」

「まだあるの?」


 ずいぶんと図々しくなったのね、とテレシアが笑う。サフィリナはそんな言葉を、にこやかな笑みで右から左に聞きながして話を続けた。


「はい。ペスマンさまが功績をあげた暁には、それにふさわしい爵位を彼に与えてほしいのです」

「爵位……」


 爵位を手にすれば、他国の人間は迂闊に手を出すことはできないということだ。


「それで、私にはどんな利益があるの?」


 まさか染料の権威だからというだけで、王妃を動かすわけではあるまい? とテレシアが口角を上げた。


 サフィリナも待っていたかのように口角を上げる。


「ペスマンさまがこれから研究しようとしているのは、ロイヤル・パープルです」

「ロイヤル・パープルですって? それは本当なの?」


 テレシアの少し大きめの声でその驚きがわかる。


「はい。本当です」


 サフィリナが力強くうなずく。


「なんと……」


 高貴な者だけが身に着けることを許されたロイヤル・パープルは、亡国と共に失われて久しく、幻の紫と言われている。もちろん、ロイヤル・パープルを復活させようとした者がいないわけではない。しかし、それが簡単ではないことを証明するように、試みは悉く失敗し、これまでロイヤル・パープルの復活を成功させた者はいない。


「その幻の紫と言われたロイヤル・パープルを復活させることができたとき、最初にそのお色を身にまとうのは、王妃殿下がふさわしいと存じます」


 もしロイヤル・パープルを身にまとえば、国内だけにとどまらず国外からも関心が集まるだろう。


「……なるほど。悪くないわ」


 テレシアは満足そうな顔をしてうなずいた。


「期待していいのね?」

「もちろんです。間違いなく、ペスマンさまがそれを成しえるはずです。私は、彼がこの国に大きな利益をもたらすものと確信しています」


 サフィリナのその表情には迷いがなく、必ず成功するという自信に溢れている。


 それがテレシアには眩しくもあり、妬ましくもある。


(確かにペスマンという男は、この国に大きな利益を与えるかもしれない。でも、彼だけが価値のある存在ではないわ。サフィリナ、あなたにその自覚はあるのかしら?)


 サフィリナは、亡国の言語であるトレイアル語を学び、資料を集めてヒントを探したと言うが、決して簡単なことではなかったはずだ。


 それに本当にロイヤル・パープルを再現できるかはわからない。それほど難しいことなのに、この自信にあふれた表情を見ていると、きっと成しえてくれるだろう、と期待してしまう。


 そんな期待をさせるのが、どこぞの著名な学者でも、研究者でもなく、一人の若い女性なのだ。


(賢いだけでなく度胸と行動力もある。ケイトリンが気に入るはずだわ)


 この国でトレイアル語を習得している者が、どれほどいるのだろうか。それが女性となると、サフィリナ以外にいると考えるほうが難しいかもしれない。


 女性が学ぶことをよしとしない考えが中心のこの国で、サフィリナやケイトリンのような女性は非常に稀だ。ましてや、労働で金を稼ぐのは平民のすることと考えるのが一般的で、貴族女性が会社を経営するなんてとんでもないことなのに、サフィリナは父親の会社を継ぐだけでなく、新しい事業も展開しようとしている。


 さらにサフィリナは男爵位を継いでいる。


 しかしこの王国では、女性が爵位を継ぐことはできるが、実際に爵位を継いだ女性はほとんどいない。なぜなら、女性は男性のような教育を受けていないため、継ぐ資格があっても継ぐにふさわしい知識や能力が備わっていないのだ。その点、サフィリナは侯爵家で実務をこなすなどすでに実績がある。


 とはいえ、それを知るのは一部の人間のみ。


 そのためサフィリナのことを、領地を持たず名ばかりのくせに、よく恥ずかしげもなく自らを男爵と名乗るものだ、と嘲笑する者もいる。中には、爵位や事業など、彼女もろとも手に入れようと考える者も。


(思えば女性には不利益なことばかりね)


 そういうものだと思っていたときは気がつかなかったことも、目を細めて見てみれば矛盾だらけだと気がつく。そして、それを当たり前のように受けいれていた自分がいる。


 でも、ずいぶん時間はかかったが気がついてしまった。


(そろそろ古く凝りかたまった考えを改めなくてはいけないわ)


 能力があってもそれを発揮することが許されない社会では、今以上の発展は望めない。それは国にとって大きな損失だ。それならば、間違いを認めそれを正し、誰でも平等に評価される世界に変えていくほうがよほどいい。


 しかしそれは簡単なことではない。人の考えやこれまでの慣習を変えるには大きな力やきっかけ、根気強い努力と強い意志が必要だ。そして残念なことに、テレシアはそのうちのひとつも持ってはいない。


(そもそも、王妃の肩書にたいした力はないし)


 国母という立場にありながら、テレシアが決められることは限られているという現実。まるでこの国のあり方が自身を投影しているようだ。


(それをこんな形で実感させられるとは思わなかったわ)


 しかし、それほど気分の悪い話ではない。なぜなら、一歩踏みだすきっかけを得ることができたから。


(私が自分より若い女性から影響を受けるなんて変な感じね)


 公爵令嬢として生まれ、未来の王妃として育ち、王国で最も高貴な女性と言われてきたテレシアには、望もうと望むまいと決められた道があって、それを進むしかなかった。そう思っていたのだ。それが今になってその道に分岐を見つけるなんておもしろい。


「いいでしょう。私に任せなさい」

「殿下、ありがとうございます」

「その代わり、必ず結果を出してちょうだい」

「もちろんです」


 サフィリナは頼もしくうなずいた。



読んでくださりありがとうございます。

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