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新たなスタート②

 染色の権威であるマックトン・シルビ・ペスマンから『近く国を出る』という衝撃的な内容が書かれた手紙が送られてきたのは、風が強い日の夕方。


 マックトンが行っていた色落ちしない染料の研究開発には、多くの人たちが投資をしていたが、染料の完成が目前に迫ったとき、マックトンが発表するより先に染料を発表した者がいた。


  そのため、マックトンは自身が研究開発した染料を発表できなくなってしまった。発表された染料は、マックトンと同じ薬剤を使い、同じ工程で作られたものだったからだ。


 これに怒ったのはマックトンの研究に投資をしていた人たち。大金を投じていたのに、ふいになったとマックトンを責めたて、研究所や自宅まで金を返せと連日押しかけたのだ。


 ついには窓ガラスを割って建物に侵入し、室内をメチャクチャにしたり、金品を盗んだりする者まで現れたため、身の危険を感じたマックトンは密かに国を抜けだすことにした。


「無事にたどり着いてくださるといいのだけど」


 そんなサフィリナの心配が杞憂に終わったのはそれから一か月後。ダグラスから、マックトンが到着したとの知らせを受けとったサフィリナは、取る物も取り敢えず馬車を走らせた。


「サフィリナさま、お待ちしておりました」


 出むかえたオラスト伯爵夫妻は落ちついた様子で、それがサフィリナをホッとさせた。とはいえ、自身の目で確認しなくて確実に安心することはできない。


 はやる気持ち抑え応接室まで行き、ドアを開けた先で見覚えのある褐色の肌の老人を認め、思わず駆けよった。


「ペスマンさま。ご無事なお姿を拝見して安心いたしました」

「心配をかけた」


 太々しいと言われて久しいマックトンも、今回のことはさすがに肝を冷やしたようで、ずいぶんと疲れた顔をしているが、けがはなく、体調にも異常はないとのことで、とにもかくにもひと安心だ。


「話をお聞かせ願えますか?」

「ああ」


 サフィリナとマックトン、そしてオラスト伯爵夫妻はそれぞれソファーに座り、マックトンの話に耳を傾ける。


「染料の研究開発に携わっていたのは、私と長年助手を務めてくれていた二人だった」


 仕事を一から教えこんだのは自分だし、いちいち説明をしなくてもマックトンの求めに応じることができる二人のことをとても信頼していた。マックトンは独り身のため、自分が死んだら二人に私財をわけ与えることまで考えていたというのに、彼らはあっさり恩ある師を裏切った。


 同業のポノカに情報を売ったのだ。


「どんなうまい話を聞かされたのかは知らんが、もう少しで完成というところでやたらと邪魔が入ってうまくことが進まないと思っていたら、ポノカが先に染料を発表した」


 しかも彼が発表した染料に使われている薬剤や手順が、自分が進めていた研究とすべて同じだったため愕然とした。


「研究所に入れるのは私の助手しかいないからな、疑うしかなかった」


 そしてあっさりと二人の助手は裏切りを認めた。しかし、認めたところでいまさらどうなるわけでもない。ポノカが新しい染料を発表し、マックトンは支援者の期待に応えられなかった。助手の二人はポノカのもとに行き、マックトンは命の危険を感じて国を出た。


 それがすべてなのだ。


「ひどいです。人としてあるまじき行為です」


 サフィリナとオラスト夫妻は、顔をゆがめ怒りをあらわにしている。


 しかし、マックトンの次の言葉で少しだけ溜飲が下がる思いがした。


「実はな、奴らの染料は完璧ではないんだ」

「え?」


 なんとなく妙な動きをする助手を不審に思っていたマックトンは、仕上げとなる重要な薬剤を加える研究だけは一人で密かに行っていた。それを知らない弟子たちは、マックトンが「何度か検証をすれば完成だ」と言った言葉を信じて、仕上げとなる薬剤が加えられていない未完成の情報をポノカに渡したのだ。


 彼らは発表を急ぐあまり検証をおろそかにしているため、いずれボロが出るだろうとマックトンが冷たく笑う。


「やられっぱなしというのは、気に食わんからな」


 マックトンの言葉に、サフィリナも薄らと笑ってうなずく。


「ぜひ、色落ちしない染料を完成させてください。私はそのための協力を惜しみません」


 マックトンはサフィリナのその言葉に応えるように力強くうなずいた。


「ありがとう。もちろん染料を完成させるつもりだ。それにロイヤル・パープルもな」


 そう言ってマックトンがニッと口角を上げ、サフィリナはぱぁっと顔を輝かせる。


 オラスト伯爵夫妻は、ロイヤル・パープルという言葉に驚きを隠せない。


「ロイヤル・パープルですって?」

「ええ」

「まさか以前会ったときにその話を?」

「ええ」


 サフィリナがうなずく。


 実は初めて二人が会ったとき以来、手紙で何度もやりとりをしていて、サフィリナが翻訳した資料をマックトンに送るなど、着々と準備を進めていたのだ。


「それはすごい! ぜひ、私もその計画に加わらせてください!」


 ダグラスが身を乗りだした。


「もちろんです」


 彼の協力はかなり頼もしいものとなるはずだ。


「とにかく、まずはペスマンさまの安全を確保しなくてはいけませんね」


 マックトンの研究に投資をした者たちの中には、自分たちを騙して資金を持ちにげした、などと声高に吹聴している者もいると聞く。屋敷や研究所を襲撃されたという事実もあるし、国外に逃亡しても追及の手を緩めない可能性もある。


「いつペスマンさまの居場所を突きとめて、攻撃を仕掛けてくるかわかりませんから」

「まぁ、彼らは大損を食ったのだから、文句を言いたくなるのもわかるがな」


 マックトンはそう言って苦笑いをする。しかしだからといって、命にかかわるような攻撃を甘んじて受けるつもりなんてないが。


「王妃殿下に相談をしてみるつもりです」

「王妃殿下ですか?」


 この国で最も高貴な女性に相談を? と、ダグラスが驚く。


「ええ。すっかりご無沙汰をしてしまっていますから、私と会ってくださるかわかりませんが。だめならホルステイン侯爵夫妻を頼ってみますし、手はあります」

「なるほど」


 ダグラスがうなずく。


「すまんな」


 このような事態になってしまったことに、ひどく落胆しているマックトン。かつての自信に溢れた姿は鳴りを潜め、背中を丸めたその姿に、サフィリナは胸が締めつけられるような思いがした。


「そんなにご自身を責めないでください。ペスマンさまはなにも悪くないのですから」

「そうですよ。悪いのは弟子たちとポノカです」


 ダグラスも悔しそうにうなずく。


「とにかく、少しでも早く行動しないといけません」


 追跡を逃れるために遠回りをしてきたからそれなりに時間は稼げるだろうが、いずれ所在を知られてしまうかもしれない。


「しばらくのあいだはうちの別荘に身を潜めていただこうと思います」


 ダグラスがそう言うとマックトンが首を振った。


「私はアネタゴ王国に行くつもりだ」

「アネタゴ王国? 大陸の端の海に面した国ですよね?」


 ダグラスが不思議そうな顔をした。アネタゴ国は大国だが、マックトンに縁のある国ではないし、彼が興味を示すようなものがあるようには思えないからだ。


「あの国に、我々が求めているものがあるからな」

「我々が求めているもの?」

「ああ」


 マックトンが不敵に口角を上げる。ダグラスはよくわからないという顔をしているが、サフィリナはピンと来たようだ。


「アネタゴ王国に、染料となる貝があるということですか?」

「ああ」


 サフィリナの言葉にマックトンが力強くうなずく。


「のんびりする気はない。すぐにでもロイヤル・パープルの研究を始める。並行して色落ちしない染料も完成させるつもりだ」

「ロイヤル・パープルの研究が、ついに始まるのですね……」

「ああ。ずいぶん待たせたが」


 フルディムが追いかけていた夢をサフィリナが引きつぎ、ようやくスタートラインに立つときが来たのかと思うと感激はひとしおだ。とはいえ、感激ばかりはしていられない。


 アネタゴ王国に行くということは、住居や作業をする場所を確保しなくてはならないということだ。それに道具や薬剤も集めなくてはならないし、マックトンの身の安全も考えないといけない。


「わかりました。準備をしますので、少し私に時間をください」

「サフィリナさま、私にもお手伝いできることがあったらおっしゃってください」


 ダグラスの申し出はなによりも頼もしい。


「ありがとうございます。ますます忙しくなりますわね」


 サフィリナはそう言いながら興奮気味に笑みを浮かべた。


読んでくださりありがとうございます。

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