新たなスタート①
アンティオーク繊維工場内に、新たな紡績機が運びこまれたのは、日の光が眩しい初春の午前中。サフィリナとドナヴァン、そして従業員たちが紡績機を囲んで試運転を見まもっている。
一度に十本の糸が各ボビンに巻きつけられる様子は壮観で、いつまでも見ていられそうだ。
しかもその糸は、しっかり撚られているのに一ミリよりずっと細く、引っぱっても簡単に切れない。
それを同時に十本も作ることができるとなると、これはもう革命と言ってもいいのではないか? なんて大袈裟なくらいに興奮している。
「ドナ、お疲れさま。とても素晴らしいわ」
サフィリナが満面の笑みでドナヴァンを労った。
「サーニャが喜んでくれたなら、寝る間を惜しんだ甲斐があるな」
予定より早く紡績機を完成させてくれたのはうれしいが、ドナヴァンの目の下の影を見れば、今日までどんな生活をしてきたか想像できてしまってちょっと複雑だ。
とはいえ、小言は言いたくないし、とサフィリナは大きく溜息をついた。
「私としては、寝る時間は惜しまないでほしかったわ」
「ハハハハ。つい夢中になってしまってね」
体を壊したら困るんだから、と腰に手を当てるサフィリナはすっかり元気を取りもどし、大泣きをしたあのとき以降、なにか吹っ切れたように晴れ晴れとした表情になった。
「長繊維綿も今回ずいぶん収穫できたし」
絹のような光沢と手触りの良さもあって希少性がとても高い長繊維綿は、絹ほどではなくてもとても高価だ。しかもザンブルフ王国で長繊維綿を栽培しているのはサフィリナの農園だけで、輸入をしようにもそもそもほとんど市場に出まわっていないため簡単には手に入らない。
つまり、この国で長繊維綿を使った糸や布を扱えるのは、アンティーク繊維工場だけということだ。
「フフフフ、楽しくなってきたわ」
「おぉ、なんだか悪い顔をしているな」
「失礼ね。楽しみでウキウキしている顔よ」
サフィリナはそう言ってドナヴァンの言葉を否定するが、誰がどう見ても悪巧みをしている顔だ。
「一年後にはドレスという形で、長繊維綿を大々的にお披露目をするわ」
来春には念願のブティックを開店させる予定で、現在デザイナーのレイラが必死にデザイン画を描いている。そして目玉となるのが、長繊維綿で作られたドレス。
「間違いなく人々の注目を集めるはずよ」
「そうか。それは楽しみだな」
自分がその目玉商品の土台を作った立役者であると自覚していないのか、まるで他人ごとのようなドナヴァンの口ぶりに、思わずサフィリナは首をすくめる。
「さて、試運転も終わったし、ここからが本番よ。皆、よろしくね」
サフィリナがそう言うと、従業員は待っていましたとばかりに準備に取りかかった。
サフィリナが今いる場所は、服や雑貨を取りあつかう店パニュマヌ。店の奥の倉庫兼事務所の小さなテーブルを挟んで、サフィリナの前に座っているのはこの店のオーナーのビルト。
祖父の代からこの場所で商店を営んでいて、店は経営する人間でその色を変えている。先代は被服を多く取りあつかっていたが、ビルトは糸や布を多く取りあつかっていて、卸問屋の色が強い。アンティオーク繊維工場で作られた糸や布も、パニュマヌに納品している。
「これはすごいな」
ビルトは手にした布を広げ、その手触りを確かめ、感心したように唸る。長繊維綿で織った布の手触りは滑らかで光沢が美しく、綿だからといって決して侮れない上品さだ。
「これでドレスを作れば、間違いなく話題になるよ」
「ありがとうございます」
「これはなんて呼ぶんだ? まさか長繊維綿で作った布、じゃないよな?」
「ええ。ファイネルコットンというのはどうかと思っています」
「ファイネルコットンか。……うん、いいんじゃないか?」
ビルトは納得したようにうなずいた。
「ファイというのはスリキアの言葉だな?」
「ええ。上品な、とか精密といったポジティブな意味です」
「そこに、ネルソン男爵のネルか?」
「え? それもわかってしまいましたか?」
さすがにネルソンと入れるのは気が引けたので、ちょっとだけ入れたつもりだったのに。
「いや、関係者ならすぐにわかるだろ」
「そ、そうですか。……ちょっと恥ずかしいですね」
「なにを恥ずかしがることがある。こんな素晴らしいものを作ったんだから、ドーンと宣伝すればいいんだよ」
ビルトはそう言って豪快に笑った。サフィリナはそんな力強い言葉に背を押されたような気がして、うれしそうにうなずいた。
「それで、店の準備は進んでいるのかい?」
「ええ、二店舗を立てつづけにオープンする予定なので忙しくて、月の半分は王都に行っています」
「そうか、大変だな」
「最初は大変でしたけど、慣れてくれば楽しいことばかりです」
王都で最も華やかな中心街は高級店が建ちならんでいて、貴族が足繁く通う有名店もたくさんある。当然建物の賃貸料は高いし、買えばとんでもない金額だ。
そんな高級店が建ちならぶ場所にあった、空いたばかりの貸店舗と、貴族居住区の近くにある建物を借りた。
二か所でブティックをオープンするのには理由がある。
質と価格に差をつけるためだ。
とはいえ、どちらもサフィリナ自慢の細い糸で作るドレスで、価格が低いほうのドレスは質が悪い、というわけではなく、ファイネルコットンで作られたドレスは数に限りがあり、高価になるため、貴族居住区近くに借りた建物をファイネルコットンの専門店にするつもりなのだ。
ただそこは、これまでにいろいろな店がオープンしては静かに消えていった、いわくつきの場所。
「本当にそんな場所で大丈夫なのかい?」
「ええ。あまりにお店が続かないせいで、悪い噂が立ってしまっているらしくて、ずいぶんとお安く借りることができて、むしろラッキーです」
「そういうもんかね」
ビルトは納得できないようで、まだ首を傾げている。
「私、なぜうまくいかないのかなんとなくわかるんです」
「へぇ、なんでだい?」
一番の理由は、独自性がないということだ。
これまでその場所に出店した店は、宝石店や被服店、高級食器店や香水専門店など、どれも貴族が欲しがりそうなものばかりだったが、わざわざそこまで足を運んで買いたいと思うほどの独自性はなかった。
悪い言い方をすれば、どこかにありそうな、誰かが持っていそうなものばかりを売っていた、ということだ。
「それなら私は知名度の高いものを買います」
「まぁ、そうだろうな」
どこかにありそうなドレスを買うより、老舗店や流行店で、名前だけで値がつり上がるようなドレスを買うほうが貴族にはずっと価値があるのだ。それに、いろいろな店で買い物を楽しむことを考えると、中心街のほうが魅力的だ。
「私はビルトさんにお店を経営するうえで一番重要なのは、その店の独自性と教えていただきました」
「ああ、そうだ」
「私はそれを強みにして、どこかに行ったついでに行く店ではなく、私の店を目指してきてくださる固定客を作るつもりです」
なるほど、とビルトがうなずく。
「それがこの布で作るドレスか」
「はい。……とはいっても、実績がないので想像の域を出ていませんけど」
「そうだな。まずはドレスを作ることだ。で、レイラは頑張っているか?」
実はデザイナーのレイラをサフィリナに紹介したのはビルト。
独学でデザインを学んだが、デザイナーとして雇ってくれる場所がなく、ビルトの店で売り子をしていたところ、サフィリナがデザイナーを探していると知ってレイラを紹介したのだ。
「ええ。やっぱり彼女のセンスは素晴らしいです」
レイラが描くデザイン画はどれも個性的だが美しく、派手さはないが華やかさがある。
「それはよかった。」
「ビルトさんには本当になにからなにまでお世話になって」
「おいおい、やめてくれよ。サーニャちゃんのお陰で、こっちもいい思いをさせてもらってんだからさ」
ツイル織の布や細い糸の売れ行きが好調なのだそうだ。
「しかし、王都に一気に二店舗か。ずいぶん思いきったな」
「実は、私もそう思っています」
さっきから偉そうなことを言っているが、実際には自信より不安のほうが心を占める割合は大きい。でも、勝算がない勝負をするつもりはないのだ。
「それでも、もし失敗してしまったら、次の糧になったと思うことにします」
「そうか」
(若いのにこの度胸はたいしたもんだ。そして俺は、そのやり手社長の相談相手……。俺もけっこうすげーな、おい)
「どうしたんですか、ビルトさん。ニヤニヤして」
しょうもないことを考えて頬が緩んでいたらしい。サフィリナがかわいらしい顔をしてビルトの顔をのぞき込んでいた。
「いや、なんでもない」
ビルトは慌てて手を振った。
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