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ホルステイン侯爵家の人々④

 サフィリナのもとにお茶会の招待状が大量に届くようになったのは少し前から。


 サフィリナは大きな溜息をつきながら、招待状の名前をさらっと流し見して、次々と不参加と書かれている箱に封筒を入れていく。と、見なれた字を見つけてふと手を止めた。


「これは……」


 ケイトリンからだ。封筒から手紙を取りだして目を走らせる。


「……」


 サフィリナに変わりはないかと聞き、無事男の子が生まれたとある。つまり、最近大量に送られてくるお茶会の招待状は、サフィリナとジュエルス、そしてマニシャのことを聞きだして、自身の好奇心を満たしたい人たちからの、品のないお誘いというわけだ。


 まぁ、そういうことなのだろうと予想はしていたけど、実際そうであると確信を得てしまうとどっと気分が落ちこんだ。


「……男の子、か……。おめでとう、ございます」


 そう呟いて、でも胸の奥のほうが苦しくて。まだ心から祝福をすることは難しいみたいだ。


 ハァーっと深く息を吐いて、それから再び手紙に目を遣った。


 これから社交界が騒がしくなるだろうが、自分が対処するからサフィリナは気にしなくていい。悪いようにはしないから冷静に対応してほしい、と書かれている。


 つまり、しばらく社交は控えてほしいということだ。


 マニシャは貴族としての教養が身に付いていないため、しばらく社交界に足を踏みいれることはない。そこへサフィリナが行けば、サフィリナだけに視線が集中し、サフィリナだけが不快な思いをすることになるかもしれない。


 それに、噂話というのは勝手に一人歩きをしてしまうもの。うまく対処しなければ、ますますあることないこと言われることにもなりかねない。


 それなら、噂話が一人歩きしてしまう前に、ケイトリンがその行く手を阻むほうが効率的だ。だから自分に任せなさい、と。


「……おばさまはさすがね」


 社交界から距離を置いているあいだにいろいろなことが起こり、すっかり輝きを失ってしまっていたことがうそのように、今では健在ぶりを周知し、再びその中心に昇りつめようとしている。


 それに引きかえ自分はどうだろう。少しのことで動揺して、心が乱されて。


「こんなんじゃだめよ」


 自分に言いきかせるように呟いたサフィリナは、肩の力を抜くように大きく息を吐いた。しかし、期待するほど効果はない。


 複雑な感情は言葉にできないほどよじれ、どう消化するべきかわからずに持てあましたそれは、次第に渦を巻きながらサフィリナの心をゆがんだ色に染めていく。


 前を向いて進んでいるつもりだったのに、この薄くて軽い伏兵は、いとも簡単にサフィリナの足を止めた。噂好きの嘲笑より、この手紙のほうがよほど堪えるのは、まだ乗りこえられていないからか。


「……お言葉に甘えましょう」


 時間がたてば噂話は落ちつき、今ほど関心も持たれなくなるだろう。それに、今のサフィリナには悪意や好奇心に抗う気力も体力もない。


 手紙を封筒に戻すと、招待状と一緒に箱の中に押しこんだ。






 ここ数日、サフィリナが顔を出さない。


「ん? どうしたんだろうな?」


 最近は自分でも片づけをするように気を付けているし、服だって胸元を紐で閉めるタイプを着て、はだけることがないようにしているのに。


(いや……そういうことじゃないよな)


 自分の的外れな考えを捨てて、部屋の端に置いてあるイスに座り、繕い物をしているエリスを見た。


「ねぇ、エリスさん」

「はい、なんでしょう」


 エリスが手を止めて顔を上げる。


「サーニャは最近忙しいのかな?」

「サフィリナさまですか?」

「ああ。最近全然顔を見せないけど、なにかあった?」


 その言葉にエリスが小さく息を吐いた。そして、手にしていた布と針をテーブルに置く。


「実は……少し気落ちされているようで」

「やっぱりなにかあったのか?」


 しかしエリスはこれ以上主のことを話すわけにはいかないのか、困ったような笑みを見せる。それならば。


「……ちょっと、サーニャに会いに行ってくるよ」

「今からですか?」

「ああ。……やっぱりだめかな?」


 約束もしていないのに、いきなり押しかけたら迷惑だろうか? 


「いいえ、きっとサフィリナさまはお喜びになられると思います」


 エリスはうれしそうにうなずいた。


「それなら、ちょっと今から行ってくるよ」


 ドナヴァンはそう言って作業用の革のエプロンを外した。


「ありがとうございます。どうか、サフィリナさまをよろしくお願いします」


 ていねいにドナヴァンに頭を下げるエリス。


「なんだか大袈裟だな」


 ドナヴァンはクスッと笑ってドアを開け、「じゃ、行ってくるよ」と手をひらひらと振って出ていった。


 ドナヴァンがネルソン男爵邸に着き、ドアノッカーを叩くと、執事のジェイスが出てきた。ジェイスは意外な来客に驚いたが、笑顔でドナヴァンを邸に迎えいれた。


「ドナヴァンさま、お久しぶりですね」

「こんにちは、ジェイスさん。サーニャはいる?」

「ええ。本日はサフィリナさまに会いに?」

「ああ。……元気がないって聞いたから」

「そうでしたか」


 白髪の頭をゆっくり振ってうれしそうな顔をしたジェイスは、ドナヴァンをサフィリナのいる執務室に案内した。ドアをノックすると、部屋の中から「どうぞ」と声が聞こえる。


 ドナヴァンがドアを開けると、顔を上げたサフィリナが驚いて目を見はる。


「まぁ、ドナ! どうしたの? なにかあった?」


 そう言いながらイスを立ちあがり、ドナヴァンの前まで行った。


「いや……最近顔を出さないから、どうしたかなぁと思って」


 そう言われて「あ……」と小さく声を上げたサフィリナ。


「そうね。……ここ最近ちょっと忙しくて、すっかり」

「いや、いいんだ。無理していなければ、それで」


 そう言いながらドナヴァンがソファーに座ると、侍女のリリがドナヴァンの前に紅茶と果実水を置いた。ドナヴァンの汗ばんだ額を見て、歩いてきたことを察したようだ。


 ドナヴァンはおいしそうに喉を鳴らしながら、果実水を一気に飲みほした。


 サフィリナはドナヴァンの向かいのソファーに座りその様子を見ている。


「心配してくれたの?」

「……まぁな」

「ありがとう」


 サフィリナはニコッと笑みを見せた。


「……」


 サフィリナは笑顔だし、声も明るい。でも確かにいつもと違うようだ。普段のサフィリナとなにが違うかを言葉にすることは難しいが、あえて言うなら彼女の笑顔があまりに整っていることだろうか。


「仕事はどう? 忙しい?」

「ええ。ありがたいことに、毎日目が回る忙しさよ。それもあなたのおかげね」

「俺はたいしたことをしていない。仕事が忙しいというのであれば、それはサーニャが頑張ってきたからだろ」

「フフフ、ありがとう。そう言ってもらえると、もっと頑張ろうって思えるわね」


 相変わらず美しい笑みを崩さないサフィリナ。


「……頑張るのはいいことだけど、頑張りすぎはよくないぞ」


 ドナヴァンは少し厳しい表情でサフィリナを見つめている。


「やだ、どうしたの? 怖い顔をして。心配をしてくれるのはうれしいけど、私はとっても元気よ」

「そうか? 俺にはそうは見えないけど」

「ドナは心配性ね」


 サフィリナはそう言って口角を上げて微笑み、目の前に置かれた紅茶に口を付ける。しかし、ドナヴァンはサフィリナが一瞬見せた引きつった表情を見のがさなかった。



読んでくださりありがとうございます。

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