ドナヴァンとの出会い⑥
サフィリナは少し呆れ気味に首を振り、気を取りなおすように大きく息を吐いた。
「それで、紡績機の進捗状況は?」
「ああ、順調だ。あと一か月以内にそれなりの形になると思う」
「あと一か月?」
サフィリナが驚いたように目を見はる。
「もっと急いだほうがいいか?」
「い、いいえ」
慌ててサフィリナが首を振る。
「もっと時間がかかると思っていたのよ。あと一か月だなんて想像もしていなかったわ」
「そうか。まぁ、実際にモノになるにはもっと時間がかかるけどな」
「もちろん理解しているわ。ただでさえ難しいことをお願いしているんだから」
これまでより細くて丈夫な糸を作るのだから、そう簡単にはいかないだろう。しかしドナヴァンは、糸を細くすることより、一度に大量に作ることのほうが課題だと言うから、サフィリナが抱えていた問題を軽く飛びこえていて驚いてしまう。それと同時に膨らむ大きな期待。
「あなたが納得できるものを作ってちょうだい。そのために必要なものはなんでも用意するから」
「ハハハ、頼もしいな。ありがたくそうさせてもらうよ」
ドナヴァンが楽しそうに笑う。
「そういえば、サーニャが以前言っていたトレイアル語の……」
「ああ、意味がわからないって言っていた単語のこと?」
「そう。いろいろ本を調べてみたのだけど、サーニャが言うとおり『臭い』で間違いないと思うよ」
ロイヤル・パープルについて書かれた文に、意味のわからない単語があり、手持ちの資料から同じ単語を探したが見つからず、似たような単語からそれらしい意味を導きだした。しかし確信が持てず、ドナヴァンに意見を求めてみたところ、彼なりに調べてその答えにたどりついたと言う。
「貝の中には恐ろしく内臓がくさいのがいるんだ。たぶん染色に使う貝もそうなんだろうな。だから糸を何度も洗うというのはくさい臭いをとるためなんだと思う」
「やっぱり。……ということは、貝の種類がかなり限定されてくるわね。内臓がくさくて……それなりの大きさの貝……。今度図鑑を集めないと……あ、でも……?」
サフィリナは顎に手を当て、一人でぶつぶつと言いながら頭の中を整理しているようだ。が、顔を上げたときにドナヴァンと目が合い、慌てて居住まいを正す。
「ありがとう、調べてくれて。大変だったでしょ?」
「そういうのを調べるのは好きなんだ」
ドナヴァンはそう言ってニコニコ笑う。
「そう。おかげで、すごく助かったわ」
(やっぱり、彼はただの平民ではないわね)
それからしばらくおしゃべりをして、サフィリナはドナヴァンの家をあとにした。
その足で向かったのは綿花農園。
今年も綿花の栽培は順調のようだ。長繊維綿も徐々に収穫量を増やしている。
チェスター領は、綿花の育成期間に雨季に入り、開花の時期には乾季に入るという、綿花栽培に適した気候であることが強みなのだが、唯一の欠点が乾季の昼夜の寒暖差。
実は、中繊維綿は寒暖差が大きくなる前に実が弾けて収穫時期を迎えるが、長繊維綿は中繊維綿より収穫時期が遅いため、実が弾けるころには寒暖差が最も大きくなり、実が弾けずにだめになってしまうものが多かった。
その問題を解決するために品種改良を試みていたのだが、期待するほど成果は出ず、それならば、と視点を変え、綿花ではなく土壌の改良に着手した。もともとそれほど悪くはなかった土壌の水はけをさらにいいものに変えたのだ。その結果、長繊維綿の成長が少し早くなり、寒暖差で受けるダメージを、最小限に抑えることができるようになった。まだまだ改良が必要だが。
「長繊維綿とドナが作る紡績機。このふたつがそろえば新しいものが作れるわね」
「そうですね」
サフィリナは横に立つシャルズと共に綿花畑を眺めながら、長く追いもとめていたものに、ようやく手が届きそうなところまできたことに胸を躍らせた。
次にサフィリナが向かったのは繊維工場。工場長のアメリアと一緒に工場内を回りながら、従業員と話をして不満や改善策を聞く。ついでに世間話をして、コミュニケーションをとることも忘れない。
「新しい布の出来はどう?」
工場内を歩きながらサフィリナがアメリアに聞いた。
「なかなかいいものができましたよ」
ドナヴァンが機織に手を加えてくれたことで、これまでにない織り方ができるようになり、現在試作品をいくつか織っている最中だ。
つい先日織りあがったツイルという織り方の布は、縦横にしっかりと編みこむわけではないため、手触りが柔らかく上品な仕上がりだ。しわがほとんどつかないのもこの織り方の長所だろう。
ツイルを織るには、いちいち経糸の本数を数えながらシャトルで緯糸を通さなくてはならず、とても時間がかかるため、ツイルを織る工場はほとんどなかった。それはアンティオーク繊維工場でも同じで、これまでツイルを織ったことはない。それを可能にしたのはドナヴァン。
ペダルが増えればその分、織機の構造も複雑になるというのに、ドナヴァンはその仕組みを十日で作りあげた。皆が驚き感嘆の声を上げたのは言うまでもない。
「すごくいいわね。しわも寄らないし、なによりこの柔らかさはこの織り方じゃないと出せないわ」
「ええ」
アメリアも同感だとうなずく。
「ただ、やはり強度はそれほどないかと」
実はツイルは摩擦などに弱い。
「問題ないわ。私はこれをカーテンにしようと思っているの」
「なるほど。カーテンならそれほど擦れることはありませんね」
「そうなの! 刺繍をして重厚感を出しても、シンプルなデザインにしてもいいと思うわ」
サフィリナが瞳を輝かせて説明する。
アメリアはその様子を見て内心ホッとした。
離縁をして帰ってきたばかりのころのサフィリナは、無理やり笑顔を作っていたし、誰もが神経質なまでに言葉に気を遣い、腫れ物に触るように接していた。サフィリナもそれを十分理解していたが、気持ちを切りかえることは難しく、気がつけば表情が暗くなっていたり、ときには知らずに涙を流したりしていたのだ。
そんな情緒不安定に陥っていたサフィリナを、ここまで元気にしたのはドナヴァンだ。
ドナヴァンのおかげで、これまで存分に温めてきた計画を、本格的に始動することができそうだし、彼の技術があればもっとすごいことができるはず。
だからサフィリナも、これまで以上に精力的に動きまわっているし、笑顔もずいぶん増えた。彼の才能が、サフィリナを前へと向かせているのだ。
それにより工場内の雰囲気もずいぶん変わった。
サフィリナが本格的に事業にかかわるようになる前まで、同じことのくり返しで単調だった仕事に、次々と新しい試みが導入され、最初は困惑した従業員たちも、今では仕事の幅が広がっていくことを楽しんでいるようだ。
それに、サフィリナは自分たちの言葉に耳を傾けてくれる。そんなサフィリナに対する従業員の信頼は厚い。そして、従業員たちもサフィリナの期待に応えたいと仕事に精をだし、結果的に相乗効果が生まれているのだ。
「とりあえず何色か織ってみてくれるかしら? ある程度そろったらビルトさんの所に持っていくわ」
ビルトとは服や雑貨を取りあつかう店パニュマヌの社長で、いずれ自身のブティックを持ちたいと思っているサフィリナの、良き相談相手でもある。
「かしこまりました。来週中には数をそろえられるようにします」
「ごめんなさいね。忙しいのにいろいろ頼んでしまって」
「いいえ。とてもやりがいがあって楽しいですよ」
アメリアは顔のしわをさらに深くして頼もしい笑みを見せた。
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