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ドナヴァンとの出会い⑤

「ここがあなたの家よ」


 サフィリナに連れられてやってきた自宅兼作業場を見て、ドナヴァンは目を丸くした。


「これは……俺が住む家なのか?」

「ええ。……ちょっと狭かったかしら?」

「い、いや」


 むしろ広すぎてなにかの間違いではないのかと思ってしまうほどだ。


 この家は以前、平民の裕福な老夫婦が住んでいたが、その老夫婦がこの地を離れてから長く空き家になっていた。それを買いとり、一階を作業場、二階を生活空間に改築したというが。


「俺は独り身だ。寝る場所さえあればいいし、こんな広い家は手に余る」


 平民なら四人で住んでも広いくらいの家で、管理をするのも大変だ。


「大丈夫よ。毎日うちの使用人に来てもらうことになっているから」

「え? 使用人?」

「ええ」


 なんでもないことのようにサフィリナはうなずく。


「あなたが言ったのよ。作業に没頭できる環境が欲しいって」

「まぁ……」


 確かに誰にも邪魔されずに作業ができる空間が欲しいとは言ったけど。


「俺は平民だぞ。使用人なんて」

「大丈夫よ。うちの使用人たちは、偏見を持たないから心配いらないわ」

「そういう問題なのか……な?」


 ドナヴァンは困惑の表情だが、サフィリナはお構いなしに話を続ける。


「希望の材料はそろえたけど、足りないものがあったら遠慮せずに言ってちょうだい。私が工場にいなくても工場長のアメリアさんに伝えてくれればいいから」

「わかった」


 ドナヴァンは、どんどん話を進めていくサフィリナの勢いに押されるようにうなずいた。


「じゃ、私は行くわね」

「ああ」


 サフィリナはニコッと笑って踵を返す。


「サーニャ」


 ドナヴァンがサフィリナを呼びとめた。ちなみに、サーニャとはドナヴァンがいつの間にか付けたサフィリナの愛称だ。


「え?」

「あ、あの、ありがとう。いろいろ準備してくれて」

「どういたしまして。あなたには期待しているんだから、よろしくね!」


 そう言うとサフィリナは美しい笑顔を残して出ていった。


 それを見おくったドナヴァンは家の中をグルッと見わたして、満足そうな笑みを浮かべる。


「もちろん、期待に応えられるように頑張るよ」


 サフィリナに拾われて得たチャンスを、ふいにするつもりはない。紡績機は一度作っているから頭の中に設計図はあるし、それを改良したものを紙に起こして、実際に形にすればいいだけ。


「……よし、やるか」


 その日からドナヴァンは何日も家を出ることなく、作業に没頭していた。


「だからといって、睡眠はちゃんととらないとだめでしょ?」


 作業に没頭するあまり、連日徹夜をするドナヴァンに、サフィリナは呆れた声を出す。


「エリスが困っていたわよ。あなたが床で寝ているって」

「ハハハ、つい夢中になってしまってね」


 ドナヴァンの身の回りの世話をしているエリスが、何度言っても十分な休憩をとらないドナヴァンに困りはてていたため、こうして様子を見にきたのだけど。


「休憩をとらないことだけが問題ではなさそうね」


 少し困った顔をして首をすくめるサフィリナ。ちなみにエリスは、長くネルソン男爵邸に務めるベテランの使用人だ。


「エリスを困らせてはだめよ」

「すまない。わかっているんだが、作業を止めるタイミングってあるだろ?」

「ええ、もちろんあるわ」

「俺にはそのタイミングがなかったんだ」

「べつに明日完成させてって言っているわけじゃないのだから、仕事は一日八時間で十分。それ以上仕事をしてはだめ」

「それならサーニャも一日八時間しか働いていないのか?」

「う……」


 そうではないから言葉に詰まる。その様子を見てドナヴァンが満足そうな顔をした。


「な? 八時間なんて短すぎるだろ?」

「それにしたって……あなた、体を清めたのはいつ?」


 きっとそれについてもエリスに言われたのだろう。サフィリナはすっと目を細めてドナヴァンを上から下までジロリと見る。


「昨日? いや、一昨日かな?」


 ドナヴァンが適当に答えようとすると、サフィリナがキッと睨みつけた。


「わ、わかったよ。ちょっと洗ってくる」


 ドナヴァンは溜息をついて階段を上りはじめた。


「ちょっとじゃなくて、しっかり洗ってきてちょうだい」

「……はいはい」


 そう言ってドナヴァンが軽く手を振る。その後ろ姿を見おくったサフィリナは大きく息を吐いた。


「まったく……」


 エリスが言うには、ドナヴァンは想像以上にマイペースらしい。夢中になると周りが見えなくなり、食事をとることも忘れてしまう。それに、気がつくとものが至る所に散乱しているそうだ。


(でも、だらしがないのとはちょっと違うみたいなのよね。ものはていねいに使うし、どちらかというと自分で片づける習慣がない、という感じかしら?)


 ドナヴァンは誰かに世話をしてもらう生活に慣れているようだ、とエリスが言っていた。それに、しっかりとした教育を受けているようだ、とも。


 なぜなら、彼はテーブルマナーが身に付いていて、文字を読むことも書くこともできるし、驚くほど博識だ。ただ、本人は隠しているつもりのようなので、エリスは見て見ぬふりをしているとか。よくできた使用人だ。


 それにしても、ドナヴァンは謎の多い男だ。この国に彼のような黒髪の貴族はいないし、平民なら出自を知ることは難しい。もちろん、詮索しないと約束しているから調べることはしないけど、なにか問題を抱えているのなら、正直に打ちあけて助けを求めてほしいところ。なぜなら、すでに彼はアンティオーク繊維工場の重要な戦力で、手放すわけにはいかないからだ。


 ドナヴァンが紡績機や織機に少し手を加えてくれたことで、トラブルが減り性能もよくなった。アメリアは「若いのにすごいわねぇ」なんて感心をしているし、従業員たちともあっという間に打ちとけてしまい、彼が工場に顔を出すと皆、うれしそうに彼を出むかえるほどだ。サフィリナだってそれは同じ。ドナヴァンと話をするのは楽しいし、短いつきあいなのにすでに全幅の信頼を置いている。だからこそ、彼が秘密を抱えたままでいることが残念でならない。


「まだ完全に心を開いてくれていないのよね、きっと」


 残念に思う気持ちの分だけ、溜息が大きくなる。


「待たせた」


 髪をしっかり拭いていないせいで、ぽたぽたと雫を垂らしながら階段を下りてきたドナヴァンは、真っ白なシャツに黒いズボンという爽やかないで立ちだ。


(ちょ、ちょっと、胸元が開きすぎよ!)


 サフィリナは慌てて視線を逸らす。


(わざとなの? これが素なの? どっち?)


「サーニャ?」


 サフィリナが座るイスの向かいに腰を下ろしたドナヴァン。


「あ、あなたの、その……! ボタンをちゃんと閉めてちょうだい!」

「ああ。ハハハ、ごめんごめん」


 ドナヴァンはようやくサフィリナが顔を赤くしている理由に気がついて、シャツのボタンを閉めた。


「もう! 女性の前でそんなに胸をはだけるのはどうかと思うわ。あなたまさか、エリスの前でもそんな恰好をしているわけではないわよね?」

「しているが?」

「そ、そう……なの?」


 なんだか最近エリスが生き生きしているのは、これを見ているからでは? なんてとんでもないことを考えてしまうのだけど……ありえなくはない。


「ま、まぁ、彼女の生きがいになるのなら……ありかしら?」

「なにを言っているんだ、サーニャは。おもしろいな」


 ドナヴァンはそう言って楽しそうに笑う。


読んでくださりありがとうございます。

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