ドナヴァンとの出会い④
パストリア子爵ヨハン・ラディオン・ディーリングは、ダビューク伯爵の弟で、爵位を継いだとき領地の一部を分領してもらい独立した。
ダビューク領は商業が盛んで経済的に豊かな領地だが、ヨハンが分領された土地は民家のほうが多く、商業地区より税収が少ないためそれほど裕福ではない。
そんなヨハンは、善良だがそれだけが取り柄の男で、それゆえに民に好かれているが、妻には好かれていない残念な男でもある。
今日も妻クローディアのキーキーした声が小さな屋敷に響く。
「どうしてドレスを作っちゃいけないのよ」
「先月一枚作っただろう?」
「今月はまだ作っていないわ」
「でもね、ディア――」
しかしクローディアはヨハンが言葉を続けるより先に口を開いて、ヨハンを黙らせた。
「いったい私はどれだけ我慢をすればいいのよ! 二、三か月に一着しかドレスを作れないなんてひどすぎるわ!」
「仕方がないよ。うちには毎月ドレスを作る余裕なんてないんだから」
与えられた領地は小さく、平民の中でもそれほど裕福ではない人たちが多く住んでいるため税収が少ない、とこれまで何度説明してきただろうか。
「それなら、領地改革でも区画整理でもして、ここも商業地区にすればいいでしょ! 貧乏人たちを追いだして、裕福な人たちを住まわせることだってできるじゃない!」
「なんてことを言うんだ! そんなことできるわけがないだろう」
ここにやってきたばかりのころこそ毎日泣いていた美しい少女は、今となってはヒステリックに感情をぶつけるモンスターになってしまった。
「それならあなたが働けばいいでしょ!」
クローディアは目をつり上げてヨハンにきつい言葉を投げつける。
「そうしたいけど」
採用試験にことごとく落ち、知人の伝手を使って仕事を得ようとしても、年齢と特段これといった能力がないことを理由に断られている。
「なんで私がこんな目に合わないといけないのよ!」
そう言ってクローディアは勢いよくソファーに座りこんだ。
(お父さまはお金を送ってくれないし、なにも買ってくれない!)
「本当に、もういや!」
ヨハンと結婚をしてからろくなことがない。
ホルステイン侯爵との取り決めで、領地から出てはいけないことになっているため、他家で開かれるお茶会やパーティーに参加することもできない。もし許しもなく領地を出た場合、即刻修道院に送られる約束だ。それならば、とこちらから招待状を送っても、あれこれと理由を付けて断られる始末。すっかり社交界から締めだされてしまった。
素敵なドレスを作りたくても、決められた予算内で収めようとすると、限りなく質素なデザインになってしまうため、自分でリボンを足したり、レースを足したりしなくてはならない。
「なんで私がこんな惨めな生活をしなくてはいけないのよ!」
「君が働いたらどうだい?」
「は?」
「君は屋敷の管理をしていないし、領地を視察に行ったこともないだろう? 屋敷にいても暇だろうし、この際どこかの家で侍女でもしたらどうだい?」
ヨハンは決して嫌味を言ったわけではない。ずっと屋敷の中にいたら鬱々としてしまうから、気分転換も兼ねて外に出てみたらいいのではないか、と思ったのだ。ただ、彼の言葉は直接的過ぎて、ときどき人を怒らせてしまうことがある。今のように。
そのクローディアは顔を赤くしてわなわなと体を震わせている。
「なによ! 役立たずとでも言いたいわけ?」
「そうじゃないよ。ずっと屋敷にこもっているからイライラが募るんだ。領内であれば出かけられるんだから、気分転換も兼ねてさ。それに仕事をすれば金が手に入って、好きなドレスが買えるようになるだろ?」
ヨハンの言葉はますますクローディアをイラつかせる。
「自分の小遣いくらい自分で稼いでこいってこと? 私をばかにしているの?」
クローディアはテーブルに置かれていた花瓶を床に叩きつけた。
「冗談じゃないわ。私はクローディア・ファロン・ロジカなのよ? それなのになぜ仕事なんてしなくてはいけないのよ。屋敷の管理なんてあなたか執事がすればいいし、領地の視察は私の仕事ではないわ。自分の甲斐性がないだけのくせに、私に尻拭いをさせようとしないで!」
怒りをあらわにして烈火のごとく怒鳴りつけたクローディア。それに驚いた顔をしたヨハンだったが、次の瞬間首を振って大きく息を吐いた。
「君は、クローディア・ファロン・ロジカ・ディーリングだ。義父上のお情けでロジカという名前はそのままだが、すでに君はロジカの人間ではない。そこを間違えてはいけないよ」
まるで小さな子どもを諭すように穏やかな口調を崩さないヨハン。クローディアは悔しそうに顔をゆがめる。
(私がロジカではないですって? ふざけないで! あんなことがなければ私は――!)
そこまで考えてからジュエルスが行方不明であることを思いだす。
領地から出られないため詳しい情報は得られないが、ジュエルスが生きている可能性は極めて低いと言われているらしい。後継者となる子どももいないことから、養子を迎えいれて跡を継がせるのでは、とかなんとか。
(私だったら、絶対そんな状況になんてしなかった。エルを戦地になんて行かせなかったし、子どもだってすでに産んでいたはずよ)
そんな未来を台無しにしたのは、あの家族とあの女。
「本当、ざまぁみろよ」
クローディアは割れた花瓶を片づけている侍女を眺めながら、フンと鼻を鳴らした。
(全部、全部壊れちゃえばいいわ。あの人たちも皆、不幸になってしまえばいいのよ)
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