ドナヴァンとの出会い③
ドナヴァンはぐっと眉間にしわを寄せた。
「私は綿製品の可能性をもっと広げたいと思っているの」
「綿製品の可能性……」
「この国で最初に綿事業を始めたのが私の父。それからずっと綿事業をけん引してきて、今では多くの人たちがこの業界に参入してきているわ。綿製品もずいぶん増えたし、手に入れやすくなった。でも、私は満足していないし、もっと新しいことに挑戦したいと思っているわ。そこで必要なのが、あなたの知識と想像力、そして技術力よ」
「俺の?」
「私はそう直感したの。だからあなたに会うために、チェスター領からここまで来たのよ」
「本当に俺を引きぬくためだけに来たのか?」
「そうよ。私は本気」
「……」
しばらく考えこんでいたドナヴァンは、わかった、と言って立ちあがった。それにつられてサフィリナも立ちあがる。
「君に付いていくよ」
「本当?」
「ああ、だが条件がある」
「ええ、なんでも言って」
さて、いったいどんな要望を出してくるのか? 応えられる限り応えるつもりではいるけど。
思わず生唾を飲んで構えるサフィリナ。
「俺を職人として認めてくれ」
「当然だわ」
「俺専用の作業場を作ってくれ」
「もちろんよ」
「開発費をケチらないでくれ」
「むしろどんどん使ってちょうだい」
「俺のことについてあれこれ詮索しないでくれ。以上だ」
「……もしかして、なにか罪を犯し――」
「そうじゃない!」
ドナヴァンが慌てて首を振った。
「ただ……」
答えに困って口ごもらせるドナヴァンを見て、サフィリナは軽く首をすくませ了承した。
「いいわ。なにも聞かないし調べない。でも、こちらに不利益になるようなことがあった場合、その限りではないわ」
「ああ、それでかまわない」
ドナヴァンはサフィリナの言葉に同意してうなずいた。
「あとは?」
「あと? もうないぞ」
ドナヴァンは、これ以上なにがあるんだ? と首を傾げる。
「それだけ?」
今の要望はサフィリナが想像していた域に達していないのだけど。
「ほかになにがある?」
「あるでしょ? 給金とか労働時間とか」
「それなら生きていけるだけの給金を約束してほしい。それ以外は必要ない。俺は、作りたいものを作れればいいんだ」
生きていけるだけの給金? そんな要望は初めて聞いた。
「あなたって全然欲がないのね……」
「ハハハ、そうでもないよ。こう見えてけっこう計算高いんだ」
ドナヴァンが陽気な笑顔を見せる。
「よし、そうと決まればさっさと行くか」
そう言って立ちあがったドナヴァンは、工場に向かって歩きだした。
「ドナヴァン?」
「あいさつくらいはしておかないと」
「わかったわ。馬車で待っているから」
「ああ」
ドナヴァンは踵を返して工場へと向かった。
サフィリナはドナヴァンの背中を目で追っていたが、工場に入っていったのを確認して、待たせていた馬車のほうへと歩きだした。
ドナヴァンが工場へ入っていくと、それに気がついた社長のロハンが、目をつり上げてドナヴァンに近づいてきた。
「お前! 仕事をさぼってなにをしていたんだ!」
しかし、ドナヴァンの顔の傷を見て少したじろぐ。その傷だけで、ドナヴァンがどんな目にあったかを簡単に想像できたからだ。
「ま、まぁ少しくらいは大目に見てやる。女たちが、紡績機の糸が切れるから調整してくれと言ってたから見てこい」
言いたいことだけ言って、ロハンはさっさと事務所に戻ろうとする。
「いや、悪いけどそれはできない」
「は?」
ロハンは足を止め、眉間にしわを寄せて振りかえった。
「俺はここを辞める。糸の調整は、お偉い職人さまたちにやってもらってくれ」
「なんだと!」
ロハンは顔を真っ赤にしてドナヴァンの胸倉をつかんだが、ドナヴァンはその手を勢いよく払いのけた。
「お前――!」
「社長が俺を雇ってくれたことには感謝をしている」
「感謝をするのは当たり前だ! 私以外にどこの誰とも知れないお前を雇うやつなんているわけがないからな」
ドナヴァンが突然職人として雇ってほしいと押しかけてきたとき、下積み経験がなく、身元もはっきりしていなかったため一度は断った。しかし、それでもしつこく食い下がるドナヴァンは、自身が作ったという綿繰り機を見せてきたのだ。
それを見てロハンは驚いた。綿繰り機とは綿花から種を取り除く道具のことだが、ドナヴァンが作ったという綿繰り機は、従来のものとは違い、軽くて種を取りこぼすことがない。それを見様見真似で作ったというから驚きだ。
もしかしたら、いい拾いものかもしれない。そう思った。
だから、経験を重ねてから職人にするという約束で、給金の安い雑用係として雇うことにしたのだ。
ドナヴァンは三年間、文句も言わずに雑用係をしていた。雑用係と言っても、道具の調整など普段こなしている仕事は職人とさほど変わらない。違うことといえば道具を作ることができないということ。職人ではないのだから当然だ。
だから彼は趣味という形で、これまでより丈夫な糸を作る紡績機を作った。
やはり自分の勘に間違いはなかった。だからこれからも、ドナヴァンには雑用係としてしっかり働いてもらうつもりだ。
「雇ってもらっている恩はしっかり返してもらわないとな」
「恩ならもう返した」
「は?」
「俺が作った紡績機で、ずいぶん利益を上げただろ? 俺は十分恩を返したから、今日で仕事を辞める」
「な、なに? 辞めるだと? 辞めてどうする? 私以外にお前を雇ってくれる奴なんているわけがないだろう!」
「かまわない。こんな所にいても殴られるだけだしな」
そう言って踵を返したドナヴァンがドアノブに手をかける。
「待て! そ、そうだ、給金を上げてやろう、今の二倍だ。どうだ?」
「……たった二倍じゃ職人の半分にもならない」
「――っ! な、なら職人にしてやる。それならいいだろう?」
「そんなことをしたら、ほかの職人たちがおもしろくないんじゃないのか」
「か、かまうものか。あいつら、たいした仕事もしないくせに金ばかり要求しやがって。本当に迷惑な金食い虫だ」
「……だとさ。聞いていたか?」
「え?」
ドナヴァンの言葉にロハンが驚いたように目を見ひらいて、その視線の先を確認するために振りかえると、そこに職人の二人が立っていた。
「いや、違う、違うんだ」
ロハンが慌てて首を振る。
「まぁ、しっかり話しあってくれ。俺は行く」
そう言ってドナヴァンは踵を返した。
「お、おい、ドナヴァン、待ってくれ」
しかし、ドナヴァンは足を止めることなく工場を出ていった。
「ドナヴァン!」
ドアの向こうから聞こえた声は、普段ドナヴァンを威嚇するように発するそれとは違って情けなく、それがドナヴァンにはおかしくて思わず笑ってしまった。
いい気味だ。
溜まっていた鬱憤が少し晴れたし、二度と彼らの顔を見なくていいというのも気分がいい。腕を空に突きあげ、ぐーっと体を伸ばすと、自然と「あー……」と声が漏れた。
遠くに馬車が見える。あの馬車が、ドナヴァンをまったく違う世界に連れていってくれる。
「久しぶりにいい気分だ」
思わずドナヴァンの頬が緩む。そして力強く馬車に向かって歩きだした。
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