想像していなかったこと②
「……え、なんて?」
「エルが、見つかったかもしれない」
久しぶりに帰ってきたセージが、慎重に口を開いた。
「エル、が……」
突如やってきた吉報は騎士団がもたらした。セージが騎士団に足繁く通い、その思いに応えたジュエルスの同僚が、時間を見つけては捜索をしてくれていたそうだ。
「ただ……まだ、彼かどうかはわからない」
「どういうことですの?」
ケイトリンが喜びともかなしみともとれる声でセージに聞いた。
「わからん。騎士団のほうでも、情報があいまいなんだ」
そこまで言ってセージが口を噤む。
「確認中、ということですか?」
サフィリナの言葉にセージがうなずく。
「……まだその人物が本当にジュエルスなのか判断ができないのだそうだ」
「なぜ?」
説明を求めてもセージはわからないと首を振るだけ。
「それで、エルはどこにいるのですか?」
サフィリナが珍しく大きな声を出した。溢れそうな涙で視界がぼやけているが、そんなことはまったく気にならない。とにかく、ジュエルスのことが知りたい。
「今、騎士団が迎えに行っている」
「わざわざ騎士団が?」
「正確にはデトロイス卿だ」
ジュエルスが行方不明であることを伝えに来た、騎士団の副団長だ。ジュエルスの同僚が彼を見つけたが、事情により彼を連れかえることができなかったため、ペンサーが直接確認をしに行くことになったとか。
「事情? もしかして、けがをしているとか?」
「いや、そうではないらしい」
ジュエルスと思われる人物を見つけた同僚は、ジュエルスの後輩にあたるためつきあいが短く、その人物をジュエルスだと断定することができなかったということなのだが。
「そんなこと、本人に聞けばわかるではないですか!」
ケイトリンが少し声を大きくする。
「私もそう思うが……。とにかく、デトロイス卿からの連絡を待つしかない」
セージはそう言ってサフィリナを見た。サフィリナは不安そうな顔をしてうなずいた。
「はい、そうですね……」
(人違いかもしれない、ということよね? 遠目から見かけただけ、とかそういうことなのかもしれないわ)
もし期待をして、その人物がジュエルスではなかったら、きっとショックは大きくなるだろう。だから余計な期待はせず、できるだけ冷静に連絡を待たなくては……。
しかし、そうは思っても一度生まれた期待は簡単には潰えない。
サフィリナの心臓が大きく鼓動し、焦ってはいけないとわかっているのに、すでにジュエルスが見つかったような歓喜が体中を支配している。もしその人物がジュエルスではなかったら、この喜びが急降下し、かなしみがますます深くなるのに、この昂る感情を押しころすのはどうしたってむずかしい。
「エルだったらいいのに……」
サフィリナの声がしんと静まりかえった部屋によく通った。
「……そうだね。エルだったら――」
セージが言葉を詰まらせ、目頭を押さえてうつむいた。ケイトリンは立ちあがり、そんなセージの頭を抱きしめる。
「待ちましょう。私たちにはそれしかできないわ」
「……ああ、そうだね」
ずいぶん長いあいだ、二人が互いを思いやる姿を見ていなかった。こうして優しく抱きあう姿も。だから祈らずにはいられない。その人物がジュエルスであることを。
それから三週間がたった。そのあいだに大きな喜びが、ペンサーからの手紙によってホルステイン侯爵邸にもたらされた。
まず、その人物はジュエルスでほぼ間違いがないということ。ペンサーと話をした結果、ジュエルスがホルステイン侯爵邸に帰ってくること。そして彼が帰ってくるのが今日であること。
ただ、手紙では伝えにくいことがあるため、それに関しては彼と話をしてほしい、とあった。サフィリナはその内容に一抹の不安を覚えたが、それよりも彼が生きて戻ってくる喜びに敵うものはない。
その証拠にジュエルスが帰ってくる予定のホルステイン侯爵邸は、久しぶりに活気に溢れていて、笑い声さえ聞こえる。使用人たちが浮足立っているが、それを注意する者もいない。
「このドレス、変じゃないかしら?」
自室で鏡を見ながら、サフィリナは何度も侍女のモニカに確認をしている。
「ええ、とても素敵ですよ。きっとジュエルスさまもお喜びになられるでしょう」
「そうかしら?」
長く自分の手入れを怠ってしまったから、久しぶりに会うジュエルスががっかりしてしまわないか少し心配。自慢の髪も艶がいまひとつだし、少し肌が荒れているような気もする。
「髪はやっぱりアップにしたほうがいいんじゃないかしら?」
少しは大人っぽくなったところも見てもらいたい。
「では、そうしましょう」
「あ、でも」
昔と同じ髪型のほうが彼は喜んでくれるかもしれない。
「とりあえず、このままでいいわ。でも、ちょっと化粧は濃いかしら」
派手な化粧は彼の好みではないし。
「そうですか? そんなに濃くはないと思いますけど」
モニカは首を傾げた。
「きっと美しいサフィリナさまにジュエルスさまは見ほれてしまいますよ」
そう言ってモニカがクスクスと笑う。
「そ、そうかしら?」
「そうですよ。それにもっとお化粧をしてくださらないと、私の腕が鈍ってしまいます」
「フフフ。それについては、申し訳なく思っているわ」
人前で着かざらないで、と言っていたジュエルスを思いだす。その言葉を忠実に守るのは難しいと思っていたけど、パーティーやお茶会にほとんど参加することもなく四年間を過ごし、思いがけず約束はしっかり守られてしまった。おかげでモニカは化粧の腕を披露する機会がほとんどなかったと文句を言っている。
モニカのかわいらしい愚痴を聞きながらサフィリナはクスクスと笑う。
「まだ……約束の時間には早いわね」
時計を確認して、正午を少し回ったところだということに気がついてがっかりした。ジュエルスが到着するのは夕方近くだろうと言われていたから、まだまだということだ。
「サフィリナさま、お茶を淹れますので少し休憩をなさってはいかがですか?」
「そうね。そうするわ」
モニカの言葉にうなずいたサフィリナは、そわそわしている自分に苦笑いをしながらお気に入りのイスに座った。
白を基調とした小さいテーブルと揃いのイス。以前はここで手紙を書いたり本を読んだりしていたが、もうずいぶん長く使っていない。それに気がついて心の中で、ごめんね、と呟いた。
余裕のない毎日で、モニカやほかの使用人たちにもずいぶんと心配をかけてしまったと思う。できればそんな時間は今日が最後であってほしい。そう願うのに、ふとした瞬間に不安がやってくる。
もし、その人物がジュエルスではなかったら? ペンサーが勘違いをしていて、本当はまったくの別人だったら?
浮かれる気持ちと不安になる気持ち、期待と緊張。
(なんだか情緒不安定になっているみたい)
そんな自身の忙しい感情に小さく笑う。
そこへ紅茶とケーキが運ばれてきた。
「まぁ、ミルクケーキね」
「ええ。シェフが今朝から準備をしていました」
「そう。とても、おいしいわ」
しみじみと言いながら顔を上げて、モニカと目を合わせてニコッと微笑んだ。
今日だけは仕事なんて一切しないで、ただうれしい再会だけを思って過ごしたい。
「本日のディナーは、ジュエルスさまのお好きなお料理をたくさん用意するそうです」
ジュエルスはラム肉のステーキが好きで、オマールエビのサンドウィッチが好き。ビーフシチューも好きだし、ふわふわのパンにたっぷりとニンニクオイルを染みこませて食べるのも好きだ。
「豪勢なディナーになりそうね」
サフィリナは張りきって料理をしているシェフの姿を想像して、クスクスと笑った。
すると、少し忙しない足音がサフィリナの部屋の前で止まった。続けてドアをノックする音。
「はい?」
「サフィリナさま、ジュエルスさまが到着されます!」
「え? エルが?」
「はい、もう馬車が屋敷の近くまで来ているそうです」
興奮気味の使用人の声から喜びが伝わってくる。
「すぐに行くわ」
少し声を上ずらせたサフィリナは、慌てて立ちあがると鏡の前で顔を確認して、それからドレスを確認した。
「大丈夫かしら、私? おかしなところはない?」
「大丈夫です、完璧です。急ぎましょう!」
モニカの言葉にうなずいたサフィリナは、はやる気持ちを抑えつつ早足で部屋を出て、急ぎ階段を下りた。
「お義父さま、お義母さま」
すでに、玄関まで来ていた二人が外へ出ようとしている。
「リナ!」
二人の眩しい笑顔を見ると、サフィリナの頬が自然と緩む。
外に出たサフィリナは、こちらに向かってくる馬車を見て大きく息をのんだ。祈るように顎のあたりで合わせた両手が震えている。
もうすぐ会える。もうすぐ、あの懐かしい笑顔をサフィリナに向けて、遅くなってごめんね、と言ってくれる。
(ああ、どうして馬車なのにあんなに進むのが遅いのかしら!)
目の前に馬車が止まる瞬間が待ち遠しくて仕方がない。ほんの少しでも早く到着してほしくて、胸の前で組んだ両手に力が入る。
馬車が止まった。御者が馬車のドアを開けると、人影が動き乗降口のステップに足が乗る。
「エル……!」
間違いなく彼だ。銀色の髪、こちらにチラッと視線を移したときに見えた黄色い瞳。身なりは平民のそれだがどこか品があって、少し痩せてしまったが引きしまった体も高い身長も変わってはいない。彼がジュエルスでないはずがない。
両手で自分の口を押えたサフィリナから涙が溢れた。――が、次の瞬間。
「……え?」
ジュエルスが馬車のドアの前に手を差しだし、その手をとって降りてきた女性を見て、誰もが絶句した。
「……な、に……?」
言葉を失った人々の視線を気にしながら馬車の前に立った二人は、こちらを見てからゆっくりと歩みよってくる。
「どう、いうこと?」
ケイトリンがかろうじて言葉にしたそれは、誰もが思ったことだった。
「……これが、デトロイス卿が濁した理由か……!」
これが? どういう、理由?
サフィリナはまったく理解ができずに二人を呆然と見つめている。いつの間にか自分たちの前までやってきた二人は、少しだけ困ったような顔をした。
「あの、僕があなた方の息子だと聞きました」
「……は?」
思わず聞きかえしたセージ。
「あ、あの、僕には記憶がなくて……」
「え……?」
想像もしていなかった言葉に誰もが顔を青くする。
「あ、あの、あたし、マニシャっていいます」
ジュエルスの隣に立つマニシャと名乗る女性が口を開いた。
「この人、とても大きなけがをして、記憶を失くしていたんです。けがは治ったんですけど、今日までゴードンは、あ、ゴードンっていうのはこの人のことで、あたしが付けたんだけど……」
緊張しているのか説明がたどたどしいが、その言葉の意味が理解できないわけではない。信じがたい事実に気が遠くなったケイトリンの体がふらりと揺れ、セージが慌てて支えた。
「ケイト!」
「うそよ……こんなこと……」
うわ言のようにくり返すケイトリンを支え、セージがジュエルスのほうを振りかえる。
「と、とにかく中で話そう。来てくれ」
セージはケイトリンを抱きかかえて屋敷の中へ入っていく。小さくうなずいたジュエルスが、マニシャと共にセージのあとに続いた。
サフィリナは言葉を失ったままジュエルスを見つめている。それに気がついてジュエルスがサフィリナの前で足を止めた。
「エル、うそでしょ? ……私のこと、覚えていないの?」
サフィリナの声が震えている。ジュエルスは初めて会ったような顔でサフィリナを見つめ、「すみません」と小さく頭を下げ、マニシャと一緒に邸の中へと入っていく。
「……うそでしょ」
サフィリナは呆然としたままその場に立ちつくし、しばらくしてモニカに支えられながら邸の中へと入っていった。
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