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二人の結婚⑥

 サフィリナはシャルズと別れて馬車に乗りこみ、繊維工場に向かった。


 農園から三十分ほどの所にあるアンティオーク繊維工場は、今日も一定のリズムで機械音が鳴っている。幼いころからずっと聞いてきた、今も昔も変わらない小気味のいい機械音がサフィリナは好きだ。


 工場に入ると、従業員たちが忙しそうに働いていた。


「サフィリナさま」


 サフィリナに気がついてこちらに向かってくるのは、工場を管理しているアメリア。


「アメリアさん、こんにちは」


 人懐っこい笑顔を見せるアメリアは、元は工場の従業員として織布を担当していたが、現在は工場長を務める職歴の長い女性だ。


「いつもより遅いので心配をしていたのですよ」

「ごめんなさい。農園に寄ってから来たから」

「そうでしたか。もうすぐ収穫期だからたくさん実っていましたでしょ?」

「ええ」


 見わたす限り広がる綿花畑は、サフィリナが少しずつ土地を買い足し、フルディムの代より一・五倍の広さになっている。


「先代もお喜びでしょう」


 サフィリナがフルディムの仕事に興味を示して以来、なにかとサフィリナを連れまわしていたことを思いだしてアメリアが優しい笑みを見せた。


「そうだといいけど」


 まだまだ父には及ばない。父は一から作りあげたが、自分は与えられたものをどうにか維持しているだけだ。


 しかしアメリアは首を振る。


「そんなことはありませんよ。サフィリナさまがここまで大きくしたんじゃないですか」

「ありがとう……」


 そう言ってもらえるのはうれしいが、やはり父には遠く及ばないという思いは消えない。


「そういえば試作品は完成したかしら」

「ええ。一応は」


 サフィリナがアメリアに聞いたのは、従来のものより細い糸で織った布のことだ。アメリアはあまりぱっとしない表情で、工場の奥にある事務所の棚から生成りの布を持ってきて、それをサフィリナに渡した。


「ありがとう。見させてもらうわね」


 布を広げて裏と表を確認し、ぎゅっと引っぱる。目の細かさを確認して、今度は光にかざした。


 現在、細い糸と薄い布を作ろうと試行錯誤をしている最中。しかし、細い糸を作るのはとても繊細な作業だし、細い糸で布を織るのはとても時間がかかる。それに、できあがった糸の太さは均一とは言い難い。


 現状では、商品化にこぎつけるのは難しそうだ。そんな事を考えながら布を引っぱってみると、ビリッという音と共に布が破けた。サフィリナが固まる。


「……ごめんなさい」


 申し訳なさそうにサフィリナがアメリアを見ると、アメリアこそ申し訳なさそうな顔をしてサフィリナから布を受けとった。


「この程度で破れるようでは商品にはなりません」


 じっと布を見つめるアメリアは「撚りが甘かったかしら」と独り言のように呟いて考えこんでいる。

 現在アンティオーク繊維工場の紡績機で作れる糸は、一ミリをギリギリ下回る程度の太さ。それより細い糸を作る場合は人の手による作業になってしまうのだが、それだと理想とする糸を作るのは難しい。ということを今回の試作品で痛感させられた。


「どこかに腕のいい機械職人はいないかしら?」


 細い糸を作る紡績機を開発してくれるような優秀な職人は。


「そんな人がいたら、とっくに開発しているわね」


 一人で会話を成立させたサフィリナは、自嘲気味に溜息をついた。


「大丈夫ですよ。きっと見つかります。それまでは私たちが頑張りますから」


 アメリアが頼もしい笑顔をみせてサフィリナを励ました。


「ありがとう」


 今のままでも十分利益を上げているが、そうではなく新しいことをしたい。父のように。


 その思いは以前から常に持っていたが、最近ではなにかに追われるように必死にそんなことを考えている。なにかが変わればほかのなにかも変わるかもしれない。例えば、戦線の戦況が変わって戦争が終わり、ジュエルスが帰ってくるかもしれない。例えば、ケイトリンが気力を取りもどし、以前のように仕事を始めるかもしれない。


 しかし、そこまで考えてサフィリナは大きく溜息をついた。


「……ないか」


 たとえ細い糸を作れるようになっても、戦況は変わらないし、ジュエルスは帰ってこない。ケイトリンの状態が改善されることもない。


 無力だと改めて思う。自分にできることが、現状を変えるきっかけのひとつにもならないことが悔しい。


「……サフィリナさま」


 表情に影を落としたサフィリナに気がついたアメリア。


「焦る必要はありませんよ。私も伝手を当たってみますから」


 アメリアはサフィリナが気落ちした理由を、職人が見つからないからだと理解したらしい。


「ありがとう。期待しているわ」


 サフィリナは努めて明るく返事をした。





「リナ! どこに行っていたの!」


 ホルステイン侯爵邸に戻り、ケイトリンにあいさつをしに行くと、真っ青な顔をして悲鳴に近い声を上げるケイトリンがいた。


「お義母さま、申し訳ございません」


 快くサフィリナを送りだしてくれたケイトリンは、時間が経過するにしたがって不安になり、もしかしたらサフィリナは帰ってこないのではないか、と侍女に聞きはじめ、そのうち気持ちが昂って騒ぐようになった。パニックを起こすと、誰がなにを言っても聞きいれなくなってしまうのだ。


「お義母さま、ご心配をおかけしました。仕事でチェスター領へ行っていましたが、もう終わりましたので大丈夫ですよ」


 ケイトリンの手を握り、子どもに話すように優しく話しかけ、ケイトリンが落ちつくまでそばにいる。


「リナ、ごめんなさい。私、心配で心配で」

「ええ、わかっています。でも、帰ってきましたからね。安心してください」

「そうね。あなたは帰ってきたものね。私ったら、本当にどうしちゃったのかしら?」


 瞳を潤ませながらケイトリンは恥ずかしそうに笑う。


「……」


(しばらくのあいだは屋敷を離れないほうがいいわね)


 今のケイトリンにはサフィリナだけが心の支えなのだ。


(お義父さまとはあまり会話をされなくなってしまったし)


 自分がジュエルスの背中を押してしまった結果、このようなことになったことに後ろめたい思いがあるのだろう。ケイトリンに責められたのかもしれない。とにかく、今、二人の夫婦仲はいいとは言えず、サフィリナがあいだに入ることでバランスを取っている状態だ。


 しばらくするとケイトリンが眠りに就き、サフィリナと侍女がホッと息を吐いた。


「私は部屋に戻るから、お義母さまが目を覚ましたら呼んでくれる?」

「かしこまりました」


 侍女が返事をすると、サフィリナは静かに部屋を出て自室に戻り、一直線にベッドへ向かってそのまま倒れこんだ。体が鉛のように重く、頭がベッドに深く沈んでいく錯覚に襲われる。


「疲れた」


 言葉にするとますますそれを実感してしまう。


「……エルに……会いたい」


 今、彼はなにをしているのだろうか? けがをしていないだろうか? 体調は?


「なぜ手紙を送ってくれないの……? 私からの手紙が届いていないのかしら?」


 ジュエルスからの手紙が、もう二か月以上も届いていない。


 それがなにを意味するのかわからず、セージが情報を集めようとしたが、現場も混乱をしているらしく、実のある情報を得ることはできなかった。ただ、ジュエルスの生死に関しては、報告が届いていないから最悪の状況ではないだろう、と濁しながらも教えてくれた。


「大丈夫よ。エルは生きているわ」


 自分に言いきかせるようにくり返すその言葉が、ますます不安を煽り、視界が滲んで大粒の涙がこぼれる。


 彼が騎士になると言ったとき、もっと真剣に考えればよかった。彼の進む道の先にあるかもしれない危険を、もっと具体的に考えればよかった。理解のある婚約者なんて気取るんじゃなかった。ケイトリンが心配をしている様子を見て、心のどこかで大袈裟だと思っていた。なぜジュエルスの夢を応援してあげないのかと――。


「私が間違っていたわ」


 ケイトリンは最初から言っていたのだ。騎士になれば、死と隣り合わせの生活も覚悟しなくてはならないと。それなのに、サフィリナはそれを安易に考えていた。


「どうして、私は……彼を送りだしてしまったの」


 不安と後悔に押しつぶされまいと、強張る体を猫のように丸めて小さくなった。


「大丈夫、エルは生きているわ。絶対に帰ってきてくれる。……エルが帰ってきたら……私の手作り料理を振る舞ってあげるわ。それから髪を洗ってあげるのはどうかしら。さすがにそれはいやがるかも? 体が疲れているだろうからマッサージもしてあげないと。頑張ったことをいっぱい褒めてあげないと……」


 しかし、それ以上は言葉が続かず、嗚咽を漏らしながら長い時間ベッドに顔をうずめていた。




 終戦した。ジュエルスが出征してから二年が過ぎていた。ザンブルフ王国の勝利で終わった今回の戦争は、国境に流れるアマースト川をザンブルフ王国の国有地とすることで決着した。しかし、アマースト川近隣に住むバーズビル王国の者たちはそれを不服とし、今も抵抗をしているという話も聞かれ、川の周辺は終戦とはいえない状態のようだ。


 しかし、サフィリナたちには朗報。ようやくだ。ずっとこのときを待っていた。


「エルが帰ってくる……」


 終戦の報告に屋敷中が歓喜に沸いた。ケイトリンは涙を流して喜び、セージも久しぶりに優しい笑みを浮かべてケイトリンの肩を抱いている。


「二週間のうちに戦線から引きあげるそうだ」


 戦争が終わったから帰る、というわけにはいかない。仲間の死を悼み、遺品を探して家族に届ける。それだけでも大変な作業になると聞いたことがある。それでも、彼が帰ってくるのならいくらでも待つことができる。これまでだって待っていたのだから。


「リナ、よかったわね」


 サフィリナは瞳に涙をいっぱい浮かべてうれしそうにうなずいた。



読んでくださりありがとうございます。

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