二人の結婚④
ジュエルスが屋敷に戻ってきたのはそれから十日後。家族にあいさつをするために戻ってきたと聞いて、ケイトリンは大粒の涙を流した。
「なぜ、あなたが行かなくてはならないの? こんなのあんまりよ!」
ジュエルスは入団二年目。将来を有望視されているとはいっても、実戦経験のない未熟なジュエルスが、戦線でその力を存分に発揮できるとは思えない。戦争は命の奪いあいなのだ。やり直しはできないし、負ければそれは命を失うということに直結する。
それなのに、死地も同然のフォールーズ戦線に送られる? 私が命がけで産んだ大切な息子が? ホルステイン侯爵家の正統な跡取りが? 冗談じゃないわ!
「そんなことさせない! 安心しなさい、エル。私が絶対にあなたを戦線になんて行かせないから」
「母さん、母さん!」
取りみだして縋るケイトリンの肩を抱くジュエルス。
「俺が志願したんだ」
「……は?」
「俺が自らの意思で行くことを決めたんだ」
「な……なんで、そんなことを……」
ケイトリンは血の気を失い真っ白な顔をして、震える両手で口を押さえた。
「あなたは、自分の立場を理解していないの? なんで、そんなことしたのよ!」
そう言ってふらふらとよろめき、慌てて駆けよった侍女に支えられながらソファーに座りこむ。
「……ごめん」
サフィリナは二人の会話を聞きながらジュエルスに憤りを覚え、それと同時に捨てられたような、なんともいえない無力感を覚えた。なぜ、ジュエルスはサフィリナのために危険を避ける道を選んでくれないのか。たとえそれが彼の望んでいることだとしても、あまりに無責任な選択だ。
サフィリナは、視界を塞ごうとする涙をこらえるために眉間にしわを寄せ、ジュエルスの横顔を睨むように見つめた。
「エル」
セージも複雑な表情をにじませている。
「確かに私は、お前が騎士になることを応援していた。でも、こういうことではない。兵力は多ければ多いほどいいだろうが、しかしお前は侯爵家唯一の嫡子なんだぞ。行かないという選択肢も当然あったはずだ。それなのに――」
そこまで言ってセージは言葉を詰まらせた。
セージから目を逸らさない若い騎士が、それを決断するまでに悩まなかったはずがない、と気がついたからだ。恐怖もあっただろう。なにより、サフィリナを溺愛し、彼女と会えなくなることをあんなにいやがっていたジュエルスがそれを選択したのだから、よほどの覚悟が必要だったはずだ。しかし、そうまでして彼はなにをしたいのか。
「……ずっと悩んでいたんだ。バーズビル王国との小競り合いが、小競り合いというだけではすまなくなってきていたことは知っているだろ? ……行方不明になった騎士は俺が尊敬している先輩だった。……彼は結婚を控えていた」
そう言って、うつむいたジュエルスはしばらく沈黙して、それから意を決したように口を開いた。
「本当はその任務は俺が行くことになっていた」
「え……?」
ジュエルスの言葉でその場の空気は一気に冷たいものになった。
「それほど危険な任務ではないと言われていたんだ。だから引きうけたけど、直前になって……バーズビル王国が戦争の準備をしているって情報が入ってきて。……そうしたら、先輩が、自分が行くって」
経験の浅いお前より、俺が行ったほうがいいだろう、と言ってその任務を代わってくれた彼は、一か月後に結婚式を控えていた。彼は「さっさと仕事を終わらせて帰ってくるよ。彼女を一人で教会に行かせるわけにはいかないからな」と笑っていた。
もしジュエルスが行っていれば、彼の婚約者は教会に行くこともないまま、一人泣きくらすことにはならなかった。
「あなたが行けば、リナや私たちが、その婚約者と同じように泣きくらすことになっていたでしょう。それに、その方が行方不明になったことは、事情はどうであれ、あなたの責任ではないわ」
ケイトリンが震える声でジュエルスを励ます。
「その方は自分の使命をまっとうしたのよ?」
「ああ。だから俺も自分の使命をまっとうするために、戦線に行くと決めたんだ」
「エル!」
なにを言っても聞く耳を持たない息子に絶望するのは、ケイトリンだけではない。セージもまた、ジュエルスが騎士になることを応援していた愚かな自分を嘆き、取りかえしのつかない現実に落胆している。
身長はとうにセージを超え、立派な体格の成人男性に成長したジュエルスは、騎士として将来を有望視されている自慢の息子だ。しかし、このときばかりはそんな自慢の息子に育ってくれたことが悔やまれる。
「この選択は俺にとっての正義だ」
「ばかなことを……!」
ジュエルスの言う正義が、家族には独りよがりにしか思えない。もちろん騎士である以上、剣を取って戦うべきだ。そのために騎士になったのだから、その本分を果たさなくてはならない。でも、その正義と本分よりも重い責任が彼にはある。なぜそれがわからない。
騎士の中には、ジュエルスのように爵位を継ぐ予定の子息ももちろんいる。しかし、往々にしてそういった子息たちは、命にかかわるような危険な場所には行かない。もしくは、行っても戦線などではなく、戦地から離れた所から指示を出すだけ。そういうものだ。そういうものなのだ。だから――。
(こんなことなら、絶対に騎士になることを反対したのに)
後悔がありありと浮かぶセージの顔を見ないようにして、ジュエルスがサフィリナのほうを向いた。そして、ゆっくりとサフィリナの前まで来て静かに震える肩を抱きよせる。
サフィリナはジュエルスの背中に腕を回し、ぎゅっとシャツを握りしめた。止まらない涙がジュエルスのシャツにしみこんでいく。
「……リナ、ごめん」
「……謝るなら……」
謝るなら行かないで。そう言えたらいいのに。しかし、それを言っても彼が決断を覆すことはないだろう。だから、サフィリナは顔を上げ、ジュエルスの目を見てそれから笑みを見せる。
「謝るなら必ず、私のもとに帰ってきて」
「うん、帰ってくる。必ず帰ってくるから、他の男に気を許さないでよ」
こんなときでも、そんなことを心配しているのか。
「ばかね」
「愛している。だから、こんな俺に呆れないで」
「呆れるなんて、そんなことあるわけないじゃない。エルこそほかの女性に目移りしないでよ」
「するもんか。俺は、ずっと君だけだ」
「絶対よ」
「絶対だ」
戦場では絶対などない。約束が守られる保証だってまったくない。それでもその約束を糧に、これからを生きていかなくてはならない。生きて再び互いの温もりを確かめあうために。
翌日、ジュエルスは家族に見おくられながら屋敷をあとにした。
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