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二人の結婚③

 モニカが少し興奮している。


「え? ……もしかして……?」

 

 三人の頭に『妊娠』という言葉が浮かぶ。


「食べ物は受けつけないし、匂いにも敏感になっているし……。きっとそうですよ! 間違いありません!」


 モニカはすっかりそうと信じてしまっているのか、興奮して声が大きい。


「モニカ。先走るのはよくないわ」


 ケイトリンに指摘されて、慌ててモニカが口を塞ぐ。しかし、モニカに注意をしたケイトリンの顔も明らかに輝いているように見えるのだが。


「すぐにポスト先生に来てもらいましょう」

「はい……!」


 サフィリナも心が弾んでしまっているせいで声が大きい。

 

 ケイトリンは満足そうにうなずいて早足で部屋を出ていった。


「サフィリナさま!」


 やはり興奮が抑えられないのか、ケイトリンが部屋を出ていったのを確認したモニカが、勢いよくサフィリナに近づいた。


「サフィリナさま、おめでとうございます」

「フフ、モニカったら。まだ、気が早いわよ」

「でも、月のものは遅れているし、つわりの症状が出ていますし」

「……つわり」


 確かに、食べ物を受けつけない、匂いに敏感、などはつわりの症状にも似ている。


「それに先ほどの立ち眩みも、妊婦にはあることだと聞いています」


 モニカの言葉を聞けばますます妊娠の可能性が高いように思えてくる。


(……本当に、本当に妊娠をしているの?)


 先走ってはいけないと思っても、つい喜びで頬が緩む。


(もし本当に妊娠をしていたら、エルは喜んでくれるかしら? きっと大喜びしてくれるわね)


 その日の夕方、医師のポストがやってきた。ポストは医師としては若い二十五歳で、ホルステイン侯爵家の分家に当たるペッパー子爵家の嫡男。爵位に興味がなかったポストは継承権を放棄し、幼いころからの夢であった医師になる道を選んだ変わりものだ。


「先生、いかがですか?」


 すべての確認を終えたポストに聞いたのはケイトリン。


「そうですね……」


 性格のせいか、ポストの話し方は少しのんびりしていて、気が急いている彼以外の者にはじれったい。


「確かに、妊娠の兆候のようにも思えますが……はっきりとはわかりません」

「え? どういうことですか?」

「まぁ、言ってしまうと、妊娠だと判断するには早すぎるということです」


 ポストが言うには、妊娠の初期の初期では判断する材料が少なく、誤診をしてしまう可能性があるため、妊娠してから少なくても二か月はたたないといけないそうだ。


「そうですか」


 ケイトリンは見るからに残念そうな顔をしている。


「あと二週間くらいしたら、もう一度診てみましょう」


 ポストはそう言って屋敷をあとにした。


「残念だったわね。でも二週間後にはきっとわかるはずよ」


 この場にいる人の中で一番残念そうな顔をしているケイトリンが、サフィリナにそう言って励ます。


「ええ。楽しみが増えてうれしいです」

「そうね。そのとおりだわ」


 サフィリナの健気な言葉を聞いてケイトリンは感激しているようだ。


 それからのサフィリナの周囲の人たちの気遣いは凄まじかった。


 歩くときはモニカを含めた二人の侍女がサフィリナの両脇に立ち、階段を上るときはサフィリナの両脇に立つ侍女のほかに、二人の侍女が後ろからついていく。食事は塩分控え目で、野菜がかなり多くなった。紅茶を飲むことは禁止され、もっぱら水か蜂蜜とレモンをお湯で割ったもの。ドレスは体を締めつけないエンパイアドレス。仕事は完全に制限され、サフィリナが無理をしないように、とケイトリンが目を光らせている。


(いくらなんでも、これは気遣いの域を越えているわ……)


 まだ妊娠しているとわかったわけでもないのに、扱いはすっかり臨月を迎えた妊婦で、階段を上るのに侍女がサフィリナの背中を押してくれたくらい。


「私、そんなに太っていないと思うけど?」

「仕方がありません。皆楽しみにしているんですから」

「でも、これで妊娠していなかったらすごく気まずくなるじゃない」

「大丈夫ですよ。絶対に妊娠していますから」


 まぁ、正直に言えば、サフィリナもそうだろうと思っているのだけど。


 それから五日後。


 朝起きたときに下腹部のあたりが冷たいことに気がついて慌てて確認をすると、月のものが始まっていた。


「……そんな……」 


 この事実にがっかりしたのは、サフィリナよりケイトリン、モニカやほかの使用人たち。


「なに、そんなに落ちこむことはない。今回は勘違いだったけど、お前たちは結婚したばかりなのだから、これからいくらでもその機会はある」


 そう言ってサフィリナを励ましたのは、唯一冷静だったセージだ。


「お義父さま、申し訳ありません……」

「なにを謝る必要がある。こんなことはよくあることだ」


 セージは落ちこんで返事に元気のないサフィリナの頭をなで、優しく微笑んだ。サフィリナは、勘違いだったことと周囲の期待に応えられなかったことが相まって、複雑な表情をしたまま。


 結局その日のうちにポストが往診に来て、妊娠はしていないと診断された。


 それなのに翌日にはジュエルスから、妊娠したことを喜ぶ内容の手紙が、五枚の便箋にびっしりとしたためられて送られてきたものだから、この追い打ちによるダメージは大きく、サフィリナはがっくりと肩を落としていた。こっそりフライングをしてしまったケイトリンは、慌てて間違いだったと返信したが、きっとジュエルスはひどく残念がっていることだろう。


 そんな妊娠騒動から一週間後。精神的なダメージを受けたサフィリナが、ようやく元気を取りもどし、仕事にも復帰した。これまで以上に精力的に動き回っているのは、ゆっくり休んで気力と体力がみなぎっているからだろうか。


 さらに一週間後。


「え? エルから手紙?」


(そろそろこちらに帰ってくるころだったかしら?)


 妊娠を勘違いする騒動もあったことだし、なんだか会うのは恥ずかしいわ、なんてことを考えつつセージの執務室に向かう。


 セージの執務室に入ると、沈痛な面持ちをしたセージと、ソファーに座り両手で顔を覆って、嗚咽ともとれる声をかすかに漏らすケイトリン。


「え……?」


 その異様な雰囲気に胸騒ぎを覚える。


「リナ……。エルからの手紙だ」


 いつになく厳しい表情をしたセージから手渡された手紙。


「……なんで?」


 手紙の内容は、サフィリナが想像していたものとは大きく違っていた。


「フォールーズ戦線に、向かうことになった……?」


 手紙は震えるサフィリナの手から離れ、パサッと音を立てて床に落ちた。頭が真っ白になったサフィリナの体が揺れる。それを慌ててモニカが支えたが、そのまま二人は床に座りこんでしまった。


「……うそよ……そんな」


 ジュエルスが――戦争に行く?


読んでくださりありがとうございます。

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