夢への一歩⑥
令嬢たちが出ていくのを確認して、サフィリナに視線を戻した男たちが顔をしかめた。
「は? お前、なに持ってんだ?」
自分たちが少しよそ見をしているあいだにサフィリナが両手に握りしめていたのは、サフィリナが履いていた靴。ピンヒールがずいぶんと鋭く見える。
サフィリナは男たちを睨みつけ、靴を握りしめる手に力を入れた。
「ピンヒールがこんなにも尖っていて、宝石がこれでもかと付いている理由をご存じかしら?」
「なに?」
「それはね、気に入らない男の靴を思いきり踏みつけるため。自分の身を守るため!」
そう言って自身の近くにいた男の顔を靴で思いきり殴りつけた。
「ぎゃ!」
殴ったはずみで宝石が外れたが、そんなことはどうでもいい。続けざまに反対の頬をもう一方の手に持った靴で殴る。殴られた男は頬を押さえてよろめいた。
「お前!」
驚いて固まっていたもう一人の男が、サフィリナの両腕をつかんで動きを封じた。
「放して!」
「ふざけんな! 誰が放すか!」
サフィリナは靴を握りしめたまま必死に腕を振るが、男は簡単に手を離さず。それならば、と足を上げたサフィリナは、踵で思いきり男の足を踏みぬいた。もう一回、思いきり。
「っ――!」
男が痛みに顔をゆがめ、後ろに少しバランスを崩すと同時にサフィリナが腕を押しこむと、男は背を下にして床に倒れこむ。その衝撃で男の手が離れた。サフィリナは震える腕を必死に振りあげ、握りしめていた靴で男の頬を叩いた。
「いてーっ!」
夢中で反対の頬を叩く。続けてもう数発。
「や、やめろ!」
「あ、あなたたちこそ、やめなさい!」
「わ、わかった。やめる……」
男がそう言うと、サフィリナはホッとしたように手を止めた。が、もう一人の男に再び腕をつかまれた。
「調子に乗りやがって!」
男は無理やり腕を引っぱりあげてサフィリナを立たせ、そのまま向かう先にはベッド。
「二度と人前に出られないようにしてや――」
男が言いおわるより先に、ドレスの裾を踏んだサフィリナが転んで男の手が離れた。
「クソッ!」
男はイライラしながらサフィリナのもとまで戻ってきた。しかし、サフィリナを捕まえようとして伸ばした手を、思いきり振りまわした靴で叩かれ、痛みに驚いて慌てて離れる。サフィリナは続けて数回腕を振りまわし、男を近づけないようにしている。
「来ないで! 来たら急所を思いきり叩いてやる!」
「な、んて狂暴な女だ……」
息を切らしながら男を睨みつけ、自身を叱咤して必死に立ちあがったサフィリナ。
この場から離れなくては。
ようやくその考えに至ったサフィリナは、震えてうまく動かない脚を強く叩き、よろよろとドアのほうに向かう。しかしドアノブに手をかけるより先に男に羽交い絞めにされた。
「や、め……」
「ぜってー許さねぇ」
必死に逃げようと抵抗をしても力が入らず、反対に男はますます腕に力を入れた。
「とりあえずやればいいと思ってたけど、それだけじゃ気がすまねぇ。ああ、そうだ。拉致しておもちゃにでもするか」
そう言って男がサフィリナの首筋をべろりと舐めた。
「ひっ――!」
ぞっとする感触、耳元から聞こえる気持ちの悪い声。恐怖で涙がこぼれる。
「……誰か、たすけ……」
「来るわけないだろ! ここは招待客に開放されていない場所だからな」
「――っ!」
(いや……エル、助けて!)
サフィリナは握りしめている靴を力いっぱい振って男の足を叩いた。
「いってーな! いい加減――」
「エル……エルー! ここよ! ジュエルス!」
お願い、助けてエル!
「リナ!」
勢いよくドアが開き飛びこんできたのはジュエルス。
「なっ――!」
ジュエルスの目に映ったのは、ドレスも髪も化粧も乱れ、手に靴を握りしめて涙を流しているサフィリナと、サフィリナを後ろから抱きしめている男。
「な、に、してんだ、お前――!」
飛びかかったジュエルスは驚いて怯んだ男を思いきり殴りつけ、馬乗りになって何度もその顔を殴る。
「や……たす、け……許し……」
しかしジュエルスはその手を止めることなく。
「エル……お願い、やめて」
サフィリナが震える体でジュエルスの背中にしがみ付くまで男は殴られ、その顔はすでに原形をとどめていなかった。
「リナ……」
サフィリナに向きなおったジュエルスは男から離れ、血まみれになった手でサフィリナの頬に触れる。そして泣きそうな顔をしてサフィリナを抱きしめた。
「ごめん、遅くなった。……なにもされていない?」
「うん……私も思いきり殴ったわ」
「……そうか」
もう一人の男は腰を抜かして震えている。廊下にはジュエルスを追ってきたクローディアが立っていた。そして――。
「キ――」
「黙れ、クローディア!」
クローディアが悲鳴を上げるより先にジュエルスが鋭くそれを制した。そして、サフィリナから離れてクローディアを部屋に引きいれ、部屋のドアを閉めた。
「え……?」
驚くクローディア。しかし次の瞬間ジュエルスと目が合って、ビクッと肩が震える。
「騒ぎを起こそうとするな」
「――っ!」
ジュエルスの低く冷たい声が耳を刺し、クローディアは顔を真っ青にした。
「おい、お前」
腰を抜かしている男を睨みつけるジュエルス。
「誰の指示だ」
「え……」
「誰に頼まれた」
男はおどおどして、ジュエルスと目を合わせないようにしている。
「お前、こんなことをして無事でいられると思っているのか?」
男は真っ青な顔をして視線を泳がせた。
するとジュエルスと男のあいだにクローディアが立ちはだかる。
「エ、エル。今はそんなことより、サフィリナさんを帰してあげたほうがいいわ」
「邪魔だ、クローディア」
「でも! サフィリナさんの手、けがをしているわ」
「え?」
ジュエルスはようやくそれに気がついたのかサフィリナの手を見た。
靴についていた宝石の部分を握りしめていたせいで手の平に傷ができ、手首まで真っ赤に腫れあがっていて、力を入れることができないようだ。
「クソッ! すぐ、手当てを」
そう言ってサフィリナの背を押したが、サフィリナはその場を動こうとしない、
「私は、大丈夫よ」
「でも」
しかしサフィリナは首を横に振る。
「このまま終わらせるわけにはいかないわ」
「サフィリナさん! 今はそんなことを言っている場合じゃ――!」
「クローディアさま」
サフィリナは涙が溢れそうになるのをかろうじてこらえながら、静かに言葉を発した。
「そんなこととは? 私はこの男たちに乱暴を働かされそうになったのです。それも計画的に。時間をおいて有耶無耶にされるわけにはいきません」
「なっ! 人が心配をしているのに!」
顔を赤くしたクローディアがサフィリナを睨みつけた。
「おい」
ジュエルスが再び男に目を遣る。
「なにも言わなければお前とそいつの家に全責任をとらせるぞ」
「え?」
「お前、誰にこんなことをしたのかわかっていないのか? 彼女は俺の婚約者だ。次期ホルステイン侯爵夫人となる人だぞ」
「そ、そんな話、聞いてない。俺たちは、生意気な女がいるから身の程を教えてやってくれって」
「は? 身の程? 誰がそんなばかなことを言ったんだ」
「え? だから……」
男の視線がクローディアに向く。
「……は? あなた、なによ?」
クローディアがヒステリックに叫ぶ。
「あんたが言ったんだろ! 自分の言うとおりにしてくれたら、父親に口をきいてくれるって」
「は? はぁ? なにを言っているのよ、そんなことあるはずないでしょ」
「ふざけるな! 俺たちだけ悪者にする気か? あんたはっきり言っただろ! あの女をメチャクチャにしてくれって」
「い、言っていないわ。本当よ、私――!」
男の言葉を否定しようとしてジュエルスを見たクローディアは、自分を睨みつけるジュエルスの怒りに身を竦ませた。
「クローディア」
「ち、ちがうの。エル……本当に……」
すると突然ドアが開いた。
「おいおい、何事だ」
そう言って、部屋に入ってきたのはマックトン。
「人の寝室に勝手に入ってなにをしている」
「……ペスマンさま」
自分の名を呼ぶ令嬢が、サフィリナであることに気がついたマックトンが片眉を上げる。そして、部屋の様子を見て事情を察したようだ。
「ったく、ろくでもないやつがいたもんだ。ここにいなさい。人を呼んで来よう」
「……ありがとうございます」
ジュエルスが小さく頭を下げた。
マックトンが部屋を出ていってからしばらくすると、オラスト伯爵夫妻と数人の騎士がやってきた。そして部屋の中の様子を見て顔を真っ青にする。
「いったい……」
「説明はあとだ。まずサフィリナ嬢を別の部屋に。それからそこの男たちと、そこに立っているお嬢さんはなにか知っているみたいだな」
そう言ってクローディアをチラッと見たマックトン。
「……モーディアル伯爵令嬢……?」
うつむいて立っている令嬢がクローディアだと気がついて、ぎょっとするダグラス。
「おい、早くしたまえ」
マックトンの言葉で我に返ったダグラスが、慌てて騎士に指示を出した。
「サフィリナさまを隣の部屋へ。男たちを別室へ連れていけ。……モーディアル伯爵令嬢も、一緒に来てください」
そう言って差しだしたダグラスの手をクローディアが払う。
「い、いやよ! なんで私が!」
「お静かに。これ以上騒ぎを大きくすれば、どうなるか理解できていないのですか?」
「え……? どうなるか?」
(これから私はどうなるの……?)
突然襲う得体の知れない恐怖に体が震え、辺りを見まわし、ハッとして視線を止めた。
「エ、エル……!」
しかし、ジュエルスはサフィリナを抱きあげ、部屋を出ていこうとしている。
「エル……待って、お願い」
もはや、クローディアにジュエルスを立ちどまらせることはできない。ジュエルスはクローディアを一瞥することもなく部屋を出ていった。
「エル、お願い、許して!」
その場にくずれ落ち、泣きさけぶクローディアの声は、閉められたドアの向こうで嗚咽へと変わっていった。
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