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一人きり②

 ザンブルフ王国の南の端にあるチェスター領には、広大な綿花畑が広がっている。その綿花畑を所有しているのは、ネルソン男爵フルディム・ルシル・ラトビア。


 フルディムは領地こそ持っていないが、生業としている繊維事業で成功をし、豊かな財力を手に入れた事業家で、チェスター領の南に位置する彼の屋敷は、領内で一番大きな建物として有名だ。


 そのフルディムは、王都より東南に位置するポートニア領を治める、ポートニア伯爵ジョシュア・テスト・ラトビアの実弟。


 幼いころから兄弟仲がよくなかったフルディムとジョシュア。もともとは兄のジョシュアが一方的にフルディムを嫌っていたのだが、フルディムも徐々にジョシュアと距離をとるようになり、二人の関係は当然のように悪くなっていった。フルディムをあからさまに嫌悪していたジョシュアは、フルディムの顔を見れば舌打ちをし、突っかかり、生意気だと罵声を浴びせた。


 その関係がさらに悪くなったのは、ジョシュアが爵位を継ぎ、フルディムが独立をしたとき。


 当時のポートニア伯爵、つまり彼らの父親とフルディムのあいだで約束されていた領地の分領を、次期当主であるジョシュアが拒み、そのせいでフルディムは与えられるはずだった土地と、一緒に譲りうけるはずだった別荘さえも与えられなかったのだ。結局、フルディムが手にしたのは男爵位と金だけ。


 決して広い土地を望んだわけではなかったのに、それさえも認めない兄と、兄を最優先にする両親。フルディムが彼らと決別する理由としては十分だった。


 フルディムは、譲りうけた爵位と金、そして大きなカバンをふたつ持って家を飛びだした。二度とここには帰らないと誓って。


 家を飛びだしたフルディムは、一路チェスター領を目指した。チェスター領は王都から離れているため、言い方は悪いがとても田舎で、特産品があるわけでも、目新しいなにかがあるわけでもない。しかし、有り余るほどの土地がある。


 フルディムは、手持ちの金のほとんどを土地の購入に充て、型の古い紡績機と織機を安く譲ってもらい、何年も空き家になっていた建物を購入し、そこを自宅兼工場にして繊維事業を始めた。


 綿花を育て、収穫した綿花で糸を紡ぎ、紡いだ糸で布を織る。言葉にすれば簡単だが、農業なんて一度もしたことがないフルディムに簡単なことなどなにひとつなく、決して順風満帆ではなかった。が、実はそれほど悪かったわけでもない。


 なぜなら繊維事業は、ポートニア領の一部を分領してもらったら始めようと前々から計画していたもので、思いつきで始めたことではなかったから。少しずつ資金を貯め、あらゆる資料を読んで計画書を作り、いつでも始められるように準備をしていたのだ。


 しかもチェスター領は、もしものとき、つまりフルディムが屋敷を飛びだすようなことが起こったとき、自分が根を下ろす地にと決めていた場所で、勢いで決めたわけでもなかった。


 とはいえ、約束されたものを受けとれず、自身が家出をする未来まで想定するほど、フルディムが家族に恵まれなかったということに関しては、残念としか言いようがない。


 しかしその結果成功を収めたフルディムは、繊維業界でその名を知らない者はいない、と言われるほどの名声と富を手に入れたのだから、結果よければなんとやら、だ。


 フルディムが結婚をしたのは家を飛びだしてから五年後のこと。


 フルディムの妻ウテナは子爵令嬢で、もともとフルディムの婚約者だったが、フルディムが家を飛びだすとき、彼から別れを告げられた。


 美しく控えめで、深窓の令嬢と呼ばれたウテナを、苦労することしか想像できない未来に巻きこむことはできない、とフルディムは考えたのだ。ウテナは十七歳と若くとても美しい。自分と婚約を解消しても、すぐに新しい婚約者が決まるはず、と。


 しかしフルディムが家を飛びだしたとき、彼女自身も家を飛びだしフルディムを追いかけた。それに誰よりも驚いたのはフルディム。おとなしくおっとりとした性格だと思っていたのに、想像以上に行動力があるし、家事や事業の手伝いを楽しそうにこなす彼女の姿なんて、それまで想像したこともなかったからだ。


「あなたに好かれたくて、おとなしくしていたのよ」


 ウテナはいたずらっ子のような顔をしてクスクスと笑う。


 貴婦人はそうあるべきだ、という母親の教えと、まじめで優秀なフルディムに好かれたい、という一心で深窓の令嬢を装ってきたけど、本当はちょっとお転婆なの、と笑うウテナの笑顔が、ハートの矢となってフルディムの心にグサグサと刺さる。


「私も本当は、ちょっとお転婆な令嬢のほうが好きなんだ」


 そう言ってフルディムがウテナの手の甲にくちづけを落としたその日、二人は本当の夫婦になった。

 そのフルディムとウテナには二人の子どもがいる。娘のサフィリナと、息子のマリオンだ。


 サフィリナはひと言で形容するなら、かわいいという言葉がぴったりの女の子。すらりと伸びた手足と、痩せても太ってもいない健康的な体型。腰まで伸ばした母ウテナと同じ金色のクセのない艶やかな髪は、風が吹くとサラサラと揺れ、日の光を受けるとキラキラと輝いた。瞳は父フルディムより少し薄い翡翠色で、とても柔らかい印象を与える可憐な少女だ。


 しかし見た目のかわいらしさとは違い、性格は快活で、近くに住む平民の子どもと一緒になって走りまわり、木を振りまわして騎士ごっこをしたり、川遊びをしたり、木登りをしたり、乗馬を楽しんだり、とおおよそ貴族令嬢らしくない遊びばかりしていた。体に傷を作ったことも一度や二度の話ではない。


 それに、年頃の令嬢らしく美しいドレスを着て、ちょっと化粧をして、母親の香水をこっそりつけてドキドキすることもないし、早くデビュタントを迎えてパーティーに参加したい、なんて望むことも、素敵な男性と出あって、甘い恋を楽しんで幸せな結婚をしたい、なんて未来に憧れることもない。


 そんなサフィリナに、女の子らしくしなさい、と口を酸っぱくして言いきかせていたウテナも、最近ではすっかり諦めたのか、けがだけはしないでちょうだい、と言うにとどまっている。自身の少女時代を思いだせば、強く言うことはできないのだろうな、とフルディムは心の中でクスクスと笑う。


 そんなサフィリナだが、年齢を重ねいろいろなことを知るようになると、今度は勉強をしたいと言うようになった。勉強をして、将来は自分も父のように事業を興したいのだと。


 その言葉を聞いてフルディムは感激し、ウテナはがっくりと肩を落とした。娘を美しく着かざらせるのが母親の楽しみだというのに、どうしてこの子は逆のことばかり望むのか、と。


 サフィリナと歳の離れた弟マリオンは、おっとりとした穏やかな性格。フルディムと同じライトブラウンの髪はくせがあるためクルッとしていて、翡翠色の瞳はサフィリナより色が濃い。つたないながらも達者な口調で周囲の人たちの心をくすぐる、ネルソン男爵家のアイドルだ。


 二人は歳の離れた姉弟ということもあって仲が良く、サフィリナはマリオンの面倒をよく見ていた。本を読みきかせたり、一緒に歌を歌ったり。二人はとても仲のいい姉弟だった。


読んでくださりありがとうございます。

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