新しい生活⑥
うつむいて涙で頬を濡らすクローディアは、手をぎゅっと握り、肩を震わせている。
「なによ……全然意味がわかんない。どういうことなの? エルと結婚するのは私なのに……!」
「……っ」
クローディアにしたらありえない話だが、アレクサンドロやマシュートにとっても、ショックな話であることに違いはない。親友だと思っていたのに、なんの報告もなかったのだから。
ジュエルスとクローディア、そしてアレクサンドロと弟のマシュートの四人は幼なじみで、小さいころからよく一緒に遊んでいた。四人の中で唯一の女の子であるクローディアは、自分たちにとって特別で、年長者のアレクサンドロにとっては妹のような存在。
そんなクローディアは、成長するにしたがってジュエルスに恋愛感情を抱くようになった。それは、ずっとそばにいた自分たちだけでなく、友人たちも皆知っていることだ。ただ、ジュエルスがクローディアを友人としか思っていないことも、アレクサンドロは知っていた。
とはいえ、貴族の世界では恋愛感情よりも、家同士のつながりのほうが重要だし、ジュエルスがクローディアをどう思っていようと、相対的に考えれば二人が結婚する可能性は十分にあった。
それがほかの女性と婚約をして、その事実を親友の自分たちが知らなかったなんて。
正直、裏切られた気分だし、幼いころからジュエルスだけを思ってきたクローディアがかわいそうでならない。いったい、ジュエルスを射止めたのはどんな女性だ? 求婚を断ることができないほどの名家か? いや、侯爵家が断ることができないほどの高位貴族で、婚約者のいない年頃の令嬢なんてこの王国にはいないはず。もしかして、外国の貴人か?
それなら可能性は十分ある。ホルステイン侯爵家は名家。外国から高位貴族の令嬢を迎えいれるという選択も十分考えられることだ。が、一人で想像を膨らませても意味はないし、膨らませるにしても今ではない。
「とりあえず皆の所に戻ろう」
「……」
クローディアはいまだに泣きやまず、その痛々しい姿を見ていると怒りが湧いてくる。
(あのばかやろう、なんて薄情なやつだ……)
ジュエルスのせいで、楽しい気持ちもすっかり萎えてしまった。
果たして、本当にジュエルスは、自分たちに顔を見せに来るのだろうか? それより、ジュエルスが婚約をしたなんて知ったら、友人たちはどんな反応を示すだろうか?
それを考えてアレクサンドロは首を振る。残念ながら不穏なことしか想像できない。
特にクローディアの取り巻きのパーナとエリザベートは、真っ赤な顔をして憤慨するだろう。彼女たちは盲目的に、ジュエルスとクローディアの素敵な未来を信じているのだ。
(ジュエルスは、顔を見せずに帰ったほうがいいだろうな)
思わず大きな溜息が出てしまう。こんなことなら別室なんて用意せず、おとなしくしていればよかった。それにしてもやっぱりジュエルスは薄情だ。親友にこんな大切なことを、ひと言も報告してくれないなんて。
「ひどいわ……」
周囲の視線などまったく気にせず、涙を流しながら歩くクローディアを見れば、皆なにがあったのだと心配をする。そして涙ながらに、ジュエルスがほかの女性と婚約をしたと言えば、多くの人たちがジュエルスではなく、相手の女性を責めるだろう。
「クローディア。これはホルステイン侯爵家とジュエルス、そして相手の家の話だ。君がどれほどジュエルスを思っていても、どうすることもできない」
「そんなのおかしいわ。私はずっとエルと結婚するのだと思っていたのよ? お父さまだって、そう言っていたもの」
それを聞いて、ますます深い溜息をつくアレクサンドロ。
(決まってもいないのにそんなことを口にするなんて、迂闊にも程がある)
しかし、誰の目にもそう映っていたのだから仕方がないか。実際クローディアは婚約者候補に挙がっていると聞いたことがある。ホルステイン侯爵夫妻とも親しくしていたし。
「……絶対に許さないんだから……」
「……」
アレクサンドロは不穏な未来を思って溜息をついた。
サフィリナのもとに戻ってきたジュエルスは、サフィリナが三人の男性に囲まれていることに気がついて、歩く速度を速めた。
「サフィリナ」
男たちのあいだに割ってはいったジュエルスが、男たちを見まわす。
「俺の婚約者になにか?」
その声には多分に怒りが含まれている。
「ああ、ジュエルスさま。サフィリナ嬢がとてもお寂しそうにしていたので、我々が楽しませて差しあげていたんですよ」
少し下卑た笑みを浮かべる男は、パブリア伯爵家の四男トーマス。
彼はサフィリナを楽しませていたというが、サフィリナの張りつけた笑顔からは、明らかに迷惑していたことをうかがわせる。
実はデビュタントが参加するパーティーには、初めてのパーティーで緊張している令嬢に、親切な人を装って近づく、とんでもない輩が紛れこんでいたりするのだ。令嬢が一人きりになった瞬間を狙って近づき、優しくしてあげれば相手は気を許しやすくなる。自力で結婚相手を見つけなくてはならない子息にとって、デビュタントはいいカモというわけだ。
そうでなくてもサフィリナは美しく、ひときわ目立つ。ジュエルスという婚約者がいても、近づこうとする者がいるのは仕方のないことだ。が、非常に腹立たしい。
「お気遣いには感謝いたしますが、これ以上の親切は無用です」
そうはっきりと言葉にすると、男たちがあからさまに不機嫌な顔をした。
「ですが、彼女を一人にしてフラフラしているあなたが婚約者では、サフィリナ嬢も心細いのではないですか? 僕なら彼女を一人きりにして、不安にさせることなんてしませんがね」
(なんだ? このえらそうなことを言うにやけ顔の男は?)
ジュエルスは眉根を寄せ、いつまでもサフィリナの横に座って動かない、図々しい男を睨みつけた。
「サフィリナ、君は不安だった?」
するとサフィリナは、いいえ、と首を振る。
「だ、そうだ」
ジュエルスは得意そうな顔をして男たちを見まわし、サフィリナに手を差しだす。
「ちょっと二人で気分転換でもしにいかないか?」
すると、そうね、とサフィリナがその手をとって立ちあがった。
「え? 令嬢?」
「どこへ行くのですか?」
男たちは驚き、イスに座っていた男も立ちあがった。
「皆さん、私は令嬢ではなくネルソン男爵です。何度言ってもご理解いただけず残念ですわ。それでは、失礼させていただきますわね」
サフィリナは男たちにニコッと微笑むと、ジュエルスの腕に自分の手をかけ、ドリンクを受けとってその場をあとにした。
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