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新しい生活⑤

「どうしよう、どうしよう、どうしよう。絶対踏む、絶対踏んじゃうわ」


 心配そうに足を見ているサフィリナは、呪文のように同じ言葉をくり返している。


「リナ」


 サフィリナの腰に手を回したジュエルスが、耳もとでサフィリナを呼んだ。


「俺の顔を見て。大丈夫。今日は靴に鉄板を入れてきたから」


 そう言って、ジュエルスが得意げにサフィリナを見おろしている。


「え、鉄板……?」


 言葉の意味を考えていたサフィリナは、ジュエルスの靴の中に鉄板が入っていることを想像して、ぷっと吹きだした。それと同時に曲が始まり、腕に力を入れたジュエルスが一歩前に出るのと同時にサフィリナの足が一歩下がる。


 緊張のせいで引きつった笑顔を張りつけていたサフィリナは、ジュエルスの言葉で足を踏んでも大丈夫だと安心をしたのか、肩の力が抜け、笑顔を見せるようになった。


「なんだかいつもより踊れている気がするわ」

「それはよかった」


 まるで羽の生えた妖精のように軽やかに踊りながら、ときどき容赦なく足を踏んで「ごめんなさい」と笑うサフィリナの可愛らしいことといったら。


 ジュエルスは紳士らしく完璧な笑顔でサフィリナを見つめ、ときどき周囲に視線を遣る。


 自分たち以外に五組の男女が躍っているのに、ほとんどの人たちの視線はサフィリナとジュエルスに向いている。


(そりゃ、妖精が躍っていたら、誰だって目が離せなくなっちゃうよな)


 それほどサフィリナは美しくてかわいいのに、そのすべてはジュエルスだけのものなのだから、これほどの優越感はない。彼女は自分の婚約者で未来の妻。どんなにほかの男たちが熱い視線を送っても、ジュエルスががっちりとサフィリナを囲いこみ、わずかな隙も与える気はないのだ。


「なんだか楽しくなってきたわ」


 顔を上げたサフィリナがニコッと微笑む。


「不思議なくらい足が動くの!」


 あんなに苦手だったダンスを、もっと踊りたいと思う日が来るなんて、想像もしていなかった。


「それはよかった。でも、いくら楽しくても俺以外の男と踊っちゃいけないよ」

「フフフ、もちろんよ」


 サフィリナはジュエルスの耳元に顔を寄せた。


「エルの靴に鉄板が入っていなかったら、多分私は楽しく踊れなかったわ」


 その言葉を聞いてジュエルスがクスリと笑う。


「確かに、ほかの男の靴には鉄板は入っていないからな。踏んだりしたら大変だ」

「でしょ? だから、ほかの人とは踊らないわ」


 鉄板という言葉がサフィリナにはかなり効いたらしい。実際にはジュエルスの靴に鉄板など入っていないのだけど。


 曲が終わり、ほかの招待客も会場の中央に集まってくると、入れかわるように壁際に寄ったサフィリナとジュエルス。


「喉が渇いたわ」


 少し火照った自分の顔を手で仰ぎながら、サフィリナが辺りを見まわす。給仕係を探しているようだ。


「俺が飲み物をもらってくるから、イスに座って待っていて」


 そう言って、ジュエルスは壁際に並べられたイスのひとつを指さす。


「ありがとう。ここで待っているわ」


 サフィリナはジュエルスが指さしたイスに座り、それを確認したジュエルスは「すぐ戻るから、絶対にそこから動かないで」と念を押して、急ぎドリンクカウンターに向かった。


 サフィリナにほかの男が近づく前に戻らなくては。だから余計な時間をかけるわけにはいかないのに――。


「エル!」


 ジュエルスがドリンクカウンターにたどり着くより先に、高めのかわいらしい声に呼ばれ、面倒くさそうな顔をして足を止めた。声のするほうを見ると、ペリエティ公爵の長男アレクサンドロと次男のマシュート、そしてモーディアル伯爵家の長女クローディアが、ジュエルスに手を振りながら近づいてくる。


 ジュエルスは小さく舌打ちをした。急いでいるのに、と。


「もう、エルったらどこに行っていたのよ? 私たちあなたを捜していたのよ」

「俺はずっと会場にいたよ」

「本当?」


 クローディアはジュエルスの顔をのぞき込み、かわいらしく首を傾げた。


「ねぇ、アレクが部屋を用意してくれたから行きましょう? ロビンたちも来ているわよ」


 そう言って、ジュエルスの腕に自分の腕を絡めようとするクローディア。それをジュエルスはすっと躱して首を振る。


「今は無理。あとから行くよ」

「なに? なにかあるの?」

「飲み物が欲しいんだ」

「それなら部屋に用意してあるから、早く行きましょうよ!」


 クローディアがそう言ってジュエルスの手を握ろうとしたが、ジュエルスはそれもするりと躱す。


「エル?」

「だから、あとから行くって」


 そう言って面倒臭そうな顔をするジュエルスに、クローディアが少し頬を膨らませた。


「どうしてそんなことを言うのよ? 皆、あなたに会いたがっているのよ? ずいぶん長く会っていないでしょ? 話したいことだってたくさんあるのに」


 領地に帰ってしまったジュエルスとは、ここ二年のあいだに数えるほどしか会えていなかったし、ジュエルスも友人たちと会うことを楽しみにしているだろうと思っていたのに、ずいぶんつれない態度だ。


 それに、王都にも騎士学校があるにもかかわらず、領地にある学校を選んだことにいまだに不満を持っている友人もいる。クローディアは特にそれについて不満があり、顔を見れば王都の学校に行けばいいのにと文句を言う。そのたびにジュエルスは、騎士になることを快く思っていない母に心配をかけたくない、と説明をしているのだが、さすがにそれも面倒になってきた。


「連絡もまったくくれないし、私、本当に寂しかったんだから」


 クローディアはもう一度ジュエルスの腕に自分の腕を絡めようとしたが、今度ははっきりと拒絶された。


「クローディア。こういうのはやめてくれ」

「やだぁ、なにをいまさら言っているの。これまでこんなこと普通にしてきたじゃない。それに私たち、いずれは――」

「俺は婚約したんだ」

「……は?」


 ジュエルスの言葉にクローディアが顔をゆがめ、アレクサンドロとマシュートは驚いたように目を見はった。それから慌ててクローディアを見る。


「彼女を待たせているから、早く戻らないと」

「どういうことよ! なに、婚約って」


 クローディアは信じられるはずもない話に声を大きくした。


「聞いていないわよ、そんなこと」

「今言っただろ」


 ジュエルスは小さく溜息をつく。


「は、はぁ? うそでしょ? 私がいるのに? 私がエルの――」

「クローディア、こんな所でやめてくれ」


 そう言ってジュエルスはうんざりしたような視線をクローディアに向ける。


「エ、エル? ……どうして?」


 これまでも面倒くさそうに、クローディアを拒絶するような態度をとることはあったが、それでも最終的には言うことを聞いてくれていたし、味方をしてくれていた。でも、今向けられているものはこれまでとは違う。本気でクローディアをいやがっている、とはっきりわかる冷めた目だ。


「クローディアは俺にとって大切な友人だが、それだけだ。君と結婚するつもりもないし、そんなことを匂わせたこともないはずだ」

「で、でも……」


 顔を真っ赤にしたクローディアの瞳に涙が浮かぶ。


「ま、まぁ、こんな所でする話じゃないな」


 様子を見ていたアレクサンドロが、その場を収めようと二人のあいだに割ってはいった。そしてジュエルスの耳元に顔を寄せる。


「エルも、そんな言い方をする必要はないんじゃないか? クローディアの気持ちを知らないわけじゃないだろ?」


 声を落として口にした言葉は非難めいていて、妹同然のクローディアを庇おうとしていることがわかる。


「……確かに、そうだな。すまない」


 そう言ってジュエルスがクローディアを見る。


「クローディア、悪かった」


 しかし、瞳に涙を浮かべたクローディアがそれに応えることはない。


「誰なの?」

「え?」

「その婚約者! 誰なのよ!」


 人の未来の夫をかすめ取った憎い女は。


「……いずれ紹介するよ」

「今よ!」


 しかし声を荒らげるクローディアは大粒の涙を流し、とてもサフィリナを紹介できる状態ではない。


「今度、ちゃんと紹介するから」


 そう言ってジュエルスはアレクサンドロを見た。


「クローディアを皆の所に連れていってやってくれるか?」

「ああ。……足止めして悪かったな」

「いや、こっちこそすまない」


 ジュエルスを見て小さく息を吐いたアレクサンドロが、クローディアの背に手を添え、振りかえって再びジュエルスを見た。


「……ちゃんと説明をしてもらうぞ」

「わかった」


 アレクサンドロはクローディアの背中を押し、三人がジュエルスから離れていく。それを確認して、ジュエルスは再びドリンクカウンターへと歩きだした。


読んでくださりありがとうございます。

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