あとから…
驚きで声がでないというのを彼女が経験したのはこれで二度目だった。一度目は知らず知らずの内にビースト・フォームになり意識が戻った時に見た最悪の光景の時、そして、これが二度目だった。希は顔が緩むのを感じた。同時に視界がぼやけて頬を生温かい液体が一筋流れた。
「おいおい…泣きながら笑うなんて器用なやつだな。いや、笑いながら泣いてるのか?」
男はあきれた口調で言う。
希は涙を拭おうともせず反論する。
「ん、どっちだっで…同じだよぉ」
先ほどの涙を皮切りに次々と涙が流れてきたが、希にはそれを止めることはできなかったしまた止める気もなかった。嬉しい時にも涙が出るということを希はこの時初めて知った。泣いて笑って同時に二つの感情を出せることを。あの時以来、泣いたり笑ったり怒ったりとそういう感情を一切出してこなかった反動なのかもしれなかった。
珍しそうに希の顔を見ていた男は薄笑いを浮かべて視線をチラと右に移した。視線の先にはおにぎりや弁当がたくさん並べられている棚があり男は‘ほう’と感嘆の声をもらしておにぎりを一つ手にとった。
バリバリと無造作にやぶる音に希が気づいた時、男は海苔をうまくつけることができなかったのかおにぎりを手づかみでそのまま食べていた。希の顔が一気に驚きに変わる。
「んー。まぁ悪くないなぁ。てか、べたべたすんな!」
とおにぎりを掴んでいた掌を希にみせた。
「ちょっ、ちょっと何してるの」
希は焦っておろおろとしてしまう。と、カウンター越しに若い男性店員が異変を感じとったのかこちらに来るのが目に入った。そんな希の焦りを微塵も感じないのか男はなおもマイペースで手をおにぎりの棚に伸ばしていた。
「ちょっと、お客さん!」
若い男性店員がおにぎりを掴もうとする男の手を掴みあげる。床に落ちているおにぎりを包んでいた包装を目にした店員は目を鋭くし怒鳴り声を上げようと大きく口を開けたのだが…グシャと嫌な音が響く。店員の顔は背中からはえた黒く大きな手によって潰されていた。血がおにぎりの包装紙、床、壁、カウンターに飛び散る。
「え?」
自然に驚きの声がもれる。
男は何も気にせず血が飛び散っている包装紙につつまれたおにぎりを再び無造作に破り口にいれる。と、希の背後の扉から二―人の男性店員が飛び出してきた。防犯カメラで一連の様子をみていたのだろう。一人の初老の男性店員が希に向かって、
「おい。こっちに来い!そいつから離れろ!」
と大声を上げる。
希はなおもおにぎりを食べ続ける男を見つめたま微動だにしない。彼女の中でまだ何も整理できていないのだろう。
「おい。お前、何してる!警察を」
男はおにぎりを食べる手を止めることなくまた視線もおにぎりや弁当がおいてある棚から左側のパンが陳列されている棚に移しただけでいっさい二人の店員を見ることなく背中からはえていた黒く大きな手を二つに分け二人の店員の顔を潰した。悲鳴も確かな恐怖も感じさせることなく。
希の耳にまた嫌な音が聞こえる。何度も聞いた音だった。だが、今までとはあきらかに音が違うと希は思った。それは彼女がそうやっていた時と音はほとんど同じなのだが、なにか感じ方のようなものが違うということだった。
服越しに背中に生温かいものを彼女は感じた。床に血が広がり、彼女の足元はすぐに血で満たされた。男の足元を見ると彼の足は裸足でその足はすでに血だまりの中にあった。男は何も気にすることなく、パンを食べていた。
「あ、どして?こんなこと」
声をだすことができたがその声は彼女が予想していたよりもずいぶんと小さいもので、男は気づかなかった。
「どうして、こんなこと」
「んん?」
男はもぐもぐと口を動かしたまま希の方に視線を固定する。どうやら、まだ声が小さいようだった。
「どうして、こんなことするの?」
「ん?こんなことって?なんのこと?」
男はなおもパンを食べながら希の意図を掴みかねるのか聞き返す。希はもう一度くりかえした。
「どうしてこんなことしたの?」
男は彼をまっすぐ見つめる希の瞳と声に何かを感じたのかパンを棚に戻して、
「こんなことって、こいつら殺したことか?」
と聞き返す。
希は無言で男の目を見つめたまま小さく首を縦にふる。
「何でって、人間だから」
悪びれた様子もなく男は一言そう言った。
間を開けず男は続ける。
「それにお前だってさんざんやってたじゃん、人間なのに」
「わたしは、だって、ゲームで…みんなを幸せにしたくて…。あ、そういえば、みんなは!」
希の顔色が一気に明るくなる。
「ああ…みんなは復活してないよ。お前の希は届けられてない。だって、願いは一つしか叶わないから。俺が俺の望みを叶えたんだよ。俺の復活ってな」
今度は奇妙なうすら笑いを希に向ける。
「え?だって、私勝って…」
再び希の声が小さくなっていく。それに伴って顔色も沈んでいく。
「だから、俺が復活したのでお・わ・り。まぁ、礼は言っておくよ」
二人の間に沈黙が訪れる。希は男を見つめたまま、男は希を見つめたまま。
希は必死に男が言ったこと今この場で起きたことを自分なりに理解しようとするのだが、 二つのことをいっぺんに考えているのが悪いのかまったく理解できなかった。いや、すでに理解しているがそれを認めたくがないために理解できていないふりをしているだけなのかもしれなかった。
短い音楽が鳴る。そして女性の悲鳴。だが、その悲鳴もすぐに途絶えた。
希が入り口に目をやると先ほど入ってきた女性の頭はすでに潰されていた。違和感が彼女の中に生まれた。
「どうして、殺したのよ?」
震える声で男に聞く。
「さっき答えたろ?人間だからだよ。それにお前だってやってたろ」
希は両手の拳を握り締める。双方の血だまりはすでに繋がってより大きな血だまりになっていた。
「私はゲームで、みんなを幸せにしたかったから」
力ない声で反論する。
「ゲームってさ、そんなことで正当化できると思ってるの?みんなを幸せにするためなら殺していいのか?まぁ、そんな考えもあるさ。でもな、お前がやった事実は消えない。お前だって能力者以外のやつを殺したろ…考えが違っても、過程が違っても、行為者が違っても、理由が違っても結果は同じ。俺とお前は同じだよ」
「ち、違う」
希は呟く。その声はとても小さくて男までは届かなかった。もう一度、声に力をこめる。
「だって、あなたは楽しんでるもの」
その言葉はつい口からでたものでまったく考えなしのものだったが希はその言葉で理解した。ずっと感じていた違うもの。感じていた違和感を。感じていた違和感を希はやっと言葉にできたのだ。そして、言葉にできたことで理解できた。この男が人が人を殺す時に感じるのは楽しさ、嬉しさ、憎悪。そんなものを積極的に感じ取れた。そこで自分と区別をつけた。自分はみんなを幸せにするため、自分のためではないと。だが、同時に何か懐かしいような、共通点のようなものも感じたが、そんなことはないと希は打ち消した。
「だから、言ったろ考えが違おうが俺とお前がやってきたことは同じだって。でもまあ、楽しんでることは確かだよ。やっと人間を殺せるんだ。恨みを晴らせるんだからな」
「恨み?」
「そう。俺はな…人間じゃないんだよ。人間みたいな身体してるけど、お前たちとは全然違う生き物で…もとはそうだな木とか水とかの妖精とかみたいな存在で1000年以上前にお前たち人間の先祖に滅ぼされたんだよ。といっても完全に滅ぼされたわけじゃなく、俺たちの種族の一番偉いやつが生き残っていた俺たちやすでに殺された奴も含めていろんなとこに封印したんだよ。人間と呼応するようにしてな。この力を手に入れた人間たちは必ず殺しあうだろうからな。そして案の定、そうなった。残ったやつが望みをかなえられるようにしたのも、俺たちがいつか復活できるようにするためさ。といっても眠ってるやつが多いみたいだがな。俺もここまで来るのに何百年かかったか。どのくらいの人間をそそのかして…ああ、最初はコミュニケーションに苦労したなー、日本語だっけ?これも覚えたし。あ、今の解釈はおれなりの解釈な。いづれにしろ、俺たちは人間を滅ぼしたいわけよ」
驚きの表情をしたまま希は問いかける。
「人間じゃないって…ほんとに?」
「ああ。そうだよ。それにしても人間ってのは愚かだねえ。俺たちの能力なんかなくても日々殺し合い、戦争したりさ。人間じゃない俺から言わせてもらうとさ、人間はもっと独立して生きるべきだよ。他人を必要とせず、社会を必要とせず、ルールを必要とせず自分を独立した存在とみなすんだ。まぁ、そんなことできないがね。まず、数が多い。それに自分を独立した存在ではなく、集団の…広くいえば人類の、せばめれば社会の、自分が何かに属していると考える時点でその何かを自分の一部と考えその何かと情報も感情も共有してでもある時いきなり自分は独立した存在とみなし社会なんか気にせず自らの行動したいように行動して、もう一度最初からやりなおさない限りどうしようもないだろうな」
と呆れた口調で言い終える。
「みんなを殺すの?」
先ほどの男が言った言葉などどうでもいい。人間だろうが、なかろうがどうでもいい。希にとって重要なのはそこだった。
「もちろん」
男は迷わず言いきる。希はその瞬間、右手を前に出し、黒く巨大化…させようとするのだができない。
「な、何で?」
思わず驚きの声が漏れる。男にはその動作が滑稽にうつったのか、笑いながら希に言い諭す。
「はは。おいおい。怪のもともとの能力者、つまり本質は俺だぜ?俺がここにいる以上、怪の能力は二つもないんだから、お前が使えるわけないだろうよ」
希は何も言わず、諦めの表情を顔に浮かべたまま目の前の男は見る。その表情から何を感じ取ったのか男は、
「安心しろよ。お前は特別だよ。人間は憎いが、お前は俺を復活させてくれたんだ!お前は絶対に殺さないから安心しろ。お前だけは絶対に殺さない。な?約束するよ」
と優しい口調で言う。
だが、その口調は希には恐怖しか与えなかった。人間を見下している。その印象を受ける。
希は右手を力なく下ろした。
すでに希には抗う気力は残っていない。彼女がこれから取る行動はただ一つ。
懇願。
「ねぇ、私をここで殺してよ」
力ない声で最後の願いをする。それだけが唯一できる行動であると希は考えたのだ。
「ダメだね。お前は恩人なんだ。俺には恩人を手にかけることはできないよ…。さて、じゃあ、俺は行こうかな、人間を殺しに」
次の瞬間、何かが爆発したような音がした。希は反射的に目を閉じて、しゃがむ。何かが彼女のすぐ傍に落ちてきた。‘あっ’と男の存在を再び思いだし探すが、男の姿はそこにはなかった。上を見上げると天井には大きな穴が開いていた。
茫然と希は立ちつくす。しばらくぽっかりと空いた穴を見ていた彼女は不意に何かを感じた。それはずっとずっと彼女が内に秘めていたこと。認めたくないことだった。
「ああ、私、楽しんでたんだ…」
そう言って彼女は微笑んだ。それは自虐的な笑みだった。