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03.糹丩(ほつれ)-悪いことは連鎖する-

01.体調の悪い日-兄妹-

うるは熱を出して学校を休んでいた。

妹のみるもまた休み、看病している。

事故による損傷は残らなかったが、うるは週に一回ほどは体調を崩してしまう。

みるは逆に力を増し続けているように思う。


みるはこういう日はいつも、衝動が収まらなくなる。

胸と下腹部に熱を持ち、自室で処理をする。

兄の部屋と自室の往復。不謹慎のように思うけれど、止めることができない。

兄の体調が落ち着くほどに、衝動も落ち着いてくる。


お昼ごはんを食べさせて、一段落。

昼過ぎ、学校をサボったテイマが差し入れを持って見舞いに来る。

彼は差し入れを置くと、一声だけかけてすぐ帰る。

そっとしておきたいし、あまり気を遣わせたくないのだ。


ただでさえ人間関係において…うるは疲れやすい。

相手の感情を理解できない。

知識を持って慮ることしかできない。

空気が読めない。その言葉の意味すらわからない。

幸いなことに、それが原因でいじめに遭うことはない。

友だちは少ないが、いる。

最愛の妹もいる。

それだけで幸せだった。


いかんともしがたい熱に浮かされて、名状しがたいもやりとした悪夢を見る。

事故のこと。

両親のこと。

両親についてはあまり思い出すことができない。

それならそれで幸せなのかもしれない。

ねこのこと…


むかしぼくらはねこをかっていた。

くるしそうで、ぴくぴくしている。

みるはすごくないていた。ていまも。

ぼくは…はやくあそびにいきたいなぁとぼーっとしてた。


「おまえにはこころがねぇのか!」

テイマがおこってふくをつかむ。

「ご…ごめん」


なんとなく、あやまった。

ぼくはぶたれた。

僕が心にもないことを言ったから、彼は怒ったのだ。

以来、僕は嘘をつかなくなった……


目が醒める。

体調は悪くとも食欲はある。むしろ強く高まる。

朝と昼はみるに食べさせてもらったように思う。

みるは何をしているのだろうか?

近くにいないと心細さを感じる。


もう……学校では六限の授業が終わりにさしかかる時間だろうか。

ベッドサイドには食料の差し入れが置いてあった。テイマからのものだろう。

ポテチ、チョコスナック、ジュース、カップ焼きそば、バナナ、栄養補助食品。

およそ病人が摂る食事ではないものが多いが、全て食べた。

みるや管理人さんに怒られることもあったが、どうしようもなく食べたいのだ。


食べれば、また眠くなる。

違う欲から下腹が熱くなるが、どうしようもなくだるいので、横になる。

寝ていれば自然に収まる……


変わって、妹は収まらない欲をひとりで発散することができるのか……できなかった。

暴食している兄を咎めることなく、こっそり見て指をあてがっていた。

もう少しで繋がれるから。


案の定、いつもどおり兄は眠りについた。

一応、こっそりと近づいて確認する。

兄の方も実は収まらないのだと知っている。

悪夢にうなされているとき以外は、兄のそれ自身が物語っていたから。

だから看病にかこつけて、何度も使わせてもらっている。


上に乗るのは身体に負担がかかるかもしれないと気を遣い、手や口を使って、自らも弄って、でも結局は毎回、昼過ぎには我慢できなくなる。

できるだけ揺さぶらないよう、浅めにゆっくり行う。

気持ち良すぎて止まらなくなるが、兄の息づかいが荒い。苦しいのかもしれない。


体重をかけないように寄りかかって、額同士を当てて窺う。

次に頬を当て、唇を当てるともう止められない。

お兄ちゃん、ごめん…と思いながら滑らかにスライドする。

なるべく負担をかけないように。


続けていれば、お兄ちゃんの耳元に、自然と私の顔が近づく。

私の息づかいが、溢れてしまう嬌声が目を覚まさせないように祈る。

許してくれるとは思う。でもやっぱりモラルとしていけないことだと思う。


お兄ちゃんの規則ではどうだろうか?否定されてしまうのは怖い。

でも考えれば考えるほど止まらなくなって、兄を溢れるもので汚している。

最後は唇を当て続ける。

お兄ちゃんは少し苦しそうだけど、もうすぐ終わりだから。

そして私は果てて、兄の体を拭いてる間に後悔して、でも抑えられなくてまた繰り返す。

そういう一日が今までに何度あっただろう?


02.体調の悪い日-メンテナンス-

さて、観測者視点から補足してみることにする。

この兄妹は間違えているのだろうか。

倫理をなしにすれば、正しい行為であった。


事故によって、兄の魔力を蓄積する機能及び魔力を自身の生存に利用する機能には障害がもたらされた。

その機能不全による魔力不足は体調不良を引き起こし、補うためのエネルギーを欲する。それは食欲の増加に繋がる。


また、彼は【門】としての人類全体に魔力を等分に流す機能を一部欠損した。

事故において鉄杭に貫かれたふたりだが、その時に互いの心臓が接続されたことによって、【門】の機能の一部を失い、それは妹に受け渡された……

そして門の機能は「妹を守るため」という一心によって歪に変質することとなる。

人類全体から一時的に集積する魔力。それが再び流れる先は大きく偏り、華奢な少女である妹に多く注がれるようになった。


それら機能の障害が重なることによって、妹へ流れる魔力の偏りが酷くなる日。

妹は力をもてあまし、性欲の増加が顕れる。

兄は自身に留めておくべき魔力すら妹に流してしまうことで欠乏し、摂取を求める。

兄妹で繋がり合うことについて倫理を抜きに語るとするならば。

妹の行為は正しい。


まず、妹は自分で慰めて発散することにより、流れ込む魔力を昇華している。

それだけでも、都度兄に流れ込み収束する魔力量を減らしており、負荷を軽減する。

接触についてはどうか。

一方で妹に流れ、持つことになった機能もまた、兄に対してだけ自身の魔力を流し込むというものに形を変えた。近くにいるだけで、その力は発揮される。

物理、精神の両面において近ければ近いほど、相互に還元される魔力量は多くなり、兄の欠損した機能を補完する。

妹はそれを感覚で理解している。

機能障害の日に、互いを求め合うのは自然なことであった。


03.体調の悪い日-遠野令-

令はひとりで登校していた。休むという連絡を貰っていたから。

知り合う前は悪友とサボって遊んでいるのだと思っていた。

そういう日もあるらしいが、今ではもう日常の一部だ。

学校ですら、特例として認めている。彼の勤勉さがあってのことだが……


しかし、令もまた兄妹と異なった感覚を覚える。

兄が休みの日は若干、能力行使に関して調子の悪さがある。遅延があるというか……

偶然と思っていたが、こう毎回だと、やはり考えは的中しているだろう。

うる君が、【門】の所有者。彼の調子が悪ければ、行使者の調子も悪くなる。

それを「正す」……

どうすればいいのかは答えが出ない。


そわそわしながら、放課後になる。あることを思いついて、実行したくなっていた。

お見舞いに行ってみようかな。そう決めると、なんとなく気分が高まる。

行ったことはないが、おうちの場所は聞いている。聞くまでもなく知っていたが。

兄妹の住むマンションについて調べたことがある。

単純に、両親不在のなかでどう生活しているのかが気になったから。


そこのファミリータイプの一室は、兄の妊娠時期に購入されていた。

彼らの両親は外資系の大手コンサルティング会社に勤務しており、貯蓄と投資で積み上げていた資産。相続したものだけで、そこそこに上等な暮らしができそうではあった。

それに加えて車両保険、生命保険。遺族年金……そして事故の加害者からの賠償金。


もっとも彼らがなにかしらの贅沢をしたという話を聞いたことはない。

マンションの管理人のつくる家庭料理が美味しいとか、自分たちで作ってみようとして失敗したとか。

みるちゃんのお弁当はとても可愛らしいもので、愛情が込められているように思う。


必要な栄養素の摂取。そして食べたいものを食べたいだけ……そんないつしか堕落してしまっていた自分とは程遠い。

その不摂生がたたり、贅を尽くした肉と体重をちょっと気にする女子になってしまった。

人とふれあう前はそんなことは気にはならなかったと思う。


雑多な思考を張り巡らせているうちに、マンションに着く。

管理人と思われる人。気づくと、あちらも気づく。遭遇。

本当にお掃除をしている。今どき箒とちりとりで……

優しそうな人だが少し不思議な感覚を受ける。

組織の一員に対して抱くような……超越的な部分。

穏やかさ。


そういえば、この土地について調べたとき、変な噂があった。

ずっと昔から○○荘やxxアパートと名を変え、集合住宅として部屋を貸しているらしい。

今では立派なコンドミニアムといった風情だが、建て替えの期間がどれほど有ったかどうかまではわからない。

兄妹の一室は分譲であるが、単身者向けの賃貸もあった。

代々の地主なのか、メガネをかけたおせっかいな大家さんが、行く宛のない人たちの拠り所として住居を安価で提供してくれるのだとか。

深夜に飛来する人影を見た。だとか。

そういう噂だった。


挨拶をする。

彼女は自然に見せようと、そう努めているように……私にはそう見えた。

振り向くと。

「こんにちは……?もう、こんばんは。かな?うる君のお見舞い?」

優しい笑顔を見せた。


首肯して応じる。案内ついでに、彼女も一緒に行くことになった。

私のことも兄妹から聞いているらしく、照れてしまう。

優等生、メガネ、規則に厳しく皆の規範となる存在。

「規範」か……あれらのことを思い浮かべて嫌にならないでもないが。

気恥ずかしい。

そもそも他人と接するのが珍しい私だ。

管理人さんに飲まれてしまっている。


「管理人さんは、うる君のことが好きなんですか?」

緊張から、なんだかよくわからない言葉を発してしまう。

「好きよ。子どもがいたらこんな感じかなって」

管理人さんはこともなげにそう答える。

まだ二十代前半にしか見えないのに……彼女は満面に笑っていた。


はは……愛想笑いによって、なんとか。短くも長く感じる時間をかわした。

ぴんぽん、インターフォンによって、訪問を知らせる。

慌てた様子で妹のみるちゃんが応答し、入る。

学生ふたり暮らし。それなのに、綺麗に掃除されている……

気になる程度に汚れれば、掃除する。そんなおざなりな生活なので、感心するのだが。

「角に埃がたまっているわね」

管理人さんのチェックは厳しい。

いつかドラマで観たような、古典的な嫁姑関係のようで吹き出す。

幸い、気づかれなかった。


一通り、そんな既視感のあるやり取りを観て、ようやくうる君の部屋に入る。

コンビニの特大のレジ袋に、暴食の跡を見て、目を見開く。

どうしても食べたかったのだと彼は釈明していたが、自己を省みれば、何も言えない。

というか、差し入れという概念がなかったので、ただ恥じ入った。

テイマよりも人間力は下なのかもしれない……


「男の子の部屋ってこんなにおいがするのね…」

食事と……みるちゃんとの残り香を除けば、思っていたよりずっと爽やかな香りがした。

「毎日掃除させられているからね」

どちらにだろう。自分は思っていたよりもだらしない人間なのかな。

掃除はみるちゃんよりもうる君のほうが几帳面で完璧であると管理人さんはいう。

主婦は無理かも……私が働いて、うる君が主夫……そんな道もあるかな。

どうしてそんなことを思ったのかを省みることもなく。


管理人さんが去り、結局の話題は、授業の進捗になる。退屈な人間なのかもしれない……

「ありがとう、助かる」

「令の教え方はわかりやすいな」

「そうかな……」

照れる。


「ものを教える職業に就いたらいいんじゃないか?」

なぜそんな提案に至ったのか、繋がりを探してみる。

そういえば、以前、進路が決まらないという話をしたことがあった。進路相談の提出用紙になんと書けばいいのかわからない。というのが実際のところだったのだけれど。


「令さんが私をみてくれたら、同じ学校に通えるかなぁ?」

「いいわよ。厳しくいくわね」

その本気さを表すように、眼鏡がきらりと光った。


談笑をしていると、夕食どき。おなかが鳴ってしまう……しまった。

遠慮したものの、三人から球技のボールのごとく代わる代わる促されて、流されるままに……晩ごはんをご馳走になってから帰ることになった。

皆で囲む食卓は。いつ以来だろう。


両親は、特に父は事業で忙しく、家庭を顧みない人たちだった。

私は物心つく頃には一日中勉強をさせられており、結果が出ればより上を目指すことを求められる。期待に応えること。それは嬉しかった。

でも私を褒める父は、気づけばふと空を睨むように、遠く向こう側を見ており、恐ろしさを覚えさせた。

今思えば、それには大きすぎる理由があったのだけれど。

そんな両親でも、夕食だけは一緒だった。

父が亡くなってからだ。団らんがなくなったのも。

母はそれ以降少しおかしくなって、実家に篭もってしまうことになる……


……私が会社を継いでからは。

一流と呼ばれる取引先の人たちと一流と呼ばれる高級店。

そこでは自分を大きく見せるための仕事の話。それに忙しなく、味わうことができない。

せっかくのご馳走を台無しにすることすらわからないのかと、内心では気分が悪かった。


家族間には、食事中はTVやスマホを見ない。話をしない。という規則があった。

両親と居られる機会が少なかったので、お話がしたくてしょうがなかった。

それを窘められることすら嬉しかったように思う。

母の料理を父は好きだったんだなと思えば。

誰にも讃えられないけれども、偉大な仕事をこなした父を思えば。

最愛の人を失くした母の心の喪失を思えば。

その慣習のおかげで友だちができたと思えば。

両親を誇らしく思う。


涙が滲む。

食事中なのに。

鉄壁の理性でもって止めようとしたけれど。

溢れてしまう。

メガネが曇って、大粒の水魂。

心配の言葉をかけてくれる三人が優しすぎて。

逆に止まらない。止めようと思っても、泣きたくなることを次々と思い出してしまう。

あの日、絶対に忘れないと誓った夕暮れのことを思い返せば、嗚咽がでた。


食事を中断して、管理人さんと二人で別室に。

言葉なく抱きとめる管理人さんの胸でひとしきり泣いた。

管理人さんは何も聞くことなく、ただ一緒にいて胸を貸してくれた。

少し楽になった気がする。


仕切り直し。

兄妹は何も言わず笑って迎えてくれた。

うる君のほうは何か聞きたそうにはしていたが、我慢してくれたのだろう。

管理人さんの料理は、かつてあった食卓の次に美味しいと感じた。

食事に対して本気で向き合えば、無口になる。

滋味のある味付け、彩り、栄養バランス、好き嫌いを赦さないほどの徹底した技術。

心のなかでは驚きながら黙々、もぐもぐ、淡々と食べていた。


もう腹八分目くらいかな。そう夢中になっていた自分に気づく。

ちらとうる君のほうを見ると、私に出されたものと比べて三倍以上の量がまだある。

そして私が食べ終わったとき、うる君もまたそれを表す挨拶をする。

愕然として、尋ねる。

「学校ではそんなに食べないよね?」

「管理人さんは僕のことを大食漢だと思っているんだよ」

皿が空いたら足されるわんこそば式だとうる君は笑って答えた。

それでも食べてしまえるのなら十分大食漢だと思う。

こういう豪胆な一面がテイマとつるむことができる理由なのかもしれない……


食後にお茶をいただいて、帰途につく。

完全に日は落ちている。

迎えの車は呼ばず、腹ごなしに大通りまでは歩くことに。

その道中、今日あったことについて感じ入る間もないまま……異臭を感じ取る。


ほんの微かなもの。

令は、行使者は五感に優れる。そしてそれは見逃してはならないものだから。

そこに近づくほどに悪臭は増す。路地裏には。

人間だったもの。今では削られて開かれた肉と骨の塊。

それは血抜きされた動物のように割かれて。必要なのだろう箇所だけ削られていた。

せっかくのご馳走を台無しにしてしまう。

そういうところが嫌なのだ。


遺体の検分と処理に人をよこしてもらう。

その痕跡……臭いを追うべきかどうか。普段の令であれば、冷静に人員を待っただろう。

兄妹といる時には感じていなかった不調に気がついていたかもしれない。

皆といた心地よいひととき。それが害された。

今日かいた恥。律することのできなかった自分。

それらの憂さ晴らしをするため、駆ける。


悪臭はわざと苛立たせるように残される。道を必要以上に変え、ときに同じ経路をたどらせ、押し付けるよう誇示してくる。

使命感だけではない殺意を覚えた。冷静ではなかった。

自身の希薄化が上手くできていないことにも気づかず。

臭いと方向の感覚を押し付けられたことにも気づかず。


たどり着いたのは廃ビルの一室である。場所はもうわからない。

充満する臭いはここでの出来事を追体験させる……ご馳走だったものを戻す。

これがやつらにとっての食卓なのか。

通常の電波、衛星通信。ともに繋がらない。


それらはふたついた。

乱暴な闖入者を気にせず食事するやつ。

食べ物はまともじゃないくせに、テーブルマナーだけはしっかりしている。

そして……間抜けな客を招いたと勘違いしているもうひとつは、哄笑する。


ブチ殺す……

天を衝くように髪が跳ね、ポンパドールにまとめていたワイヤーコームが弾ける。

それを前にすると切り替わる。

殺さなければならない。たとえ肉親であろうが。

心のタガが外れたものには、敵が素手であっても油断してはならない。

手についているその色は先程の死体をバラしたことによるものだろう。


それは技術なしにただ手を振り回してくる。

しかし、結局のところは、それが一番怖いんだよな……冷静に思う。

見切り、寸前で回避する。

ぎりぎりまで引きつける。余裕によるものだけではなく、慣らし運転だ。

一撃目さえ凌げば、相手は鈍い。


フットワークを刻む。足運びは、現代的なものと古武術に見られるもののハイブリッド。

1.悟られることのない不規則なステップから

2.潜り込むように肝臓に拳を打ち込み

3.引いて全身を相手から退ける。ひたすらにそれを繰り返す。

肋骨が折れるまで。折れてもなお。折れた骨が相手の肝臓に突き刺さってもまだ。

打ち込み続ける。

それはなぜ自分が認識されているのか、攻撃されているのか、自らの攻撃は避けられているのか……不思議な様子を見せる。

苦むように顔が歪む。青白い顔は更に屍に近くなる。でもこれらに痛覚があるとは限らない。在りし頃の【習慣】の可能性がある。残っていたとしても、効果的とは限らない。

破壊する。動けなくなるまで……


上半身が鈍れば、下半身にとりかかる。

破壊した肝臓と逆側、左の膝頭に足を置いて、体重を乗せる。

ぱきぃ……ぶちぶち……ぎちぃっ、皿が割れ、筋・腱・靭帯が千切れていくのを感じる。

左足が完全に持ち上がらなくなるまで、逆を向いてぶらんと垂れるまで……大腿骨と脛骨の境目を破壊し続ける。

そうして物理的に立ち上がれなくなった……これは放置する。

今は命を絶つための武器を持っていないし、ここの調理場にある得物など使いたくない。


「……調理場……」

そう反芻して、気がついたときには遅かった。

食事をするあれ、食材を運ぶのはこれ。

じゃあ調理をするそれは……

背後の扉に、重い圧力。

ちょうどそのとき。食事をしていたものが、食卓を離れた。

挟まれてしまった……


蛇を前にした蛙。身じろぎできない。あれは蛙が怯えているわけではないという……そんな今することではない、考え。

でも、その動向を眺めることしかできない。それは洗い場に皿を置き、水に浸ける。

そして、あっけなく。令を気にすることなく、横を通り部屋を出ていく……

【規則】か……

少し間抜けに口を開けたまま、少しほっとする。


まずは離れよう。背後にいるものと対峙するために。

前方に向かって、身体向上能力を駆使して駆ける。

時が止まったような、違和感。離れた踵の勢いは、想像通り。

膝から上が、追いつかない……行使能力に遅延……


令は無様に転んだ。人生で初めての経験だ。

勢いがついた分だけ、派手に転がる。

ところどころにある血溜まりの感触が気色悪い。

ごろごろと、なんとか受け身は取る。

そうして食卓にぶつかって、隙だらけ。


足音を立てない滑らかさでそれは近づいてきて。

注射を打たれる。

免疫向上能力の行使により中和を試みる……失敗。

朦朧とする。

曖昧な状態。これは肉を柔らかくするためのものだろうか……

断絶。


次に令が目を開けたとき。

硬い寝台の上にいた。

口にはボールギャグ。首から末端まで。何もできないよう、拘束されている。

薄汚れた天井。カビと血なまぐさい室内。

ぞっとする。

これからあれらの自己満足に付き合わされるのか……

舌を噛むこともできない。それで死ねるとは思えないが……相手が興味を失くすことはあるかもしれない。

映画に出てくるスパイみたいに歯に毒なんて仕込んでいないし、そもそも使用させてもらえる状況にない。今後の課題だな。というか、もうその「今後」はないとか。

笑ってしまうような。乱れた思考。

それを繰り返しながら、早く終われと願う。しかし一向に、それは現れない。


「目を醒ました?」

聞き覚えのある声。

「先走らないよう、わ・た・し・が、拘束しておいた」

命は救われたが、恥からは逃げられない。

「組織のリーダーがへまをするなんて、まさか、ねぇ」

意地悪く、によによと笑っている。拘束が解かれる。

「言葉もないわ」

よりによって……最も助けられたくなかった彼女に。

「こういうときって、言わなければいけないことがあると思うんだけれど?」

もっともだが、嫌味ったらしい。

救ってくれたのなら、安全な場所だとひと目でわかるところに置いてくれればよかった。

「ありがとう。助かったわ」

彼女はふっふーんとふんぞり返る。

七枝 冬子、令の中ではゴリラA。ちなみにBは知性のあるタイプの九鬼曜子だ。

彼女は直情型で腕力馬鹿で。組織において令や曜子と言い争うこと……言い負かされること……が多い。


「でもまぁ、相打ちみたいだし、放っておいても問題なかったわね」

冬子に聞かされて、疑問符を打つ。

「あれが三つ、死んでいたけど?」

私が倒したのは一つのみで、とどめも刺してはいない。

いったい何が……?

しかしこの少女と議論しても無駄なことなので、自分ひとりで仕舞っておく。


06.体調の悪い日-ヒト形-

累人を追いかける行使者の少女……その様子を更に追いかけている人影があった。

影は建物から建物へ跳躍して移動し、高みの見物を決め込む。

ジグザグに追い回したり、同じところをぐるぐる回ったり、俯瞰で見ればネコとネズミのカートゥーンアニメのよう。

高く新しい建物から打ち捨てられた廃墟に一足で跳び移る。

極端に分かれたヒトの到達点二つ。その争い。

かつて蒔かれた種の成長に感心する。


さて、少女が一つの思惑通りに誘き寄せられた。

助けないという選択肢はないが、それに値するものなのか量ることも義務としてある。

走査。発する魔力とそれに対する魔力伝達物質の反応によって、中を鮮明に覗き見る。

少女の他には三つの反応があり、そして少女が一つを圧倒した。

行使者への魔力供給が不安定であり、ぷつぷつ途切れる。それに当人は気づいていない。

あやうい少女。身の危険が生じたところで中に入る。


……しかし、入室の機会を完全に間違えた。

背後に現れた私を敵と勘違いした彼女。離れようとして……転倒してしまう。

まぁ、いい。

行使者の持つ強い免疫を阻害する効果を持った麻酔を打つ。


眠っている間にお掃除。

ひとつ。折れ曲がり、放置してても死ぬ。

ふたつ。食事していたもの、始末。

もうひとつは料理人だろう。一番危険な、少女の前に現れなくてよかったもの。執着していたものが再び喪失したことを知れば……その行き着く先は計り知れなかった。

背中側から腎臓を抉る。ぐちゃりと音を立てて絶命する。

気絶した少女がやったとも取れるように。


【門】の偏りは日に日に不安定になってきている。

ヒトという種はこのまま自壊するかもしれない。

その視点を持つ残り三柱の内の一つはそう思った。


999.食卓

女は料理が好きだった。

子どもの好き嫌いを直すのが生きがいだと思っていた。

最愛の息子は食物アレルギーで死んだ。


少年の家庭はシングルマザーと呼ばれる。それが揶揄するところはよくわかっていない。

母親がつくる食事が好きだった。

ひとりで食べていたけど、感謝を欠かすことはなかった。

母親は犯されて壊された。彼の心も。


男は食肉処理業を営んでおり、解体する仕事が好きだった。

つい、女房も解体してしまった。

不倫された時から、肉塊にしか見えなくなった。


調理するもの。

食事するもの。

食材を提供するもの。


対象を失った三者三様の食事処。

崩壊は免れない疑似的な家族。

撚れて集まった拠り所。

招き寄せた客を間違えて、解けた。

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